陽気に遠い春
あまりにも似すぎていないかと、私は時々ひどく悔しい。
幾分か広い世界を見てきたはずなのに私の頭は固く何かと排除したがる傾向にある。自分と同じ意見(考え)でなければ排除してしまいたくなる。
そうでなくありたいと20年ばかり願ってきたのに、そうである現実にひどく悔しがってしまう。
美容室の後に店内BGMが大きい居酒屋でビールを飲む事はルーティン化されていて、何でもないことを論理的に考えようとしてしまう。
back numberの曲たちを甘酸っぱいと思えたままで生活ができているような人間が近くにいるとしたら、私は穏やかに過ごせるのか?いらつくのか?救われるのか?
苦しい日々に抱きしめてくれる味方なんてもうこの歳ではいないのだという事実だけが分かった。思いっきり泣きたい時はどこに行けばいい?どんな声で泣けばいい?誰の前なら泣いてもいい?もう、自分がどんな顔をして泣くのかさえ見当もつかない。それでも今日を生きないと、今日も生きないと、の連続で、誰か、お願いだから、私があの場所へ引き返すように仕向けてくれないか。
少しだけ酔っ払った夕方はキティちゃんの小物を買いたくなる。少女の頃に戻りたくなって、でも友達は、あくまでも心の中の友達は、なかむたしかいない。私はどこに向かっているの?何になりたいの?私の友達たちと呼びかけて何人集まるの?
現実なんて知りたくないよ。
オードリーの若林は良い歌詞を書くと友人は言う。君は政治家やドラマの主人公たちを呼び捨てにせず、さん付けをするよねと指摘された。
恋愛において引き寄せの法則はあると思うと、別の友人は言う。君は「典型的な日記を書いてそうな人」だよねと指摘された。
可愛子ぶっても、私は軍事・安全保障に詳しい。仕事柄、銃を撃ったこともある。街を歩く女の子たちと比べると非常に勇敢である。可愛子ぶるなんて無駄だと思う。
デートをして早めに解散して、夜からは居酒屋で1人飲みをしようと計画を立ててしまう間はきっと結婚はできないのだろう。顔が整った店員さんが膝掛けを貸してくれたら舞い上がるし、ハイボールをゴクリと飲んだ先にその店員さんがいたら照れちゃうし。
色々な感情の浮き沈みも、文章を書いていたら落ち着くから。私の感情の浮き沈みの落ち着かせ方は文書を書く事だけで、感情を文にするというそれだけなの。けれど、決して立派なものじゃないの。だけれど私は、感情の落ち着かせ方として文章を書くという手段しか持ち合わせていないから、あの物語の文菜という女に同情したくなかったの。
みんな、なかむたの30年間生きてみて思ったことを見た方がいい。
陽気には程遠い春の始まり。
