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「近代化とは何か。人間とは何か」水俣・京都展で知り、学び、考えた時間ともらった問い

昨年12月、水俣フォーラムが開催する「水俣・京都展」に行ってきました。

展覧会のテーマは、
「人間とは何か」

水俣病が問い続けていることです。

水俣病のことは、「チッソが流し続けたメチル水銀によって発症した日本の公害」という教科書で学んだ知識があるだけでしたが、心のどこかでずっと気にかかっていました。

特に、ここ最近、未だ水俣病の裁判が続いていることや、コロナワクチンによる薬害被害や半導体工場TSMCによる公害への懸念などを見聞きする中で、水俣病への関心が高まっていることを感じていました。

そんな折、昨年秋から娘が通っている、森のようちえんの先生が水俣フォーラムの理事をされていることが後押しとなり、「水俣・京都展」を観に、京都まで行くことを決めました。

2022年に娘が生まれてから、初めての一人旅。神奈川から京都まで日帰りで、滞在中の4時間すべて使って展覧会をじっくり見てきました。展示を前にすると、様々な感情が込み上げて胸がつまり、涙が止まりませんでした。
なかなかうまく言葉にまとめられないのですが、「水俣・京都展」を通して知り・学び・感じたことを、書き留めておきたいと思います。

水俣展とは

水俣病を伝える展覧会「水俣展」は、1996年の東京展以降、全国26会場で開催され、16万人以上が来場する展覧会です。全国の会員980人、会友14000人によって構成される認定NPO法人「水俣フォーラム」が主催しています。

水俣展は、「水俣病事件の事実は現代日本に何を物語るのか。」をテーマにした展示(パネルや写真、絵画など)と、「水俣病の経験から何を学ぶか。展示を超えて、さらに学びたい人のために。」をテーマにしたホールプログラム(患者さんからのお話や水俣病に関する映画鑑賞と有識者の講演など)で構成されていました。

日程の関係でホールプログラムには参加できず、展示のみの観覧でしたが、水俣病とは何だったのか?何が起きたのか、何が起きているのかを、患者視点・チッソのこと・国や医学や化学のこと・自然環境のことなど多様な視点から順を追って知ることができ、
家族写真や水俣病以前からあった暮らしの写真などの展示物から、水俣病の被害に遭われた方々の確かにあった暮らし・人生の一部に触れさせていただき、
「水俣病とは何だったのか?何を物語っているのか?」
「人間とは何か?」

……多くのことを考えさせる内容でした。

展示説明員の方が40分ほどかけて解説してくれながら会場を案内してくれて、そのあとは一つひとつ立ち止まりながら見ていたら、あっという間に4時間が経っていました。

水俣展の展示構成と特に印象に残った展示

メイン展示……悲しみの底に何が見えるか

プロローグ:1956年4月、幼い少女を「奇病」が襲った
クロニクル:映像でたどる水俣病と私たちの60年
展示1:水俣の美しい自然・豊かな風土
展示2:水俣病とは何か
展示3:水銀はなぜ止まらなかったのか
展示4:被害者は何を求めたのか
展示5:その後の水俣と水俣病事件
エピローグ:「彼岸の団欒(まどい)を垣間見る」石牟礼道子

水俣・京都展プログラムより

宝子

「宝子」と呼び、心からの優しい温かい笑顔で智子さん(水俣病の患者さん)を囲む家族写真。
深い愛を生きる、家族とともを想い・子どもを愛でる気持ち、人間として生きるとはこういうことなのではと感じました。水俣病の患者さん本人、ご家族は日々の暮らし、生きることがものすごく大変だったのはもちろんですが、この一枚の写真から伝わったのは悲惨さや絶望でなく、とてもとても優しく温かく力強い愛で、涙が止まりませんでした。

自然が豊かで美しい水俣

漁業を生業とし、暮らしにまつわることのほとんどは自然素材でまかない、自給自足に近い暮らしをし、自然と共に生き、家族と共に生きる。現代だと求めてもなかなかできないような、とても豊かな暮らしが確かにあった。
正直、水俣病のイメージしかなかく、こんなにも豊かな自然があった地だったことに驚きました。

水俣病の被害者の方々や、支える方々が、何十年もかけて、どんな理不尽な状況の中でも声を上げ続け、闘い続け、多くの大事なことを問いかけ続けているのは、この自然と共に在る豊かな生き方が強さを支える土台にあるからなのかもしれないと感じました。

