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【自他境界】/自己の揺らぎと仕事への影響

はじめに


前回の記事『【AIホロスコープで自己分析⑧】/心の在り方・人格・メンタルヘルス』にて出てきた「ホゴシャ」の存在。

直近になってたまたま、ホゴシャがひょっこりと顔を出す出来事があったので、⑨に進む前に【番外編】と称して、現実にはどんな人格として出てきているのかを書き留めておこうと思いました。

自分自身が揺らぎやすい人、仕事の人間関係に悩む人の参考になったりならなかったりするかも。




『自己の揺らぎ』が顔を出す


実は直近で、なかなかに自己が揺らぐような出来事があった。

わたしはいわゆる『自他境界』が曖昧になりがちな人間だ。
何故、そのような答えに至ったかというと、大人になってからの人間関係がうまくいかない。
いや、大人になる前からうまくはいっていなかったのだけれど、大きな壁となったのが、社会に出て“ひとりで”やっていくことになったとき。

人間関係をうまくやっていく力がなければ、仕事をもらうことも難しい。

わたしはとにかく仕事はしたかった。やりたい仕事に就いたからというのが最も大きな理由ではあるが、役割を持たない自分は存在していても意味がないという無価値感や焦りがあったのだろうと今になっては思う。

社内ニートやその反対の社畜状態などの様々な働き方、様々な上司・同僚・部下との出会いをとおして、「相手の方がよほどわたしを“わたしとして”見ている」こと、「“役割”と“わたし自身”を切り離して見ている」ことを知った。

結果的に、自己がしっかりしている方が自分以外の問題を受け止めるだけのキャパシティが大きいので、うまくやっていきやすいのだということを体験した。


「後任に期待だね」

しかし、もちろん、一定程度は「人=役割」の視点で物事を語る人はいる。
と、いうか、わたし自身もそうだ。

ここ数年は比較的言葉に敏感にならずに過ごすことができていると思うが、わたしもなかなかにいい年。マネジメント的な業務もそれなりに行い、当然だが棘のある発言をする人、独善的な行動をする人もいる。

わたしは立場的に“いつ消えてもいい人間”になっている。いわゆる地域創生的な関わりをしているので、むしろ“わたしがいない状態”でいろいろやっていけるようにしないといけない。
もちろん、わたしの後釜は来るが、後釜が余計な苦労をしたり、逆に後釜が独善的な行動をしても社員が「No」と言えるよう、ある程度の自立が必要だと考えている。

そして、わたしは自分のことを「ゼロからプラスにする能力はない」と思っている。実際問題としても非常なマイナス状態であるため、せめて「マイナスからゼロへ」と思い、動いている。

そんな“いなくなってもいい”“プラスではなくゼロにする”という、存在感さえ微妙な役割を選んでいるのは自分自身なのだが、「どうせいなくなる人だから」と冷ややかな言葉がけをする人もいる。

来年度は恐らく異動になるので、早めに後任候補を立てて現体制と“これから変えていかねばならないやり方”を一緒に辿っている最中だが、ある社員から

「後任の人に期待してます」

と、わたしの前でも後任候補の前でも言われ、久々に自己の揺らぐ言葉だったな、と思った。



“もうひとりのわたし”が顔を出す


『今、揺らいだな』

と、久々に言語で出てきたのがこの直近。

30を超えてからはようやく、精神年齢が大人に近づいてきたのか、確かに自己の思考の一部に溶け込んでいたような人格がふと顔を出した。

(確かに、というのは、最近やってみたホロスコープAIでこの人格について問うてみたとき、そのような回答があったのでした)

その人も「人=役割」で人を見る人だが、だからといって、いや、それ故にか、その言葉を真に受けたところで何になる、と冷静な言葉をかけてくる。

『「わたし」と似たような自己の危うさを持つ人だったら他者をコントロールしようとする要素を含む発言だから、守るべくは後任候補だし、自己を確立できている人がそういう発言をするのなら、人としてどうかという視点で見た方がいい』

『自らの立場と役割を超えて言ってくるのであれば、その人は安全圏を捨てて「わたし」と同じ立場まで降りてこなければおかしいし、その人が「わたし」と同じ役割が向いていないことは、「わたし」が一番わかっているのではないか。情報は「わたし」の方が持っているハズだ』

自己が揺らいでいるときに顔を出す、そんな存在が“もうひとりのわたし”であり、「ホゴシャ」と名前をつけた人格だった。


「意地悪な子」

「『わたし(本名)』って、意地が悪いよね」

子どもの頃に親から言われた言葉が、今も胸に残っている。

初めの頃は「どうしてそんなことを言うのだろう?」と、不思議に思っていた。わたしの発言の、何が意地悪だったのか?

