23歳、社会人1年目、ポエム、12月8日〜

溢れだす思い。鎮めておいた方が良いもの、残した方が良いもの
溢れるものの中に自分なりに美を感じるか否か


人間もテセウスの船のようなものだ。日々や瞬間的に幾多の細胞が生まれ壊されている。少し前の自分もこれからの自分も果たして本当に自分と言えるだろうか。水は流れ雲は動き火は昇っては沈む。1つとして同じものはない。自然の中で生きる人間だけが変わらないなんて、そんなことがあろうか。


学ぶとは何か新しいものを取り入れることではない。気づくことなのだ。両親はいつも自分に考えすぎと言ってくれていた。自分はそれを受け取る体制ができていなかった。今ならその言葉の意味がわかる。どんなものも受け入れ受け止め受け取れる。ただあるだけでそれは叶う。


木が年々太くたくましくなっていくように、自分も少しずつ太くぶれないものへと変容していく。急な変化は、足元がもろくなる。着実に固めて、一歩一歩。


このあと

食器、所作、材料、すべてに妥協がない。それは良いものができる。
安い=良いではなく、高い=良い値段にはそれ相応の理由がある。安い=良いとしたのは、社会の風潮や観念。価値のあるものの方が良いに決まっている。

おいしいものには、噛みごたえがある。安いものや粗悪なものにはない。人間も同じかもしれない。噛みごたえのある人間でありたい。

シェフの使うことが最大のメンテナンスという言葉。人間の五感もそう、安いもの、単純なもの、偽物に慣れると五感が弱くなる。五感も使ってメンテナンスだ。


朝から借りに出かけ、夜は静かに眠る。これが人類夜に帰るのも、朝に何もしないのもミスマッチ。


公園にて

急に走り出す子供、歌い出し合唱が始まる。子供かと思えば立ち止まって枯葉を集める。子供そこに目的もゴールもビジョンもない。ただその瞬間に遊んでいる。なぜ大人がこもり詰めになるのか子供の頃はみんなそうだった。子供に戻ろう。それを味わえる公園はいい


自分がここ最近気づいたこと、ほとんどすべてこれまで誰かが言ってくれていた。いつかわかる時が来る。待つ。だから本との出会い、言葉との出会いも良い。今はわからなくてもいい。


父が使っていたカメラを譲ってもらいたい。しかしカメラでは切り取れないところがある。気持ち、流れ、全体。ただ一瞬の輝き、美しさ。彩りを収めたい欲もある。悩ましい、幸せな悩みだ。


自然にしか出せない彩りがある


季節や日々と同じように自分もうつろう


PCと向き合うときに良い姿勢なんてそうそう作れない。そんなふうに体は追いついていない。いかに離れるか立つか。


言葉が事実を作り出す事は無い。
それらは描写するか、あるいは歪めるか。
事実は言葉を必要としない。

すごい。

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