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夏が来れば思い出す「鈴鹿八耐」に初めて行った時の出来事!

今年2026年は、7月5日(日)開催でしたが、
所用で、終日、外出していたうえ、ここ2週間は多忙で、
土日も、仕事だったり、転職活動だったり、講習会などに、
たくさん参加していたこともあり、

今日気づいたら「鈴鹿八耐」が終わってから、
いつのまにか、13日が、経っていました💦

今は、便利な世の中で、レースの開始から終了まで、
ダイジェストで観れるので、現地まで行かなくても、かなり、
臨場感を感じられるので、助かりました!

尤も、
エントリーしたチーム数自体が、ピーク時と比べて相当減っているようで、
予選落ちしたチームは、3チームだけなので、
1980年代の狂騒を知っている身としては、資金力と、乗り手が、
揃えられれば、夏の鈴鹿サーキットで、鈴鹿八耐に参加できる時代に、
なったのは、嬉しいような、寂しいような気がしました・・・

リタイアしたチームが、例年に比べて少なかったのは、
やっぱり「雨」と「曇」で、気温が、高くなかったからかなぁと、
思いましたが、リタイアしたチームも、少なくて、
(レースを観に行ったお客さんは、大変だったと想像しましたが)

今年優勝した、高橋巧選手は、これで、鈴鹿八耐「5連覇」となり、
今後、この記録が、抜かれることは、わたしが、生きている間は、
恐らくは、無いだろうなぁと思いました。

一番驚いたのは、国外メーカーで、初めて表彰台に上がった
「BMW」のチームの活躍でした!

https://www.bmw-motorrad.jp/ja/experience/stories/brand/suzuka8tai_2026.html

来年は、どんな、鈴鹿八耐になるのか?
わたしに、経済的、時間的余裕が有れば、冥途の土産に、あと何回か、
現地に行きたいと、願うばかりです!

さてさて、
鈴鹿八耐を、知ったのは、忘れもしない、39年前の1987年の八耐で、
当時の派遣先だった、千里中央の住友ビルの最上階の食堂に置いてあった、
ブラウン管テレビで、レース結果のニュース映像を観たのがきっかけです。
当時のシステム開発業界は、お盆休み期間中にプログラムリリースを、
行うのが、当たり前で、日曜日も出勤していて、確かNHKの
夜のニュース番組でした(24時間戦えますか?の時代でした)

1987年の鈴鹿八耐は、はじめて、YAMAHAが勝った事に、
驚きましたが、
(当時日本人最速の、平忠彦選手は、ケガで、乗れなったので)

2位なった、ヨシムラスズキの高吉選手が、夜間走行時に、
もし転倒していなければ、鈴鹿四耐と八耐を優勝した、
初の選手になっていたのを、後に、発売されたバイク雑誌と、
1988年の八耐ダイジェストのVHSソフトを買って観て、
すごく感動したのを覚えています!
(ノンフィクションのドキュメンタリー映画に、出来そうですが・・・)

という訳で、
1988年の八耐は、是非、現地(三重県鈴鹿市)に行こうと、
半年前から計画を立て、入場券の購入から、行き方を調べたりする等、
行った人や、バイク屋さんとかに、色々と教えて貰い準備しました!
(その当時はインターネットが、無い時代なので、大変でした)

ただし、一番、のめり込んだのは、当時、流行していた、
角松敏生さんの『SEA IS A LADY』を、はじめ、

高中正義さん、カシオペア、スクエア(今はT-SQUARE)などの、
当時のジャパニーズ・クロスオーバーの曲を、CDから、120分の
カセットテープに、どの曲順で、録音するかで、結構悩みました(^^;)
(FM放送&カセットテープ&LPレコード&CDが共存する時代でした)

