『ドルイドの遺言』第十六夜-貫通と不孝-(前編)
古びた服の母と子は 詫びるように見つめ合っていた
お母様は今も 金の髪をアキ風に遊ばせ
私の知らない朝にも きっと鼻歌を歌っている
旅から帰ったら また、頭を撫でて
1幕
曇り空の下の、疎らな家々。そこにいる、10人ほどの人々。
エールの歌声が止み、拍手が起こった。
「あの詩、あいつが作ったのか?」
「そうじゃないかな。」
「すごい…ですね。」
マドラ、ゴドフリー、カイは、聴衆に囲まれたエールを見ながら言い合った。
エールは、聴衆の一人と杖を触れ合わせていた。霊貨での投げ銭だ。客が去ると、エールは胸に手を置き、ふぅっと長い息をついた。3人と目が合うと、キトルと杖を持ってこちらへ戻ってきた。
「少しは旅費の足しになったかな?」
歩くたびに、白みがかった地面が、サクサクと乾いた音をたてる。
「さすが、いい声だったよ。」
マドラは一歩前に出ると、エールの肩をぽんと叩いた。
「ほんと?……あ、ありがとう。」
エールは恥ずかしそうに顔を伏せた。
「あいつ、まじか」
後ろでカイが小声で言った。
「どうしたんですかカイさん?」
「いや、なんでもねぇよ。」
ふと、カイは少し離れたエールへ声を飛ばした。
「それよりお嬢、あの詩はどういう意味なんだ?」
「母子の様子を見て、自分の母への思いが蘇ったっていうこと。」
エールが話し始めると、マドラもその隣でカイに向き直った。
「お父様にもお母様にも、酷いこと、言っちゃったから。」
エールはカイの方に歩み寄っていった。
「へぇ、反抗期ってやつか。」
カイは腕を組みながら言った。
「まあね。私が自分のやりたいことをしようと思うたび……お父様とぶつかって、お母様を傷つけてしまう。それは辛いけど、それでも私は自由でいたい。私が自分を押し殺していたら、回り回ってお母様も喜んでくれない。……これなら、カイにもわかる?」
「カイにも、が引っかかるが、わからなくはねぇぜ。」
2人の白い息が、夕空に昇っていく。
「お嬢も苦労人なんだな。」
カイは組んでいた腕を解いた。
「さっきからその呼び方、何?」
「いいだろなんでも」
「へぇ。」
エールはカイの目の前に踏み込んだ。
「カイって、勇気あるね。」
「は?」
カイはエールに顔を近づけた。
「影の手で握り潰されてもいいんだ?」
エールは杖を構え、不敵に笑った。杖の先の三日月が、カイの顎に触れた。
「お、おい。冗談に決まってんだろぉ。」
カイは冷や汗を流しながら笑った。
「あの2人、熟年夫婦みたいですね。」
「どっちかというと、喧嘩仲間?」
「まあカイさんには、昔からの思い人がいるみたいですからね。」
マドラとゴドフリーは、呆れた目を見合わせた。
(お母様、か。)
マドラには、思い浮かぶ顔がなかった。
コンファーに泊まった4人は、それぞれのベッドに腰かけ、道中で作り置きしたパンを部屋で食べていた。
今回の部屋は、いつもよりも広く、4人分のベッドが置かれている間にも、物を置いたり歩き回ったりできるだけの余裕があった。
「にしても、この辺は村なんだかただの街道なんだかよくわかんねぇなぁ。」
ベッドの上であぐらをかいているカイが、パンを毟りながら言った。
「ここはイビエ高原。」
マドラが口を開いた。
「まだあまり開拓が進んでいない高原で、コンファーを中心に民家が点々としてるってだけだよ。どこの領主のもとに帰属してるのかも、判然としない。」
「弾き語りを聞いていた人たちも、何だか物騒そうだったなぁ。」
エールはベッドの上で両膝を立て、頬張っていたパンを飲み込んだ。
「それでも投げ銭はくれたけど。」
「治安も微妙だし、早めに出て行った方がいいかもしれませんね。」
ゴドフリーが言った。
そのとき、床が一度だけ、下から突かれたように揺れた。壁に立てかけてあったカイの盾が、コトンと鳴る。
「地震か?」
