【猫の秘密がふたりの魂を再生させる】~紙に絵の具を塗っていた僕が絵を描いた:青春ミステリー短編 (2750文字)
ーその猫には秘密があるー
恵理子は屋上に吹く風が好きだった。
足をケガしてからというもの、バレー部の練習に戻れず、放課後になると松葉杖をついて静かな屋上に向かうのが日課になっていた。
跳んでいた日々が、遠い夢のように感じられる。リハビリに踏み出す勇気は、まだなかった。戻れる保証のない場所に、自分を投げ出すのが怖かったのだ。
<ある日、屋上に先客がいた>
絵の具のついた派手なツナギを着た男子生徒が、スケッチブックを広げて絵を描いていた。
「天川悠馬君、だよね? 絵のすごく上手い人」
"絵の天才"と噂され、数々のコンクールで優勝している。同じクラスにいながら、彼が誰かと楽しげに話しているのを見たことがなかった。
恵理子にとっても、悠馬は“LINEの連絡網で名前を知っているだけの人”にすぎず、今日、こうして言葉を交わすのが初めてだった。
恵理子がスケッチブックをのぞくと、そこには何枚もの猫の絵が並んでいた。「猫、好きなんだ?」
「いや、人を描くと猫になるんだ。不思議だけど、そうなる」
冗談のような言葉だったが、よく見ると猫の顔つきや仕草に、クラスメイトや先生の面影があった。
「これ、英語の先生じゃない?」
「そうだ」
「人が猫になるなんて、さすが天才って呼ばれるだけあるわ」
彼は何も答えなかった。
「私、最近猫を飼い始めたの。私も猫、大好きよ」
それ以来、恵理子は屋上で悠馬の描く猫の絵を見るのが日課になった。悠馬は相変わらず無口だったが、質問にはちゃんと答えてくれた。
「私も絵の才能があったらなぁ」
「僕は紙にきれいな絵の具を塗ってるだけ。本物の絵じゃない」
「どうして? コンテストで何度も優勝してるのに」
「僕の絵は、ただのコンテスト向け。本当の絵って、魂の救済ができるんだ。描くことで自分も誰かも救える。でも、今の僕には、そのどちらもできない」
そう言って、悠馬は気まずそうに視線を落とした。口にしてしまったことを、少し後悔しているようだった。
「なんだ、意外とよく喋るんだね」
恵理子は驚いたように言いながらも、優しく笑った。
◇◇◇
<数日後、恵理子は興味を抱いて、ある提案をする>
「ねえ、悠馬君。今度、私を描いてみてよ」
「君を?」
「うちに来ない? 私の“魂”が描けるか、試してみて」
戸惑いながらも頷くと、恵理子はにっこり笑った。悠馬が恵理子の家を訪ねると、彼女が差し出したのは自分ではなく一匹の猫だった。
「ごめん……人を描いたら猫になるって言うから、本物の猫を描いたらどうなるのか気になって。がっかりした?」
いたずらっぽく言う恵理子に、悠馬は何も言わず、猫をじっと見つめてから決意を込めたように口を開いた。
「わかったよ」
<1時間後、彼が描き終えた絵を見て恵理子は驚く>
そこには、幼い女の子が寂しげに泣いている姿があった。
「……これ、何?」 恵理子の表情が曇った。
「前に猫探しのポスターの絵を頼まれて描いたんだ。この猫、女の子が必死に探してる」
「……嘘……」
その言葉に、恵理子の全身が凍りついた。
絵の中、泣きじゃくる少女の背後で、見覚えのある猫の尻尾が揺れていた。
「最初から、全部知ってたのね」
「君のLINEの猫のアイコンを見て気づいた」
「人が猫になるなんて、嘘だったのね。私の猫を確かめるために、わざと近づいて騙したんでしょ」
彼女は絵をつかみ、破った。破れた紙片が床に散り、色彩だけが静かに残った。
「何が“魂の救済”よ。笑わせないで。この子がいなかったら、私は壊れてた。跳べなくなって、どこにも行けなくなって……そんなとき、足をケガした迷い猫を助けたの」
