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言葉が届いた人、届けられなかった人 辺野古転覆事故・第23稿

5月21日、ご遺族noteに一本の記事が投稿された。

タイトルは「宮城喜久子氏の講演」(辺野古ボート転覆事故遺族メモ 2026年5月21日)。

宮城喜久子氏は元ひめゆり学徒隊で、2014年末に逝去している。同志社国際高校の沖縄研修旅行で、長年にわたり語り部を務めてきた人物だ。ご遺族は過去の研修旅行資料を辿り、その講演記録を見つけ出した。

連載第18稿「それぞれが選んだ言葉」、第19稿「謝罪という言葉の行き先」、第21稿「『萎縮』という言葉の前に」。事件のあとに発せられた言葉を、これまで観察し続けてきた。

5月21日から5月24日にかけて、ご遺族noteには四本の記事が並んだ。第23稿は、その四本を素材にする。


宮城喜久子という語り部

宮城氏の話の骨格を、ご遺族のnoteから引く。

13歳で沖縄県立第一高等女学校(通称ひめゆり学園)に入学。学校は那覇市安里にあった。アメリカ映画に感動し、英語が好きで一生懸命単語を勉強した少女。図書館で『風と共に去りぬ』を借りて読み、友達と本屋やお菓子屋に寄り道する。首里城の守礼の門のそばで写真を撮り、鬼ごっこをし、昆虫採集をする。

その毎日が、4年間続いた。

16歳の夜10時ごろ、突然先生たちから「すぐ準備して校庭に集まれ」と告げられる。歌を歌いながら南風原の陸軍病院へ向かった。「皆、生きて帰るつもりでした」と宮城氏は語っていたという。ラジオや新聞で「神国日本は一度も戦争に負けたことがない」と教え込まれていた。

砲弾が24時間やまない中での看護活動。水汲み、飯揚げ、切断された手足の運搬。3ヶ月のうちに、同学年の学友が10代のまま、次々と命を落としていった。1945年6月21日、米軍に収容される。

戦後30年以上、ひめゆりの塔にも行けず、慰霊祭にも参加できなかった。小学校教師として働きながら、生徒にもひめゆりの話を一切しなかった。「忘れようとしたことが、戦争の風化を招いた」と、40年後に戦場跡を訪れて遺骨の山を目にしてから書き残している。

ご遺族noteによれば、宮城氏が体験談を語り始めたのは59歳のときだという。

ご遺族が見つけた一致

ご遺族はこう書いている。

「正直辛かった。宮城氏と知華がどうしても重なり合う」(同 2026年5月21日)。

13歳でひめゆり学園に入学した宮城氏と、12歳で同志社国際中学に入学した知華さん。英語が好きで、友達と笑って、くだらないことでおしゃべりして、何の疑いもなく幸せな毎日を送っていた。16歳と17歳、終わりの年齢の差はわずか1歳。

そしてご遺族は、自身のnoteに書いた「幸せな日々はずっと続くものと思っていました」という表現が、宮城さんの講演記録の中に同じ言葉として残っていたことに気づいたと記している。

2024年3月の沖縄研修旅行の冊子。当時の戸田校長が、宮城氏の講演について次のように書き残している。

「元ひめゆり学徒隊の先生は、『私たちの日常と同じように教室で授業を受け、夢を語っていた友達が、その未来を奪われていった様子を語られた。当たり前だと信じている日常が崩れ去る。それは今この社会でも簡単に起こりうるという警告が、彼女のメッセージだった』」(『同志社国際高等学校 平和を作り出す人』第41号 研修旅行にあたって より)。

「当たり前だと信じている日常が崩れ去る。それは今この社会でも簡単に起こりうる」。

戦時中ではない、平時の沖縄で、それが起きた。宮城氏の言葉を教材として届けた、その学校自身の管理下で。

学校が届けた重さと、学校自身の軽さ

ご遺族はこう書いた。

「宮城喜久子氏の語る命と平和学習の重み。その言葉を借りながら生徒の命の管理を人任せにした学校の軽さ。この対比はどうしても消化できない」(同 2026年5月21日)。

ご遺族のnoteには、語り部の系譜にも触れた箇所がある。金井創氏が開会礼拝を担当する以前は、金城重明氏が開会礼拝を行っていた。宮城氏と並ぶ戦争体験者である。「両者の話は、ストレートに戦争なんてない方がいいということを伝える、何よりも強い教訓であり、ではどうするかを考えるための土台として大変意義のあるものだと感じた」と、ご遺族は書いている。

そして、こう続けた。

「戦後80年以上が経ち、戦争体験者からの生の声を聞くのが難しくなった今、誰がどういう目的で平和を語り、教えていくのか。その移行はうまくいったのか、いっていないのか。とりわけ教育現場においては、戦争体験者に代わり平和を語る者たちが、特定の政治活動や思想を一方的に語るものと密接に繋がっていないかを、今このタイミングで検証して欲しい」(同 2026年5月21日)。

戦争体験者の言葉を学校がどう引き継いできたか。引き継ぎの過程で、何が変わったのか。

その問いに対する答えは、まだ学校から提示されていない。

ここから先は、5月22日以降のご遺族noteについて触れる。文科省判断と、その後の議論と、ご遺族の言葉の旅を扱う。

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