金属AMはオワコンなのか?
——いいえ、まだ始まっていないだけです
今日、AM関連の展示会に行ってきました。
正直に言うと、最初に感じたのは
**「オワコン感が漂っているな」**という印象でした。
ただしそれは、
金属AMという技術が終わった、という意味ではありません。
「まだ始まっていないのではないか」
そんな違和感を強く感じた、というのが正確なところです。
なぜ金属AMは「終わったように見える」のか
そう感じた理由はいくつかあります。
「あれに使われている」という具体的な話をほとんど聞かない
ビジネスとして成功している例が極端に少ない
(少なくとも国内では、X社が事実上独占し、残りを数社で分け合っている印象)
専門家が分断されている
材料出身
熱・プロセス出身
加工出身(←私はここです)
そして、私自身の実例として、
社内のAM関連部署(私の部署)がなくなった
という事実もあります。
それでも「終わった」とは思えない理由
私は、2018年から金属AMに関わっています。
一方で、樹脂系のAMについては、
AMや3Dプリンタという言葉が一般化する以前、
RP(Rapid Prototyping)と呼ばれていた時代から
何らかの形で関与してきました。
当時のRPは、
量産技術でも、夢の技術でもありません。
あくまで試作のための現実的な手段として扱われていました。
だからこそ、
今の金属AMが背負っている
「過剰な期待」と「過剰な失望」の両方に、
少し距離を置いて見ています。
現場は、始まりかけていた
私のいた部署では、
体制が整い
顧客との信頼関係を築き
アプリケーションを複数確定できた
その段階まで、来ていました。
それにもかかわらず、
突然の事業判断による取り潰し。
正直、今でも再開したいと思っています。
そして、その業界で
金属AMが本格的に採用されたという話は、
その後まだ聞いていません。
だから私は思うのです。
金属AMは終わったのではない。
始まっていないだけだ。
金属AMが難しすぎる本当の理由
金属AMが難しい理由は、
装置が高い
プロセスコストが高い
それだけではありません。
一番の理由は、「DfAM(AM前提の設計)」です。
AMは、
技術単体では成立しません。
設計思想そのものを変える必要があります。
ところが、ここに大きな壁がある。
DfAMが進まない理由を率直に言うと
DfAMについて、私が感じていることを率直に言います。
誰も知らないことを始めるのは、とても難しい。
今、普通に設計できるものは、
普通に別の製造手段で作れてしまいます。
もし誰かが
「AMならでは」の設計を思いついたとしても、
多くの場合は上司や先輩にこう言われます。
・・・それ作れないよ・・・
その瞬間、設計は
AM前提から、従来製法前提へ引き戻されます。
今の製造業には、
従来方法で作れるものしか設計できない仕組みが
ごく自然に存在しています。
DfAMとは、
形状を少し変えることではありません。
前提そのものを壊し、
概念から作り直すことです。
簡単なわけがありません。
それでも、一つだけ大きなヒントになったこと
そんな中で、
私が「これは手応えがあった」と感じた事例があります。
軽量化です。
それも、中空化。
ただし、理想論の中空ではありません。
金属AMでは、
内部に金属粉が残るため、
完全な意味での中空は成立しません。
でも、だからといって諦める必要はなかった。
本当の意味での「AM的中空」
極端な薄肉化でいい。
切削に耐える必要があるなら、
その工程に耐えられるだけの強度を持たせればいい。
別の部品と組み合わせるなら、
その役割に耐える設計をすればいい。
一定の肉厚にする必要はありません。
AMでは、
強度が必要なところに
必要なだけ材料を置くことができる。
これは形状設計ではなく、
荷重と機能を再定義する設計です。
多分、
これが私のやりたかったことです。
金属AMは、長い黎明期にいる
金属AMはオワコンではありません。
ただし、
技術を特別なものにしすぎた
正解がないまま完成品扱いされた
組織と評価の仕組みが追いつかなかった
その結果、
非常に長い黎明期にいる。
私はそう感じています。
技術はある。
装置もある。
知識も、部分的にはある。
足りないのは、
それらをつなぎ、
成立させるための時間と人です。
終わりに
だから私は、
「金属AMは終わった」とは言いません。
始まる前に、息切れしているだけ。
この記事は、
今日展示会を見て感じた違和感を、
自分なりに整理した記録です。
ここから先は、
また別の機会に、続きを書こうと思います。