このときは“自分の発言”だと思っていた。今となっても、わたし自身の言葉なのか、そのとき既にホゴシャがいたのかは判然としない。

そう言われるのは一度二度ではなかった。だから自分は底意地の悪い子どもなのだろうと思って成長してきた。よほど気をつけなければ、他人を傷つける人間になるのだろうと思ってきた。

だけど同時に、こうも感じていた。

『本当のことを言うことが“意地悪”というのなら、その先にはもう何もないな』

わたしとしてはそれが『本質』であり、それに触れない限りは問題の解決に繋がらず、望む未来も手に入らない。いつかは向き合わないといけないその“イツカ”の、時機を見るという概念が未熟な年齢だったのかもしれない。


「冷たい子」

「意地悪な子」とセットでたびたび言われていたが、これには自覚があった。すごく冷ややかな人格が自分の中にはいる。

全てを冷めきった目で観ている、何に対しても期待も希望も持っていない、誰を慮ることもなく、ただ、事の成り行きを俯瞰しているだけの“ナニカ”

家から閉め出されたとき、早々に親に見切りをつけたのもこの人格だった。その日は追い出された流れのまま家出し、ちょっとした大ごとになっている。

わたし自身も人の心配とか厚意などを解せない人間だが、この人格はもっと冷ややかで、その“お気持ち”を抱えるのはその人の勝手なので放っておけばよいという考えでさえあった。

先ほど述べた「直近の出来事」と同じである。
また、「意地悪な子」のエピソードとも同じであり、個人の“想い”をある意味軽視しており、むしろ『現実を受け入れた上で未来に進んでいくためには、個人の想いなど邪魔でしかない』と考えるような人格だった。

わたし個人は「個人の想いが集まることにより方向性が見えてきて、その望む方向に未来を運んでいく」という意識があるため、相反する考えが同居することになる。

この人格がいつから、どこからきたのかはわからない。
一時、この“子どもの自分ではないナニカ”と“子どもの自分”の乖離がひどく、自分自身が引き裂かれたような感覚になる時期はあったが、助けてはくれなくも他の人みたいに自分の前からいなくならずに理性は保たせてくれる、心強い存在であったのも確かだ。



この人格と、生きていく


実は、この人格の存在を明確に認知し、「ホゴシャ」という名前がつくに至ったのはここ3~4年の話である。それまでは、解離ではないかと疑いながらも「メディアの影響を受けて、悲劇のヒロインになりたがっている」と親から言われたことが頭から離れず、意地でも言葉に当てはめないと決めた。

また、決して他人を頼らないと誓った。

わたしの周りでは、人や薬、宗教、マルチなどにより日常が壊れていく人がそれなりにいた。わたしの目から見ると平和だった日常が、その人たちにとっては平和ではなかったのかもしれないが、平和も日常も、薬も宗教もマルチも、全て“人”が作っている。

他人に左右される人生は、怖い。

「他の人に期待する」(=わたしにはもう期待しない=わたしはもういらない人、の解釈をしがちになる)の言葉しかり、自分の存在を疑いたくなるときに片足を突っ込みたくなるが、そのときに引き止めてくれるのは、決まってこの人格だった。



健全な社会になってきているのかも


「後任の人に期待してます」
と言われたとき、わたし自身は心理的には非常に動揺して、裏でホゴシャが凄まじいスピードで脳内情報処理をしていたが、後任候補である後輩はその時は苦笑しつつも、

『人が替わろうと役割が変わるわけではないので、できることは大きく変わらない。これがわれわれの立場だ
これはその人の課題だ。その人の信念と顧客のニーズ、社会の実態にズレがある』
『ただ、その人にその役割までを求めるのは難しいかもしれない。新しい考えは求めず、今その人が持っている範囲内で仕事を与える必要があるのかも』

と、感情が揺れることなく冷静に話していた。自他の境界がしっかりしているとここまで合理的な判断を瞬時にできるのか。

他にも頼もしい社員がいる。

かれらに共通しているのは、20代の比較的若めな社員で、東京近辺の出身ということ。
思うに、充実した教育制度かれら自身の思考力、そしてやはりその人のありのままが肯定される社会への変化の中で生きてきたからではないか。

かれらは自然と助けを求めることができるし、助け合いながらやるべきことをやっている。わたしの役割が目指しているのは、まさにかれらがごく自然にやっていることではないかと。



おわりに


自分自身を手放したいときは今も多くある。アルコールで意識的に飛ばすこともあるが、そんなときもホゴシャは本当に保護者の如く
『まあまあその辺にしておけ』
と言う。

『そこから先へ行くと戻って来られなくなるから、戻っておいで』

親からも言われた記憶がないこの言葉が、自分の内側から聴こえてくる。
わたしの場合、安全基地は外側にではなく、自分の心の中にあるのだ。

自己を保つための距離の取り方を、どこから来たのかわからない内なる人格に教えてもらいながら、今日も楽しく生きていく。

👆「ホゴシャ」に対する理解は、ホロスコープAIによる言語化でかなり解像度が上がった気がします。

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