「君の気持ちは、わかるよ」
「わかるわけないでしょ!……天才なんかに、私の痛みなんて!」
彼女の声が震え、涙が言葉をにじませた。
「私は、小さな体で誰よりも努力して、やっとエースになったの。それなのに……あの子も私も、同じように迷って、傷ついて、そして出会ったの」
ぽつりと呟く。
「自分の魂を、私はもう自力で救えないの……」
悠馬は破られた絵の断片を見つめていた。静かに、深く。
「それでも、誰かの魂なら、救えるかもしれない」 その声は、消え入りそうな風のようだった。
◇◇◇
それから、ふたりは言葉を交わすこともなくなった。恵理子は屋上にも来なくなった。
恵理子が猫を飼い主の元へ返したのは、その数日後。不思議なことに、別れ際も涙は出なかった。
ただ、猫の部屋だけがぽっかりと空いたまま、在り続けていた。散らかった毛布、ひっくり返ったおもちゃ——どれにも、まだ触れられずにいた。
感情は胸の奥で凍っていた。動かすことも、見つめ直すこともできずに。恵理子は松葉杖をつきながら、コートの隅でバレー部の練習を遠くから眺めていた。
仲間たちの声や、ボールの音が遠く響く。
__自分の場所はもうないのだと、静かに思った。
「これ、預かってきた」
声のほうを振り向くと、悠馬が立っていた。
差し出された封筒には、子どもの筆跡で書かれた「ミーちゃんを助けてくれてありがとう」の文字と、クレヨンで描かれた一枚の絵が入っていた。
それは、猫を抱く小さな女の子と、隣でそっと寄り添う女性の姿──松葉杖をついた自分自身だった。
「私、描かれてる……」 震える声でつぶやいた。
あの女の子が、自分をこう描いてくれた。
「守れてたんだ、ちゃんと」
猫を、女の子を、そして、もしかすると自分自身を。温かいものが頬を伝って落ちた。
ー思い出せなかった涙が、ようやく流れた瞬間だった。
◇◇◇
目的は果たしたはずだった。それでも悠馬は、屋上に足を運び続けた
彼は静かにスケッチブックを開いた。しかし手は動かない。ページには途中まで描かれた絵がいくつも重なり、どれも未完成のまま。
「やっぱり僕は、本物の絵は描けない。どこまでいっても、半人前だな」
<そのとき、背後でドアの開く音がした>
振り向くと、そこに立っていたのは——松葉杖を手放し、汗をにじませた恵理子だった。バレー部のユニフォーム姿が、陽にきらめいて見えた。
「やっぱり、ここにいたんだ」
彼女の声は少し照れたようで、けれどまっすぐだった。
「元気そうだね」 悠馬が静かに微笑む。
「ねえ、女の子の絵に、松葉杖の私が描かれてたよね。女の子の家に返しに行ったときは、車椅子だったのに。不思議だと思って……どうして、そんなふうに描けたのかしら?」
悠馬は何も言わず、描きかけの絵をじっと見つめた。
恵理子は小さく息を吐いた。
「……まぁ、いいわ」
「今度はさ、私が跳んでる姿をちゃんと描いてね!」
ーその声に、悠馬はゆっくりと顔を上げる。
「今度は、人を描くよ!」
その瞬間、屋上に風が吹き抜け、スケッチブックの新しいページがめくれた。空には、やわらかな光が差し込んでいた。
あとがき
その絵に描かれた「間違い」は、彼が仕掛けた世界一優しい嘘だった。
猫の秘密を全て解き明かしたとき、あなたは「真実」を知る
TALSEのイラストからはじまるショートストーリーの応募作で私の渾身の青春ミステリーでしたが、入選できませんでした。残念・・・
ですが!私の最高傑作なので、noteで公開します!
半年たってもミステリー部門でランキング89位に入っています!よかった~

