見出し画像

シンガポール行きの飛行機はどこでもドア 『マジカル・シークレット・ツアー』

実際の金密輸事件に着想を得た本作は、犯罪のスリルよりも、生活に追い詰められた女性たちの閉塞感と解放感を描いた異色の犯罪映画に仕上がっている。
夫の急病で発覚した横領と失業と多額の借金、非正規研究者の貧困、毒親の搾取。行き場を失った女たちは、シンガポールへの旅で日常から抜け出し、危うい自由を手にする。金密輸という題材を通して、女性の生きづらさ、家族、貧困、犯罪の境界を描き出す。

2026年6月19日(金)公開 全国ロードショー

■あらすじ

 小川和歌子の夫がくも膜下出血で突然倒れた。幼い子供二人を抱えたまま彼女は途方に暮れるが、それより驚愕させられたのは、夫が会社の金を横領してクビになっていた事実だ。夫は家の金も彼女に黙って引き出しており、預金の口座残高はほぼゼロ。夫の実家家族も自分の実家も頼りにならず、働きに出ようにも子供がいては仕事もすぐには見つからない。

 そんな彼女に持ちかけられたのが、怪しげな「荷物運びのアルバイト」だった。シンガポールで金インゴットを手渡され、それを荷物や衣類の中に隠して日本に運ぶ。日本でそれを所定の相手に渡せば、報酬が受け取れるのだ。

 あまりにもあっけなく手に入った金に味を占めた和歌子は、シンガポールで知り合った他のアルバイト二人にも声をかけ、組織を介さず自分たちでこの仕事をしようと持ちかける。

 だが金の密輸には、金を購入するだけの元手が必要。和歌子にはその資金源になりそうな心当たりがあった……。

■感想・レビュー

 この映画は、2017年に愛知国際空港で5人の主婦が金密輸容疑で逮捕された事件から生まれた。監督・脚本の天野千尋は「主婦が密輸事件に関わる」という部分に興味を引かれ、そこから密輸を行う人物たちの物語を想像していったという。映画の着想を生んだ事件は実在するが、その他の部分はほぼフィクションだ。

 犯罪映画だが、この映画には犯罪の手口があまり詳しく描かれていない。金の密輸は消費税の差額を利用する犯罪なのだが、そのあたりは軽く触れるだけ。実際の密輸では入国時審査より、飛行機搭乗前の手荷物検査の方が厳重だと思うが、この映画はそこに一切触れようとしない。子供と赤ん坊のパスポートをどう用意したのかも、完全に無視されている。

 要するに本作の中では、「飛行機での移動」が事実上存在しないのだ。和歌子たちは日本を旅立つと、すぐにシンガポールの街の中に直結する。飛行機移動は彼女たちにとっての「どこでもドア」だ。日本は浮き世の憂さに満ちた此岸だが、彼女たちはシンガポールという彼岸に渡ることで生きづらい世界から抜け出して生き生きと羽を伸ばす。

 シンガポールでの彼女たちの様子があまりにも無防備・無警戒なのは、これが犯罪映画ではなく「異郷の地で日常の生きづらさから開放される女たち」を描いているからなのだ。

 そのためこの映画では、主人公たちの「日常」がじつに丁寧に描かれる。三者三様の生きづらさや、生活の閉塞感を、事細かく精密に描写するエピソードと、それを具現化する美術の仕事ぶりには驚かされる。こうした緻密な描写が日常の息苦しさを積み上げていくからこそ、シンガポールへの最後の旅は主人公とそれを見守る観客にとっての「解放の旅」になるのだと思う。

 犯罪をモチーフにした映画でもあり、この物語にハッピーエンドがあり得ないことが最初からわかっている。しかしそれでも、観ている側はヒロインたちをうっかり応援してしまうのだ。

ユナイテッド・シネマ豊洲(4スクリーン)にて 
配給:アスミック・エース 
2026年|1時間56分|日本|カラー 
公式HP:https://magicalsecrettour.asmik-ace.co.jp/
IMDb:https://www.imdb.com/name/nm4561837/

いいなと思ったら応援しよう!

服部 弘一郎/映画批評家 よろしければ応援お願いします! いただいたチップは映画代や書籍代に使わせていただきます!

この記事が参加している募集