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【白衣の記憶】大人の事情──あの子は、何も言わなかった

数年前。

40代の男性が、中学生の息子さんを連れて受診に来た。

息子が腕を怪我したので診てほしい、ということだった。

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処置のために袖をまくると、
左手首の内側に、いくつもの傷があった。

どれも10センチには満たないが、
ためらい傷と思われるものが複数。

そのうちの一つから出血していた。

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縫合はせず、テープ固定で処置を終えた。

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男の子は、終始一言も話さなかった。

処置が終わると、軽く会釈をして、静かに処置室を出ていった。

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あのとき。

医者として、するべき処置はした。

けれど——

何も尋ねなかったことが、よかったのか。
理由を聞くべきだったのか。

いまでも、正解はわからない。

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中学生という年頃は、

勉強や部活にエネルギーを注ぎ、
短い休み時間さえ惜しんで動き回り、

疲れきって帰宅して、そのまま眠ってしまう。

そんなふうに過ごせる年代でもある。

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それなのに。

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ふと、自分のことを思い出した。

幼い頃、両親の喧嘩を初めて見た日のこと。

とても悲しくなって、
部屋で一人、泣いた。

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子どもなりに、空気を読んでいたのだと思う。

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それ以来、両親は私の前で喧嘩をしなくなった。
きっと、両親もまた、私を気遣ってくれていたのだろう。

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あとから、少しだけ耳にしたことがある。

あの子を取り巻く家庭環境は、
決して単純なものではなかった。

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もう成人している頃だ。

どうしているだろうか。

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子どもは、何も言わなくても、
大人の事情の中で、静かに何かを受け取ってしまうのかもしれない。

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