1988年の八耐前日まで、当時の勤務先まで、通勤の行き帰りに、
当時、大事に使っていた「ウォークマン」で、気分を高めていました~♪

1988年の八耐当日(7月31日)は早起きして、大阪難波(近鉄)から
白子駅迄、開催当日、鈴鹿八耐観戦者向けの特別な運行列車が出ていて、
片道約3時間は、列車内は、平日の通勤電車並みの混み具合でしたが、
大好きな音楽を、聴きながらだっことも有り、苦になりませんでしたが、

白子駅から、鈴鹿サーキット迄往復する、無料のシャトルバスに乗るのと、
乗ってからが大変でした、思い返すと、シャトルバスに乗客を載せ過ぎて、
途中でエンストする等片道の20分前後、鈴鹿サーキットに着いた時点で、
バスの中で、もみくちゃで、服が、汗で、びしょぬれになりましたね💦

当時主催者のスポンサーが外国のタバコ会社が多かったので入場する前に、
(マルボロ・ラッキーストライク・ロスマンズなど、色々有りました)
試供品のタバコを際どい衣装のキャンペーンガールのお姉さん達から、
たくさん貰えたので、お土産として、翌日の出社時に会社で配ったら、
たいへん喜ばれましたがロスマンズだけは不評だったのが面白かったです💦
(当時のわたしは喫煙者でしたが、安いショートホープを吸っていました)

他では、コカコーラや大塚薬品のポカリスエットが、
1リットルサイズ(特別な紙製容器)で、売られていました!
(1988年当時、ペットボトルは無く、アルミ缶が主流でした)
また、ウチワと帽子(共に紙製)も、配られていましたが、
貰い損ねたのを、書いていて、思い出しました・・・

幸いレースが、始まる30分前に、無事入場できたものの、
サーキット内は、もの凄い人で、十数万人が来場していたイベントに
参加したのは、個人的には、後にも先にも、この年だけなので、その
景色は、今でも「夏の1コマ」というか懐かしい「夏の思い出」です。
(来場者数は、後日「ウイリー」という角川書店が発行していた
 バイク雑誌で知って、そんなにも来ていたんだと驚きました・・・)

肝心のレースの方は、お客さんが多すぎて、走ってる所を観れる場所は、
全て埋まっていて近寄れず、メインスタンド前は、速度200キロ以上で、
走るバイクが早すぎて何号車が走ってるのかサッパリ分からず(見えない)
排気音も想像以上に大きく耳栓(イヤープラグ)が要るレベルでした・・・

更に、
当日はピーカンの晴れで気温30℃以上、風も無風で、照り付ける日射しで、
両腕は、結構日焼けしました・・・(左手の腕時計の場所だけ焼けてない・・・)
帽子を被っていたのは正解でしたが腰のベルトに装着したウォークマンは、
暑さのせいか、鈴鹿サーキット内で放送していたFMの実況放送が、
途中で聴こえなくなるなど(機械本体が金属製なので仕方ない?)、
トラブルも重なり、涼を求めて、空いている場所を探しながら、

レースが終わる午後7時近くまで、サーキット内の無料で入れる場所を、
ひたすら、歩き回って探していたら、夕方になっていたというのが、
実態で、実際に現地に行かないと、ワカラナイ部分は、正直、有りました

それでも、サーキット内では、面白いこともあり、物販コーナーで、
「国武舞」こと、清水国明さん(あのねのねの人)、ご本人さんが、
目の前でTシャツに、サインを書いて貰ったりしたのは、良い思い出です

実家に置いて来たので、探せば、見つかるかも、知れませんが、
(26年前は確かにあった)既に古いので、母が、捨てたかも知れません💦

他にも、当時の勤務先の取引先の関係で、総務の部長さんから、頼まれた、

鈴鹿八耐を走る選手が所属する自動車教習所のチームの物販コーナーで、

https://www.suzukacircuit.jp/motorsports_s/library/img/history/1988-grid.gif

出場しているチームのTシャツを、探しましたが、出展している場所が、
分からずで、結局買えず、うろうろしていたら、清水国明さんが、
Tシャツを手売りしてるのに、偶然遭遇するという、ラッキー(幸運?)
な事が有りましたが(今思えば)、レースを観に行った筈が、炎天下に、
鈴鹿サーキットの中を、歩き回って買い物をしにいっただけですね💦

