バッハ《イタリア協奏曲》─秋の気配の音楽
バッハの《イタリア協奏曲》。
最近知ったばかりの、エフゲニー・コロリオフのピアノ演奏を。
初めてコロリオフのピアノを聴いたのは、《ゴルトベルク変奏曲》だったのだが、いっぺんで好きになってしまった。
音が好き。
すごく安心するのに、踊りたくなる、という不思議な感覚になる。
この《イタリア協奏曲》もまた。
明るさだけでなく、寂しさも内包した音。
特に2楽章が素晴らしく、1楽章から通して聴くと、その素晴らしさは倍増する。
好きすぎると、私は舞い上がりすぎて、人に伝える時に自分でも何を言っているのかわからなくなってしまうことがたびたびだ。
浮かぶ光景が言葉にまとまらない。
今から、感じたことを踊りにするから見てて、という方が早いくらい、言葉の出口が狭くなってしまう。
(踊る、といってもラジオ体操みたいな感じだけど、踊った方が早く表現できるから)
だけれども、なんとか「好き」を伝えたい。どこが「好き」か言葉で伝えたい。
J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach)
《イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV 971》(Italian Concerto in F major, BWV 971)
ピアノ:エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov)
I. (Without Tempo Indication)
音のチョコレートファウンテン。
コロリオフの演奏を聴いていると、何か下の方に盤石な、どっしりとした器があるように感じる。
そこに、音がチョコレートファウンテンのように注いでいる。
音があとからあとからあふれる。
山のように盛り上がって、
ほろほろと器に落下してくる。
重なっていた音が、空中でパラパラッとめくれて、四角い花びらになる。
花びらの音は落下すると、
Uターンして再び上昇。
音が鎖のように、縦に繋がっている。
トリルも縦に回転する。
循環する音は、乳白色と、やや暗い薄い藍色の花びら。
音が動くたびに、赤銅色の線が周りを縁取るように一瞬現れる。
音の循環を見ながら、体が縦に揺れる。
音の線が縦に動く。
ロックのリズム。
楽しい美しい、踊れる1楽章だ。
II. Andante
静かな哲学者。
左手で打たれる「とっ、とっ」という低音。
2楽章をずっと支えている、この雨だれみたいな音。
このコロリオフの左手の音が、私は大好きだ。
「とっ…、とっ」
「とーーっ、とーっ」
「とぅっ、とぅ」
「てゅっ、てゅー」
「のー、のっ」
というように、全部が違う響きで、違う顔をしているから。
話に耳を傾ける老哲学者が浮かぶ。
アリアが流れる。
ずっと歌って、何かを訴える旋律に対して、相槌をうつ哲学者のような音。
左手だけずっと聴いてしまう。
やさしくて切ない2楽章。
がっしりとした古木みたいに、そこに立っていて、絡まるアリアを支えている。
III. Presto
流線型に流れる秋の風。
音と音の間に、「ふくっ」とした空気がある。
空気……今、音とすれ違った!という感覚だ。
音が向こうから「さあっ」と吹いてきて、すれ違いざまに秋の匂いを置いていく。
音が残した空気が鼻腔から体中に抜ける。
「直線」ではなくて、音が「山なみの流線型」を描いて、しなやかな風みたいに聴こえる。
特に、下から湧き上がるような風を感じるところが大好き。
茶色い秋の音が、斜め下から帯のように幅広くなって、駆け上がってくる。
3楽章は、体が横揺れする。
♾️の図形が現れて、それに合わせて体が揺れる。
楽譜の音符の並びは直線だ。
が、コロリオフのピアノから鳴る音は、バネのある緩やかな曲線の風。
ただしなやかなだけではなく、強靭な、前進するような流動感もある。
冷たくもなく、柔らかすぎもせず。
湿りと乾きのちょうど真ん中。
春の湿った空気ではなくて、落ち葉の匂いのする空気。
もうすぐ吹いてくるはずの、秋の風みたいな肌触りを思い出す。
夏の終わりに、もう夏が終わるなんてことも忘れて外に出た時、ふと吹いてきた風の中に秋の匂いがする瞬間。
明らかに今までの空気とは違う、乾いた懐かしい匂い。
まだ、夏をしっぽに乗せたままで吹いてくる秋の風。
そういえばもう夏も終わるんだな、と寂しいような遠い気持ちになる瞬間。
(最近の夏は暑すぎて、こんな情緒は感じにくいですが)
そんな体感を思い出す演奏だ。
最後に。
こちらは、コロリオフによるショパンのノクターン。
こちらも秋風の匂い。
ほろっとしてしまう。
ショパン(Frédéric Chopin)
《ノクターン 第1番 変ロ短調 Op. 9-1》(Nocturne No. 1 in B-flat minor, Op. 9, No. 1)