「クレーヴたちが動いたんじゃない?ここ、土台もだいぶ古そうだし。」
4人は黙って次の揺れを待った。しかし、何も起こらない。
「…もう、止まったみたいですね。」
マドラは、ベッドの横の窓の外を見た。クレーヴとソリッシュは、何事もなかったかのように互いに肩を寄せ合い、脚を折り込んで眠っていた。
下の階で、誰かが重い荷物でも落としたのだろう。マドラは深く考えず、そのまま視線を上げた。
「ヒガム山脈。綺麗だな。」
既に日が落ちた空が、ヒガム山脈の雪を被った頂を紫色に染めていた。
ゴドフリーとエールはマドラのベッドに乗り、カイは少し後ろから窓を覗いた。
「遠くから見てる方が、いいのかもな。」
マドラは再び山へ視線を上げ、ぼんやりと言った。
「ね。近くにいると、見えないこともあるから。」
エールが言った。
2幕
412年 フッフ月 7日
私は昨夜、ある一家を皆殺しにした。
“月„が上ってしばらくしてから、孫は帰ってきた。
顔からは、僅かながらの申し訳なさが窺える。
しばしの雑談の後、孫は数刻前の出来事を語り始めた。
遂に、あの地に足を踏み入れた者が現れた。朋輩よ、見ているだろうか。我々の悲願が達成される、その足掛かりとなる偉業を、他でもない私の孫が成し遂げたのだ。
しかし、その達成には、犠牲が必要なのだ。
あの子ども、及びその血族には消えてもらわねばならない。例の宝珠を持っていたとあらば、尚更。
今日から、私は孫と目を合わせることができるのだろうか。
いや、そんなことは今更だ。
私は、彼の人生の普通の幸福を奪ってしまった。
それでも、無責任にもやはり願ってしまう――
孫よ、私の希望の光明よ。
お前だけは、正直に生きてくれ。
嘘に塗れたこの世界で、
せめて、お前だけは。
夜更け。
旅立ってからマドラが読み続けてきた『懺悔録』も、終わりに近づいていた。もう残りは5ページもないだろう。
1ページずつ、感情を押し殺して読み進める。書かれている文字は、文字以上ではない。そこに書かれているという情報だけを、絵画のように頭に残していく。
――最後の1ページ。
終わった。
1つの長い旅が終わった心地だ。現実の旅はまだまだだが。
小さく息を吐いて、枕に頭を乗せた。
その時。
馬小屋の方から、蹄が板を打つ音がした。
続いて、馬具の金具が触れ合う、微かな音。
向かいの寝台で、カイが目を開いた。
「……今の、聞いたか?」
「うん。クレーヴたちかな」
「いや。馬だけの音じゃねぇ」
マドラは『懺悔録』を閉じ、枕の下へ戻した。すぐ脇の窓に手を伸ばした。木戸を少し開け、暗い中庭を覗く。
小柄な人影が、馬小屋の戸口をくぐった。
「下に誰かいる。」
「マジか。」
2人は声を抑えて言った。
「ゴディたちも起こす?」
「まだいい。俺が見てくる」
「僕も行くよ。」
マドラは杖を、カイは剣と盾を手に取った。
馬小屋に着くと、幸いクレーヴもソリッシュも無傷だった。しかし、扉が乱暴に開け放たれた跡があった。戸は、小さく揺れている。
マドラの視界の端で、小さな人影が音を立てずに素早く逃げた。西へ駆け去るその後頭部で、髪の束がさっと揺れた。
「カイさん、西だ。」
「おう!」
2人は小声で声をかけ合い、西に駆け出した。
「あいつ…」
「うん。あの髪型。僕の記憶が正しければ――」
「ようやく来たか。」
その声は、大きな廃屋から聞こえてきた。屋根はほとんどなく、壁も多くが崩れていた。
そこから、剣を持った女が2人の連れとともに現れた。
「やっぱり。」
「ブレス盗賊団!」
“月„明かりに照らされ、ファウリア、目元を覆った赤ドルイド、小柄な一つ結びの斥候の姿が露わになった。
「他にも仲間いなかったか?」
ファウリアが鋸刀をマドラたちに向けた。
「あぁ。今起きてるのは僕たちだけだ。」
「ふぅん。面倒臭ぇことしてくれるなぁ。」
鋸刀を肩に置きながら、ファウリアはマドラたちを睨んだ。
