最近エッセイを読んでいる📖
『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』辻仁成
幸せというものは、欲ばらない時にすっとやってきて寄り添う優しい光のようなものじゃないか。
ぼくが離婚をしたのは息子が10歳になったばかりの年だった。
本書は14歳の頃からスタートするが、回想するように、息子が10歳だった当時に遡ることもある。
小学生が大学生になるまでの間の父子の心の旅の記録である。
ぼくは父であり、母であった。
シングルファザーになったあの日から
自分の前では泣かない10歳の息子。ある日、寝ている息子の腕の中にあるクマのぬいぐるみ「チャチャ」がビチョビチョに濡れている。
それが息子の涙だと気づいたときのお父さんの気持ちを考えると胸がぎゅーっとなるし、息子の気持ちを想像してみても胸がぎゅーっとなる。
そんな2人がパリのアパルトマンで過ごした記録。お父さん、辻仁成さんの視点から書かれている
私は辻さんのことをずっと小説家だと思ってたけど、音楽家?やっぱり小説家?謎が増えました。
この本は料理本なのかなというくらい食べ物の話が沢山でてきます。
特にいちぢくのタルトの話が好きです。
来客用に作られたけど
(フランスではストが頻繁に起こる。それが理由で遊びに来られなくなってしまった息子のガールフレンドに食べてもらうはずだった)行き場の無くなったいちぢくタルト。
突然の小さな来客に「タルトあるけど食べる?」「食べる!」と良い返事が帰ってきてタルトは事なきを得る。その子のために生クリームを泡立てて、タルトの隣に添えてあげる。
そして自分は食べない。作った張本人なのに。男はいちぢくをそんなに食べない、本当かな?
いちぢくタルトは結局、父も息子も食べなかったけど料理を通して2人は生きてきたんだなと感じられるシーンが沢山
2人きりの家で、親子2人で生きてきて、やがて1人ずつになっていく。そして次は違う誰かと出会いまた2人で暮らしていったりするのかな
朝は機嫌が悪かったり、大喧嘩をしたり、かと思えば実家はパリにあってほしいとごねたり。
そんな子どものことを親はいつまでも可愛くてたまらないのだろうなっていうのが文章からヒシヒシと伝わってくる
父親と息子。2人の人生の断片を見せてもらってるような本でした。
『雨はコーラが飲めない』江國香織
「雨と私は、音楽の好みが全然違う。他のところは、すごく似てるのに。」
はじめて雨に会った日のことは、忘れられない。凍えそうに寒い、十二月の、雨の日だった。濃い栗色の巻き毛をした雨は、オスのアメリカン・コッカスパニエル。私たちは、よく一緒に音楽を聴いて、二人だけのみちたりた時間を過ごす。もちろん、散歩にも行くし、玩具で遊んだりもするけど。甘えたがりの愛犬との特別な日常や、過去の記憶を呼び覚ます音楽について
「なんて詩的なタイトルなんだ」と思って読み始めて、雨が一緒に暮らす犬の名前だと知りました。
確かに、犬はコーラ飲まないな、事実を述べてるだけだったけど、それにしたってやっぱりおしゃれ。
雨と過ごした時間が書かれている。そのとき、一緒に聴いたレコードの名前も。けど、私は音楽に造詣が無いので、ついには殆どの曲が分かりませんでした。音楽に詳しい人なら、より楽しく読めるんだろうな…
印象的だったのは、雨が江國さんと同じ食べ物を食べていたこと。植物にもアルコールをあげたりする。『きらきらひかる』という小説が好きで、その中にも自分の呑んでるワインだかの洋酒をあげてるシーンがでてきます
猫に人間用のチーズをあげてて、それが猫の寿命を縮めたかもしれないと今でも罪悪感を持ち続けたまま、ビクビク生きてる私とは全然違う。
今が美味しく、楽しく、豊かであればそんなのはきっと些細なことなのかもしれません。
何か別のエッセイ本で、江國さんが石鹸の香りは人の肌の上や水と泡立てているから良いのであって、
固形の石鹸をタンスの中に入れて香りを楽しむなんて全然よろしくない!(そんなニュアンスの話、所々自信がないです。石鹸の香りが素晴らしいのは人の肌の上と、もう一つは合ってたかな。とにかくタンスの中に入れるのは全然良くないと書かれてた)
私は首がもげるくらい頷きたかった。
そのもの自体は素敵なのに、いやその使い方は、その表現の仕方は違う気がするって、コトやモノがこの世にありすぎる気がします
