邦楽名盤ランキングでアニメ関連のアーティストが無視されるのはなぜ?
UNISON SQUARE GARDENの休止
ユニゾンスクエアガーデンが休止を発表した。私がライブに行ったことのあるバンドのひとつで、15周年の舞洲でのライブは大成功だった。
「休止はユニゾンを存続させるためのものだ」という意図は伝わったものの、これで終わるかもしれないという懸念はある。半年であっさり再始動するかもしれないし、何も起こらないまま10年過ぎる可能性もある。
私はローリングストーンズやザフーのように、ユニゾンはずっと変わらないものを鳴らし続けると思っていた。
複雑な気持ちを抱えたまま、YouTubeのおすすめに出てくる楽曲を聞き漁った。三日月の夜の真ん中のようなB面曲はないようだが、今でもあの遠くで鳴っているようなのにクリアに聞こえるB.C mixのことを思い出せる。
ユニゾンはベストアルバムも凝っていて、毎回ミックスや再録音によって違う印象を持たせてくれる。ポストパンクやエレクトロをよく聞くので、バージョン違いの曲が多いことは、編集だけで水増しした曲数稼ぎなどではなく、創造性の幅だと思っている。
邦楽名盤ランキングでアニメ関連のアーティストが無視されるのはなぜ?
おすすめに邦楽名盤ランキングの記事が出てくるので、たまに見ている。やはり上位ははっぴぃえんどだとか、宇多田ヒカルなどが出てくる。YMOもそうだろう。これらに文句などない。売り上げ、音楽性、その革新性や後々への影響力など、すでに評価が固まっているものをどかすには、「こういうのでよく見る」と言うだけでは弱い。
しかし、ふと思ったのは「こういうのでユニゾンを見たことがない」ということだった。
ファンとしてユニゾンを入れろとロビイングじみたことをいいたいのではなく、この手のランキングの基準にアニメ関連のアーティストが叶わないのはなぜかということを考えてみたい。
アニメと関わるだけで批判されるのはなぜ?
アーティストをアニメの下請け扱いして非難する音楽批評があったらしいが、これはアニメに従属しつつあるなどといったことでは断じてなく、私はむしろいまだにアニソン関連の評価は低いままだと思っている。そして、それは無視するに足る理由があってのことだと思いたい。
紅蓮華や炎のような、アニメ発の大ヒット曲もこの手のランキングでは出てこない。LiSAのLEO-NiNEなども名盤ランキングで見たことがない。
単にヒットしたというだけなら、怪獣やBling-Bang-Bang-Bornなど、アニメ絡みで大ヒットした曲は数多くある。しかしそれは、まるで商業的な戦略のひとつとして評価されるだけで、アニメが絡んだこと自体は単なる付随的な要素として、批判されることはあれど評価されることはない。
アニメと関わっても批判されないケース
米津玄師はアニソンを多く提供しているものの、彼はそもそも映画やドラマなどの曲も提供している。タイアップ一覧をWikipediaで見てみると、彼がアニソン関連だと特別に思うような印象はない。
ユニゾンは「オリオンをなぞる」「シュガーソングとビターステップ」などが有名なヒット曲で、どちらもアニメのための書き下ろしだ。こちらは米津玄師とは違い、タイアップ一覧を見ると明らかにアニメソングが多い。
ここらへんの違いは説明可能で、アニソン以外で名を挙げてからアニソンを手掛けたものと、アニソンばかりを手掛けたものの違いだ。
サカナクションの例
怪獣がどれだけヒットしようとも、6枚目のsakanactionでオリコン1位になり、2013年の紅白に出場し、2015年の新宝島を大ヒットさせたサカナクションが、いまさらアニソン関連のアーティストとして見られることはない。むしろ「クラブミュージックと日本のポップスと文学を融合させたものが、なぜアニソンの下請けじみたことをしてしまうのだ?」という文脈で語られて、まるでアニメに関わると音楽の純粋性を失うかのような扱いをされている。
山口一郎氏はどうやら「音楽以外も音楽だ」という主義らしく、音楽そのものの裾野を広げるためにライブの演出だけでなく、ライブそのものの在り方まで問い、ミュージックライブビデオのように「MVの一発撮りをそのままライブとして配信する」といった画期的なことも試している。僕と花のMVの撮影はそのまま生配信されていたし、ショック!のMVはコロナ禍での無観客ライブの一部の切り取りだ。
そして、もちろんタイアップにも抵抗がない。新宝島自体が、バクマン。という漫画が実写化された時の映画タイアップ曲だからだ。