「それより教えろ、ガルナはどこだ?!」
カイが詰め寄った。
「あ?そりゃこっちが一番聞きたいさ。」
「どういうことだ?」
「あんたらといると思ったんでな。ここらであんたらを見かけたってタイラが知らせたから誘い出したんだ。」
「とりあえず、僕らのもとにはいないよ。」
マドラが答えた。
ファウリアは口元を布で覆っている斥候タイラを見た。
「いねぇじゃねぇかよ!」
タイラの腹部に、ファウリアの膝蹴りが見舞いされた。カイは眉を顰めた。
「じゃ、僕たちはこの辺で。」
マドラはファウリアから目を離さず、踵を返す素振りをした。
「おい待て!いずれにせよあんたらにはここで死んでもらう!」
ファウリアは鋸刀を構えてマドラたちに間合いを詰めた。カイが剣を抜くより早く、マドラは杖を構え、振るわれた鋸刀を受け止めた。
「スチュワート・サーフェント。」
鋸刀を杖で受け止めたまま、マドラはその名を口にした。刃に込められていた力が、わずかに緩んだ。
「僕たちも彼を探している。あんたらが彼を見つけてどうしたいのか、まあ薄々わかってはいるけど、僕たちの用が済んだら、あんたらに居場所を伝えてもいい。」
「何が言いたい?」
「僕たちは、同じものを探している。あの魔獣――ガルナの行方も、まだわかってない。」
マドラはファウリアの目をまっすぐに見返した。
「だから、同盟を組まないか」
ファウリアの眉間に皺が寄った。カイも目を見開き、マドラをちらりと見て、その傍らへ半歩寄った。
「共通の目的を果たしたら、そのあとは、あんたらが僕たちを殺すか、僕たちがあんたらを捕らえるか。そこで改めて決着をつければいい。違う?」
「…そんな悠長な――」
鋸刀が、マドラの硬い杖を押し込む。
「どのみち、僕たちが夜明けまで耐えれば、僕たちの勝ちだ。僕たちの退路を断つためにここにいない団員を背後に置いてるかもしれないけど、僕の他の仲間が後から来れば関係ない。陽が昇って人目につくようになっちゃったら、あんたらも動きにくいし、ね。」
「信用ならねぇんだよ。んなこと言って、お前らがあたいらを即刻どっかの政庁に報告する可能性を、捨てきれねぇ。」
ファウリアの声は至って冷静だった。マドラは口元をわずかに上げて答えた。
「そこは頑張って逃げてよ。だって、盗賊団なんでしょ?それとも、姿を見られるたびに、その相手を殺さないと逃げ切る自信がないのかな?」
ファウリアはゆっくり鋸刀を杖から離した。
「同行はしねぇ。だが、ここでは見逃してやる。次会うときに、スチュワートの情報を掴んでいるのは、どっちか。」
「この同盟は、それによってどちらが有利になるか決まる。……いいんじゃないかな。」
マドラとカイの足音が遠ざかっていく。盗賊団の3人は、しばらくその場を動かなかった。
「本当にあの話に乗るんですか、頭領?」
赤ドルイドが言った。
「あぁ。むしろ、あそこで挑発に乗って殺す方が癪だ。」
「でも、いずれは――」
「もちろん殺す。使えるだけ使った後にな。」
ファウリアは鋸刀の峰を、空いた手のひらにトン、トンと遊ばせた。
「あたいとあいつは、悔しいが似てる。」
「どこが?」
ファウリアは鋸刀を背中にしまった。
「何かに掻き立てられてんのさ。恐らくな。あたいもそうだ。あのゴミ親父を殺したときに手にした、矜持ってやつに。」
3幕
同じ頃。エイドの学長邸。
スカイ学院学長ホヴィコ・アウルストは、書類に目を通していた。ゴールには今、帝国との内通者がいる疑いがある。いつも以上に、学生の名簿には目を凝らさなくてはならない。
出自の怪しいものはいないか。
毎年のようにそれを疑う。しかし、本来は自分が最も疑われるべき立場だったはず。それでも、当時のゴールの人々は、自分を受け入れてくれた。一体なぜ。
13歳でゴールへ渡って以来、青春の全てをこの地で過ごした。しかし、生まれた郷里にも、育った郷里にも、何ができているか。そんなことを考えながら、このところは過ごしている。
