思考ログ | 私は、語ることがない人だと思っていた(12)
思い出そうとしても薄らぼんやりとしかしていない記憶と、必要な時になぜか出てくる曖昧な記憶でなんとか社会生活を送っている私が、友人たちに積み重ねによる美しい語りをプレゼントしたいというのは、そもそも筋が悪いことだったようだ。語る以前に美しい語りの核となるディテールを覚えていることがあまりないんだから。もちろん、友人たちに私が受け取ったものと等価なプレゼントを渡したい、という私の思い込みによるものだったから今となっては悩まなくても良い悩みだったなと思っている。
ここで一件落着かというとそうではない。このブログは「語ることがない人」と思っていた私が、「語れることがある!」と、ある時なぜかそう思って書こうと思って書き始めたのだった。今の現在地は私の記憶がやや心配になる程に曖昧であるということだ。さすがにこのままだとあまりに雑すぎるので、もう少し考えを進めようと思う。
私の記憶はかなり曖昧だ、という話をしていたけれど、はっきりとしたものだって残っている。印象的な出来事、好きな本、映画、漫画たち。
例えば、「はてしない物語」これは私が小学生の頃に出会って世界一大好きな本だ。何度も何度も何度も本当に何度も読んだ。今でも世界一好きな本だと確信している。私がはっきり覚えているところは、バスチアンが自分が今読んでいるこの本が、はてしない物語の本であると気付いたところだ。
例えば、「ローマ人の物語」これも夢中になって読んだ。私がはっきり覚えているところはハンニバルが冬山を超えて、ローマ軍の想定外のところから登場するシーン。
例えば、「三体」シリーズ。途中で辞められず徹夜して読んだ。はっきりと覚えているのは「三体Ⅱ 暗黒森林」で羅輯が三体文明を退けたシーン。
例えば、映画のマトリックス。ネオがいる世界が仮想現実であることがわかるシーン。
夢中に読んだ本、見た映画なのにも関わらず、振り返ってみるとはっきりしているシーン以外はなんとなくのあらすじが曖昧に残っているくらい。私にとっての通常運転である。
ここでふと疑問が出てくる。なぜ、私は前述のシーンだけ、はっきりと思い出せてしまうのだろうか。その他のことはすっかり曖昧になってしまっているというのに。
なにか、共通点があるような気がしてきた。
