見出し画像

続・好きなもの5️⃣:プロレスvol.11

どうも、お疲れさまでございますm(_ _)m
P@K.D(パックD)のDsKです!
あいやー、色々と取り組みたいんだけどカラダの方が全然ついてこねぇわ〜😅すべてが三日坊主の尻切れトンボになっちゃってる気がします。本当に悪いのはタイミングなのか、コンディションなのか、それはわからないけど要は自分次第ということなんだろうね❗️何かを「やりたい」ばかりではなくて、少しずつでも「やる」ことをやらなきゃダメだな😓とりあえずやってみるか‼️
それでは、ここから本編!

そんなこんなで、ここまで1997年の全日本プロレスについて書いてきましたが、年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦も大盛況のうちに幕を閉じ、年内のスケジュールは無事完走となったわけですが、この年の1月の小橋ー三沢の三冠戦から観戦を始め、約1年という時間が流れて全日本のリングも表面上は変わり映えもなく進んでいるように見えたのだが、後々になってからわかってくる大きな変革が静かに進んでいたのだった。当時の私のようなド素人から見てもわかるほど選手たちは満身創痍の状態だったし、対戦カードにおいても他団体の選手はスポット参戦のようなゲスト扱い止まりで(ハヤブサ&人生の最強タッグ参戦はかなり異例だった)、タイトル戦線は四天王+ハンセン、ウィリアムスで持ち回りになるというマンネリ感は否めなかった。そういう意味でも若手の秋山、常連外国人のオブライトやエース、不定期参戦だが元新日本プロレスの実力者・馳浩が結果をしっかりと出してくれたのはかなり大きなことだったし、来年以降に繋がっていく好材料と言えるだろう。日本テレビの年末深夜特番(なぜか筋肉少女帯の大槻ケンヂがゲストだったが、四天王と昨年新日本から移籍してきた馳が横並びで酒を飲みながら鍋をつつくというシーンはめちゃくちゃ豪華だった)でも全日本本来のハイレベルで激しい闘いは勿論のこと、この年に他団体から参戦した選手たちを大きく取り上げていたりと、1998年に向けてのさらなる期待感が高まる1年の締めくくりでしたね😊ちなみに、同番組でも対戦していたセガサターンの「全日本プロレス FEAUTURING VIRTUA」はゲームの特集でも書きましたが、私も幼馴染と当時やり込んでいたゲームだったので、とてもテンションが上がったのを覚えています(笑)泉田純の白塗りペイント姿も最高でした(後にあんな悲劇が起きるとはこの時には誰も予想だにしていなかったよね、いろんな意味で)👍

はい、そんな感じで私のプオタヒストリーの中でも最高潮だったと言ってもいい(早すぎないか⁉️)1997年を丁寧に書いてまいりましたが、次回からは怒涛の1998年編になります❗️5月に初開催が決定した東京ドーム大会やタイトル戦線にもさらなる新風が吹き荒れる年にもなったし、実質的なマッチメイカーが本格的に三沢へと移行してきたのもこの時期で、馬場さんが存命中でありながらも様々な刺激的な新しい試みが所々で見られるという唯一無二の1年でもありますので、私の拙い記憶力が続く限りはダラダラと追いかけていく形になると思いますので、テンポは悪いかもしれませんが堪忍してくだせえ🙇

つーことで、今回はこれにておしまいヽ(´▽`)/

いいなと思ったら応援しよう!