心残りは、
帰りの電車(大阪難波(近鉄)行きの最終便)の出発時間の関係で、
鈴鹿サーキットから、白子駅まで、運行しているシャトルバスに、
乗るには逆算すると、午後7時に、出ないと間に合わないので、
泣く泣く、レースが終わる前に、鈴鹿サーキットを後にしたことです・・・

幸い、帰りのシャトルバスは、空いていて、割と早く白子駅に着き、
ホームに止まっている、大阪難波行きの、電車に乗る前に、
午後7時30分を過ぎた頃、遠目に鈴鹿サーキットの方で、花火が、
打ちあがってるのが見えました(花火の音は聞こえませんでした・・・)

その後、来年の、鈴鹿八耐を最後まで、観るには、前日に現地に移動して、一泊し、鈴鹿八耐の後も、もう一泊しないと、ならない事を理解しましたが
鈴鹿サーキット近辺のホテルは、一年前の時点で、既に予約が埋まっていてこういう弾丸ツアーみたいな事は、無謀なんだなぁと帰りの電車で、
角松敏生さんのインストの曲を聴きながら、疲れて、眠ってしまい💤
大阪難波に着いてから、隣に座っていたお客に起こされて、飛び起き、
南海本線のなんば駅まで、急いで走り、駅の公衆電話から、実家に、
今から電車に乗ると伝えてから、また、電車に乗り、
(まだ携帯電話自体が、とても珍しかった時代です)、
なんとか日付が、変わる前に、実家に帰り着きました💦
(なんだかんだで、お土産で、両手が荷物でいっぱいに、なっていました)

家に帰ると母だけ一人起きていて「風呂に入って、寝~や~」と云われて、
明日8月1日が月曜で出社なので、風呂につかり、身体を洗い、頭を洗い、
髭を剃り、個人的に、充実した1日を過ごせたことを、振り返りましたが、
還暦を過ぎた身としては、20代半ばで若かったから、出来たんだなぁと、
懐かしくも有り昭和の終わり頃は、令和と比べ日常生活面では不便ですが、
時間に追われることも無く、色々な点で余裕が有りましたね🙏

還暦を過ぎてからは、お金よりも、その日の時間の使い方に、
価値を感じてしまい、良い思い出を作る為に、お金を使うような、
過ごし方を、意識的に、行うようにしていますが、

わたしが、40年前の1986年に、自動二輪の中型免許を取った後、
実家で弟が乗らなくなった、原付を借りて、かなり乗りまわした後、
(弟達は自動車の普通免許を取ると、乗らなくなった!)

この鈴鹿八耐を機に、一年発起して、250ccの単車を新車で購入し、

2001年に、東京に転勤するまで、乗り続けましたが、やっぱり、
わたしは、車を運転するよりも、自動二輪に乗る方が、体感的に、
満足しますね。電動アシスト自転車も、悪くは無いですが、クラッチが
無いので、足で漕ぐスクーターみたいで、日常生活の足としては、
便利では有りますが、相棒という所までは、いかないなぁ・・・

確かに、わたしも自動車の普通免許を取りましたが、どっちか選べるなら、
125ccクラスのクラッチ付きの自動二輪の方が、還暦を過ぎた身でも、
春から秋までだったら、今でも乗りたいのが、本音のわたしです😁

鈴鹿八耐は、2年後の2028年の開催で、50年の節目となるので、
それを「夏の1コマ」にしたく、どうかその齢までは、生きていたいと、
切に願う、願いごとにもなりました!(七夕は、もう過ぎたけれどね💦)

とまぁ、とりとめもないですが、

それでは、今日は、これくらいで

では、また、次回にて

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