この世の尺度を自分の目で見てしっかりはかりながら、家の中で雨とレコードを聴きながら過ごしてる
自由とユーモアを大切にした著者と雨の記録。
雨が降った日にコーラ飲みながら読んだらきっとおしゃれですね笑
『美男の国へ』岩井志麻子
東京・ホーチミン・ソウルと3人(〜5人)の愛人を持ち、生きたいように生きヤリたいようにヤル女・シマコ。しかし、それでも満たされない何かがある...あまりのしょーもなさに爆笑し、あまりの哀しさに涙が止まらない魂の放浪記
私が岩井さんをはじめてみたのは、マツコと有吉の夜会。不思議な恰好をした人だなーって印象だけだったけど。
なんか一周回ってこんな恋愛も楽しそうだなと思えてくる。韓国とベトナムと日本の歌舞伎町にそれぞれ彼氏がいて、若かったり、生まれや住んでる地域によって全然性格が違ったり、その文化の違いさえ笑い飛ばしてしまうくらいのパワフルさがあって。
エッセイはその人の全く知らなかった部分に思わぬ部分から触れられて、気づけばその人のことを好きになってたり、気になって仕方がない存在になってたり。
岩井さんはこの本の中だけでも何回飛行機に乗ってたかなってくらい、飛行機に乗って国と国を飛び回り(殆ど彼氏に会うためだけに)
3人の彼氏(時々増える)を振り回して、振り回されて。
時々、その彼氏たちのことをまだ小さかった頃に別れた子どもたちと重ね合わせている瞬間は少し胸が痛かった。
私はこの本を読んで、岩井さんが不思議な恰好をした不思議な人から、人間らしくて可愛い好きな人になりました。
自分ならもうちょっと穏やかに生きたいと願ってしまうけど、それも含めて岩井さんの良さなんだろうなって思いました。
1番笑ったのは、韓国のどこか
そこの出会いの場みたいなところで、自分の名前を「竹島」と名乗っていたところ。
「名前は?」「竹島」
竹島がいくら政治的な名称だからといって名前が竹島なら、彼女と仲良くなりたいと願う男性たちは彼女のこと竹島と呼ぶしかありませんもんね。
なんかすごい竹島がいるって、そのホテルで話題になったって。
なんかどこまでもすごい人だな…。
『生きるとは、自分の物語をつくること』小川洋子、河合隼雄
人々の悩みに寄り添い、個人の物語に耳を澄まし続けた臨床心理学者と、静謐でひそやかな小説世界を紡ぎ続ける作家。二人が出会った時、『博士の愛した数式』の主人公たちのように、「魂のルート」が開かれた。子供の力、ホラ話の効能、箱庭のこと、偶然について、原罪と原悲、個人の物語の発見……。
それぞれの「物語の魂」が温かく響き合う、奇跡のような河合隼雄の最後の対話。
私が1番好きな小説家は小川洋子さんと森絵都さんです。1番が2人いたら、それは1番じゃないってよく言われるけど、私の中では2人とも1番です。
エッセイの中で、好きな本の話をしてると嬉しくなります。作者が作品について事細かに話しているとしらけるという意見も耳にするけど。
小川さんの作品は明かされないまま、終わっていく話も多い気がするので「実はこの話はね」とエッセイで話がはじまると、宝箱の中を少し覗き見させてもらってるみたいでとてもとても楽しいです。
「ルートってさ」軽い合いの手みたいに、おどけた喋り方をする対談相手の人がすごい先生って知るのは、本を読んでる中盤くらいでした。
対談形式で、進んでいく話。どちらの話の中でもそうなんだとはじめて知ることが沢山ありました。私は親父ギャグが好きな先生をあまり病院で見かけたことがないので新鮮でした。みんな隠してるのかな🤔
そして続く長いあとがき。本来は、対談の話で埋まるはずだったページは小川さんの1人語り、河合隼雄先生への追悼で幕を閉じます。すごく悔やんで、悲しんでいたけど。
自薦より推薦のほうがずっとその作品が素敵に見えるように、誰かに話されるからこそ、見えてくるその人の魅力のようなものがある気がします。
叶うなら、その先にある2人の対談を読んでみたかったなという気持ちはやっぱりあるけど、それと同じくらい小川さんの目線から語られる、河合先生の姿はとても素敵で優しく温かい人だったんだなというのがそこに書かれている言葉だけで伝わってきました。
今、何かを悩んだり、苦しんだりしている渦中の人がこの本を読んだり、触れる機会が少しでも多くあればいいなと切に願います。魔法みたいな本でした。
