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【仕事について語る】/SDGsな働き方を

こんにちは。
「急激に変化する現実と自己の折り合いをつける」―――Mystic Pioneer(ミスティック・パイオニア)―――DEUKUです。


noteにおけるDEUKUのコンセプトは『働き方とメンタルを整える』『ほどよい働き方』のハズですが、ここ最近は逆行の一途を辿っており、う~~ん、う~~~ん・・・な感じです。



🔹 ワーカホリックはこうやってできる?

我が社はお盆休みがない代わりに夏季休暇制度があり、今年は結構長めのお休みをいただきました。地元にいる両親からは「そんなに長期間の休みがもらえるなんて、ホワイト企業なんだね~」と言われましたが、わたしとしては、世間一般的にはやはりホワイトに分類されるんだな~と感じる気持ちが半分、そりゃあ快く「リフレッシュしてきてね」と送り出してもらえる関係になるまでにかなり頑張ってきたものと鼻を高くするのが半分。

ただ、「自分には居場所がない」と入職後何年も感じていたのが、「一時的に離れても、戻る場所はある」と感じられるようになったのは、とてもありがたいこと。


そしてそれは、非常に中毒性が高い安心感でもある。


長めのお休みがもらえることは、業務調整をしてもらえることとはイコールでないので、休暇前に調整を全てはかっておき、指示書や依頼書も作っておいたのですが、つくづく、属人的すぎるやり方はリスクが高いと感じたり。

休暇前後にスパートをかけすぎたのと、帰省(九州⇔東北)の温度差、移動の疲れ(飛行機・新幹線・高速バス)、復帰したと思ったら後輩がコロナで長めの休みに入り、業務調整の鬼になるなど、最近は結構というかかなり無理してる感は否めない。

復帰して以降、休日は一日中寝ている日が増えた。

半分程度は自分の都合によるものとは言いつつ、そもそもの働き方が仕事内容に心を掴まされ、それ以外を甘んじて受け入れているという多少なりの不健全感の上に成り立っていることには気づいているので、そこに無理を重ねるとまずいという不穏な気配は感じている。
しかし、それを容易に止められないところに闇を感じたりもする。


最近は「職場の上司を自分の親と重ねてしまい、怖い」と子どものように泣きじゃくる人にも出会い、なんだか他人事にも思えなかったり。


幼少期の親子関係は、仕事や恋愛など、後の人生に大きな影響を与える人間関係の根源といえるのだなと実感しています。



🔹 「無理をする」という自傷行為

結局のところ、やっていることは「無理をする」という痛みで自分自身の存在証明をしていることなのだなぁと実感する。

「健全に生きる」「楽に生きる」ことがわたしの目標なので、仕事一つを取ってもまだまだ目標から遠い行動をしていることを知る。


そして、「無理をする」をテーマにした動画を見つけたので、そちらを視聴してみました。今回も【Nバク】さんです。


【Nラジ】無理な働き方がクセになっている人

サムネイルには「看護師は」と主語がありますが、内容は看護師に限らないものです。わたしも看護師ではありませんし。


この動画では、“そもそも「無理をする」とはどういったことを指すのか”という『定義』を示しており、それが非常に理解しやすかったです。
また、「無理をする」の言葉に“わかっていながら強行突破する”という意味を含んでいることに言及しているのにもハッとするものがありました。そう。うわ、きた、と感じてはいるのよね。

この動画で最も首を縦に振りまくったのは「無理な働き方が前提になることによって、通常の努力、通常の働きでは満足できなくなってしまう」というコメント。これに続く「通常モードの自分を自分で認められない」「通常の努力では“頑張っていないな”“働いていないな”と思ってしまう」「通常モードの自分に自信が持てなくなる」「だから自分に鞭を打つ」といったコメントは、健全な響きは一切感じませんでした。


なぜ人は「無理をする」のか―――・・・それは、無理をすることにより何かを得た“成功体験”があるからですが、確かに、入職してから現在に至るまで肩の力を抜いたことはなかったなあ。


頑張って頑張って、ようやく得た現在の立ち位置なので、最初から居場所が保障されている人を見ると羨ましく感じたのは確か。
本当に自分が追い込まれたとき、つまり、自分の本心があらわれるときに「周りが協力的でないからだ」「やる気がないからだ」「わたしはこんなに頑張っているのに!」という思いが湧いてくることもあった。

結局、無理をすると“他責感情”が芽生えてしまう。

自分が勝手にやっていることなのに、他人を責めるのは筋違い。

会社が無理な働き方を求めているわけでもなく(仕事の質量的にはなかなかの無茶振りではあるが)、何より、会社に居場所を求めることは健全なこととは言いがたい。

自分が好きなことを仕事にできているのに、“持続可能”な働き方ができていないのももったいないこと。



🔹 「SDGs」な働き方を目指したい

Nバクさんのコメントで「“持続不可能”な頑張りが、責任感がある振舞いなわけがない」とあったのもズキリときました。


本当に責任感のある人は“持続可能”な設計をする。


わたしは責任感があると評価されたいわけではありませんが、上に述べたように「属人的すぎるやり方はリスクが高い」と感じています。

いきなり離脱することがないように。
自分が倒れることがないように。

わたしが目指すは更に上。


わたしがいなくても回っていくように。


今は極力すぐに動けるよう控えているようにしているが、わたしだって今回みたいにまとまった休みをこれからも欲しい。

何より、わたしは数年周期でいなくなる。
仕事のスタイルも、どうせ後任者によって変えられる。
自分のやり方にこだわるより、“持続可能”な運営形態にする方が意味がありそうだ。

そういう意味ではわたしは限りなくボトムアップ的な環境づくりを目指しているが、この頃は意見をいろいろともらえるようになって嬉しい。

もちろん、頭を抱えるような難題やぐうの音も出ない核心を突いた追及を受けることもある。でも、職場の風通しの良さや仕事のやりやすさに結びつくことが多いため、できる限りクリーンにする。
ラインの環境が整えば、上がすげ替わっても働きやすさに影響が出ることは少ない。

・・・まぁ、「それを追及することが業務遂行と何か関係ある・・・?」と疑問に感じることもままあるが😅



🔹 おわりに

今回の長期休みの試みは、そういった「SDGs」的な事業運営や働き方を考える上でかなり勉強になる経験でした。先を見越して事前調整をかけておくことや、指示書や依頼書、引継ぎ資料を作成するのもとてもいい経験だった。

そして、わたし自身の心理としてはまだまだ囚われている部分も多いなぁと感じたので、これからまた精進だなぁと思います。

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