マドラ・イモルグ。あの少年のせいだ。
オーウェンの孫を名乗る小ゴール島からきたもの。おそらく小ゴールにいた妹サフラの息子。あれがきてから、オーウェン・アウルストの姿が何気ないところで思い出される。
――いさん。
ふと、耳元を掠める怪しい声。
近頃、エイドにはデュラハンが出るとイヴァンは言っていた。これはまさか。
そう思い、杖を持って外に出た。庭には、いつものように訓練用の案山子が置かれているだけだった。そこから向こうは、森があるだけだ。
――いさん。
再び声が聞こえた。その瞬間、背後から肩を掴まれたような感覚がした。
「カーマ・カウグス・ジュルジュ・トルバ!」
ホヴィコは振り返りざまに杖を振るい、十文字になったかまいたちを放つ。風の刃は案山子の衣すれすれを抜け、その向こうの闇へ消えた。
「親父!」
イヴァンが寝巻きのまま走り寄ってきた。
「起こしたな。すまない。」
「魔獣か?」
「わからない。が、何か嫌な音がしてな。」
「……戻ろうぜ。」
イヴァンは周囲を一通り見渡してから、先に家の中へ戻った。
「カウグス・サクト・モゥ。」
1人残ったホヴィコは、杖を真っ直ぐ高く掲げた。
周囲の風から、何か動くものはないか探るが、特に何もない。
ホヴィコも家の扉に手をかけた。
そのとき。
また声が聞こえた。
(この声は…。)
ホヴィコは南と西の夜空を順に見た。
「親父?」
「…何でもない。」
星は雲に隠れ、“月„だけが朧に見える。冷たい夜風を感じながら、重い足取りで部屋に戻った。
マドラとカイは、杖先の光を頼りに、暗い夜道を歩いていた。カイは絶えず後ろを気にしていた。
「あれでよかったのか?」
カイが剣の柄にかけた手を離しながら言った。
「うん。ゴディには悪いけど、これが僕らにも向こうにも一番いいはず。」
マドラが言った。
「スチュワートって人は、ゴディの恩人なんだろ?それじゃ、あいつらに引き渡すことにも――」
「そこは、もうひと細工必要かもね。先生の治療にも、スチュワートさんの力は必要みたいだし。」
カイは何も答えなかった。2人の足音だけが、霜の降りた道に続いた。
しばらくして、マドラが口を開いた。
「そういえば、エールとはどう?」
「どうってなんだよ。見ての通りだろ。」
「ゴディがね、カイさんとエールのこと、熟年夫婦みたいだって。」
カイは怪訝そうに片眉を上げた。
「あいつはそんな目で見れねぇよ。」
カイは歩調を変えず、前を向いたまま答えた。
「それより、お前はあいつのことどう思ってんだ?」
不意にきたカイからの問いに、マドラの足が一瞬止まった。
「うーん、難しいなぁ。」
再び歩き始めたが、徐々にその歩みが遅くなる。
「そんな考えることか?」
マドラは視線を杖の先に向け、しばらく黙って立っていた。数歩先で、カイが振り返った。
「お前、考え込むと止まらねぇんだな。」
ふいにマドラは吹き出した。
「なんだよ!」
「意外とカイさんとこうして2人で話すの、初めてだったかもね。」
杖先の光が、笑うマドラの顔をほのかに照らした。
「まあ、そうだな」
カイもつられて口元を緩めた。
そのとき。
後ろから巨大な何かが地面を叩くような音が聞こえた。
地面が揺れた。
後ろを振り返る2人。そこには、道を塞ぐように、巨大なイモリに似た何かがいた。2本の角は木がそのまま生えているかのように、荷車ほどの大きさの頭から伸び、鬣は浅黒く波打っていた。
「魔獣か?」
「あんなの知らないな。」
「お前が?」
「……こんなの、図典に載ってなかった。」
魔獣は腹這いしながら、こちらに向かってくる。節くれ立った長い前足が、今にもマドラたちの前に降りてきそうだ。
「逃げるか?」
「いや、このまま宿にこられると、エールとゴディが危ない!」
「ここで止めるしかねぇか!」
マドラは杖を構え、カイは剣を抜いて盾を前へ出した。
後編へ続く――。
