目標を「あえて」持たない生き方
今年の6月から8月にかけてTOEIC900点を超えるために、必死になって勉強した。結果935点を取ることができた。本当に嬉しかった。この2ヶ月の無駄じゃなかった。全てが報われたと、自分で自分を褒めてあげたいと心の底から思えた。
今、クロスフィットのレースに向けてトレーニングを積んでいる。前回の自分を超えたい。ゆくゆくは世界でも勝負できるようになりたい、そんな思いが自分を突き動かしている。日々少しずつ自分が良くなっていく様子を観察するのは本当に面白い。
しかし、もう目標を持つのをやめようと思う。
確かにTOEIC 900点を超えて、努力は無駄じゃなかったと自分で自分を正当化することができた。一方、その裏ではいろんなものを犠牲にしてきた。友人からの遊びの誘い、自分がやってみたいと思ったことへの制限、朝晩1分1秒切り詰めて勉強の時間にあてる・・・
自分が点数を取りたいと思って始めたはずが、だんだんと苦しくなっていた。最後のほうは、もはや自分との戦いであった。この戦いというのは堕落したい自分と点数を取りたい自分といったものではなく、果たしてずっとこんな感じで目標を追いかけ続けて、いろいろなものを犠牲にし続ける生き方が自分を本当に幸せにしてくれるんだろうかという疑問と、とはいえ、このTOEIC 900点はきっと将来の自分を助けてくれるんじゃないかと、どこか将来の自分にすがるようなそんな思い。この2つの間で葛藤していた。
トレーニング、もともとジムでかっこよく見せるような筋肉からきちんと使える、そして健康になれる体を目指したいとこのクロスフィットに移ってきた。最初はただ単純に前回できなかったことができるといった成長を楽しんでいたが、レースに出ると周囲の比較もある。それに対して嫉妬することもある。いろいろなイベントが出てきて、あれもこれも参加しなければと思ってしまう。もっとトレーニングをしなければと思ってしまう。もっと食べなきゃ体を大きくしなきゃ、〜〜しなければと思いが芽生えすぎて、気づけば、自分の成長を素直に喜べなくなっていた。
本来は体を動かして多少きつい思いはするけど、その後のすっきりと汗をかく感じや動きの中で自分ができなかったことができるようになっていく成長が何よりも気持ちよかったはず。その原点をいつの間にか忘れてしまっていた。
だからもう目標を持つのはやめようと思う。
ただ目の前に広がる景色を味わっていればいつかきっと全てを賭けたい何かと出会えるはず。そしてそのときは誰に何を言われても、どうなってもやるはず。こんな葛藤を抱えたり悩んだりすることもない。
今悩んでいるのは、多少なりとも周囲からの見られ方やこうあるべきと自分自身で決めつけているところがあるからだと思う。
目標を持つことはそれ以外のチャンスを見逃すことと同義。決断は断つことを決めると書く。つまり何かをすると決めているようで、同時に何かをしないと、自分の将来を決めつけていることでもある。
それそのものは、決して悪いものではない。これは強調しておきたい。ただ。両側面あることを知っておくに越した事は無い。
少しばかりゴールラインを設けずに、フラフラと道草を食いながら、楽しく生きてみる。