ユニゾンもずっと音楽を鳴らしてきたし、コロナ禍でも着席制限などを守ってライブを続けてきた。彼らは変わらないことを選び、いつだってロックはやれるんだと証明し続けた。この度それが途切れることになったわけだが、22年の活動期間は重い。
アニメが無視される理由
まぁ結局のところ、アニソンは無視されるだけの理由があるのだろう。いまいちピンとこないが、アニメの領域でだけヒットしたものと、広く大衆的にヒットしたものでは扱いが違うのはわからんでもない。多分、アニソン以外の領域も同じことを思ってるんじゃないかと予想する。
辻井伸行さんのようなクラシック音楽として評価されているものも、邦楽ランキングには入ってこない。しかし、クラシックからインスパイアされたポップスならランク入りする資格がある。線引はおそらく「そっちはそっちでやってね」「そっちの領域で評価されてるんだからいいでしょ?」というものなのだろう。
「邦楽ランキングに入っていて違和感のないものだけがランク入りできる」というのはトートロジーでしかないが、実際そのくらいの印象だ。だから同じようなのが上位を占めて変化しないのではないか。
代わり映えしないのは邦楽で特筆すべきことが起こっていないからではなく、評価の基準が自己反復的になっていて、100位まであるなら51位までを最近のものと個人的な好みで選び、50位以上はいつものやつを微調整しているだけなのではないか。
これは何も日本に限ったことではなく、ローリングストーンズ誌が選ぶグレイテストアルバム500位でも同様だ。ワールドミュージックが少ないと批判されつつ、そもそもアメリカとイギリスを中心としたポップスやロックの「貢献度」ランキングではないか。
ここらへんは音楽を実績などで選び、権威化してアンタッチャブルになっている要素がある。これは別に「音楽に実績も権威もないぜ!クソくらえ!」というパンクの精神ではなく、評価されたものがどんどんそうなっていくという社会学的な話だ。
例えば、フロイトの精神分析は批判も多いが、人間心理の洞察の深さと、心理学という学問分野を作ったことが(内容の評価ではなく)実績として不動の地位を得ている。歴史的な文脈があるので、フロイトの批判や注釈として心理学が語られること自体が不可避なのだ。
おそらく、邦楽ランキングも同じ事が起きている。好きとかヒットしたかより、いかに語られてきたかが重要になっている。しかもその語られ方が「邦楽ランキング」としてなのだから、自己反復が間違いなく起こっている。
「芸術とはかくあるべきだ」という基準が、結局は過去の名作をどれだけなぞって反映したかになりがちなのと同じだ。
早い話、聞いていて楽しい音楽を知りたい時に、邦楽ランキングを見る必要はない。今の邦楽にどれだけ影響を残したか、いまだにその文脈で語られ続けているかのランキングだからだ。面白い歴史の話と、単に人類史で重要だったポイントの解説はズレてしまう。
おわりに
私は最近、いざゆけ若鷹軍団や燃えよドラゴンズ!を聞いている。応援歌ランキングを作るのも面白そうだが、こちらは皮肉にもペナント成績や観客動員数を反映したものにはならず、その曲を聞いた瞬間、あるいは歌った時の思い出や、単に曲として盛り上がれるかなどが基準になるんじゃないかと思っている。こちらのほうがよっぽど音楽として純粋な評価をしてそうなのだが、どうだろうか。
ゲーム音楽ランキングも似たような感じになるはずなのだが、これはゲームに付随する要素でしかないため、おそらく「音楽的に純粋ではない」と思われて相手にされないのだろう。テクノやアンビエントがゲーム音楽に影響を与えているのは(少なくとも自分にとっては)自明だが、やはりゲーム音楽になった途端に評価の基準からは外れてしまう。クラブで群衆のノイズと共に聞かせるものと、テレビやPC、携帯機から出てくるSEとのミックスでは違うらしい。
映画音楽も同様だ。久石譲のベストアルバムも、影響度なら邦楽ランキングに入れそうなものなのだが。
語られ方の違いと、その語られ方の反映で自己反復が起こり、「いいものはいいよね」としか言えなくなるのはありがちだ。オールタイムランキングに古臭さがある原因のひとつである。
もしユニゾンが邦楽ランキングに入るとしたら、ユニゾンを聞いて音楽界に入ってきたバンドがどれくらい引用して語るかにかかっているだろう。それは皮肉にも「バンドが休止してから」でないとありえないのかもしれない。彼ら自身が叫んでいる間、誰が何を語ろうというのか。
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