思考ログ | 私は、語ることがない人だと思っていた(11)
私のこのアルゴリズム的に見えるなにか、これは私が意識しない状態で実行されているようだ。私自身がこうやって話を聞こうとも思ったことはないし、いつの間にか自然にそうなっていた、としかいえないもの。しかも、そのようにしていたこと自体を忘れている。今回書き出してみて初めてわかったアルゴリズム的ななにか。何かを覚えるのが苦手すぎるとはいえ、流石に覚えてなさすぎではと感じてしまう。情報が並べられて、話が終わると私の中からまるで何もしてなかったかのように失われてしまう。まるでそのようにプログラミングされているかのように見える。私に残るのは、話を聞いて、思いついたことを言ったんだった、くらいで、本当に話を聞いていたのかすら危ういレベルのように見えてしまう。ただ、周りの人から忘れっぽいとか、覚えてなさすぎだけど大丈夫?と言われたことはない。家庭も仕事もまぁ問題なくやっている方だと思う。少し忘れっぽいくらいなんじゃないかな、程度には収まっていると思う。ということは社会生活をする上ではどうやらなんとかなっているのだろう、と思って少し安心する。
なぜこんなに漠然とした記憶しかないのに社会生活を(それなりではあるが)無難に送れているのだろう、と考えると不思議なことに必要な時に思い出せるからなのかもしれない。私の頭の中に保持されてないものも何かのきっかけがあれば、なんとなく思い出せているように感じる。もちろんはっきりはしてないけど、話を合わせられるギリギリの解像度では思い出せている。きっかけはなんでもいい。手元のメモの時もあれば、あの時の話の件だけど、みたいなのでもいい。アクセスしようとしてもなかった記憶が突然戻ってくる。まるで最初からそこにあったかのように。それを頼りに私は社会生活を送っているように感じる。ここまで書いて、自分はやっぱり大丈夫なのか、という気もしてきたけど、仕方ない。ずっとそういう感じで過ごしていたのだから、今更なことだ。
そんな感じなのだから、覚えることが苦手なのもそりゃぁそうでしょうねぇ。という気持ちになるし、よく学生時代こんな記憶力で生き残っていたなとむしろ感心してしまう。大人になって、テストがない生活は本当に気楽だ。必死に覚えることをしなくていい。大人万歳である。