被害者は何を求めたのか

判決後の東京交渉で「あなたと同じように幸せであるべき親がこんなに違ってよかですか」と、チッソの社長に語りかける川本輝夫さんの姿。当時の映像と写真で見ることができました。

私は川本さんの魂の語りかけを前に、動けなくなりました。鬼気迫る迫力を持ちつつも怒りをぶつけるのではなく、諭すように語りかける姿。チッソ社長の目をまっすぐに見て、自分の内から出る自分の言葉で相手に届くように語りかける川本さんと、何も言えず圧倒されているだけのチッソの社長。人間とは何なのか、人間として生きるとはどういうことなのかを、まざまざと感じさせられました。

川本さんのお父さんは、重篤な水俣病患者にみられる狂騒状態で亡くなりましたが、「昭和35年に水俣病は終わったという一般の通説を信じ検査を行わなかった」という主治医の判断により、水俣病の認定を受けることなく、64歳で亡くなっています。

3年2ヵ月にわたり介護をした後、精神病院で狂死するお父さんを看取った川本さんは、父を水俣病と認定させることで名誉回復と無念を晴らすことを胸に誓いました。そして、自身も水俣病が発病する中、必死に勉強して准看護師になり、水俣病の医学書を読み漁り、裁判闘争の前線に立ち闘い続けたのです。度重なる棄却の後1971年にご自身の水俣病認定された後も、「まだ患者はいる」とチッソの本社前での座り込み、補償を求めた直接交渉を続けるなど、水俣病事件によって破壊された人としての尊厳を取り戻すべく、1999年67歳で亡くなるまで生涯に渡り闘い続けてきました。

川本さんたちの闘いは、1973年7月に補償協定として実を結び、今も患者補償の根拠となっています。


患者遺影……死者たちが来場者を見つめる

お一人おひとりのお顔から、システムや全体主義で見えなくされがちな一人ひとりにある人生の尊さ、力強さが伝わってきました。

実物展示……残された物こそ雄弁に語る

水俣病発症量のメチル水銀
水俣病の海底にあった高濃度の水銀ヘドロ
患者が半年間で服用した薬のカラ
水俣湾に張られていいた汚染魚仕切網
患者の面会を拒むためのチッソ本社入口に設けられた鉄格子の一部
チッソ(現JNC)製の素材を用いた現在の商品など

水俣・京都展プログラムより

水銀ヘドロや大量の薬のカラから、水俣病の恐ろしさが伝わり、汚染魚仕切網は「これで本当に解決しているのかな?」と疑念が湧き(解説でも言われていました)、チッソ製の素材を用いた商品は紙おむつやプラスチック製品など使ったことがある・手にしたことがあるものもあり、ハッとしました。

「どの深度で何を見るのか」

「京都・水俣展」を前に、水俣フォーラムからの案内状をいただきました。水俣フォーラムが発信するメッセージは、どれも心に深く問いかけるものばかりです。「水俣・京都展へのご案内」の文章を一部引用して掲載いたします。

水俣病の患者認定に係わる法規であり、加害者を慮る行政の運用が患者の恨みの的となってきた公害健康被害補償法が、9月1日、施工から50年を迎えました。10月15日には、その行政の水俣病賠償責任を確定した最高裁判決から20年となります。これらは確かに大切な反芻の機会と言えます。

しかし、当時の多くの患者たちにとっては決して「画期」などではなく、昨日から明日へと続く病苦、生活苦、差別偏見や加害者との闘いの労苦の中の1コマに過ぎませんでした。それはこの事件の当事者がいわゆる「市民」ではなく、「生活基礎層」とでも言うべき存在であることの証でもあります。ゆえに、判例や政策だけをいくら論じてもその存在の深みに届くはずがないのです。では何のために、どこに立って、何に眼を凝らすのか。「水俣」は、「水俣病」は私たち1人1人を問うているのです。

水俣フォーラム「どの深度で何を見るかー水俣・京都展へのご案内ー」より

人間として生きる、とは何なのか

人間が人間たらしめるものは何なのか、人間として生きるとは何なのか、展示を見ている間、ずっと問いかけられているようでした。
水俣病の患者の方々と、人間の顔が見えないチッソや国のシステムに組み込まれた人たち、どちらが人間として生きているのか?答えは明確でした。

今回、初めて水俣展に参加して、写真や言葉、一つひとつから受け取った情報、エネルギー、紡がれる声からの問いかけ……これらは、実際に足を運んだことで感じることができたと思います。展示を見ている間、何度も何度も胸を突き動かされ、涙が止まりませんでした。

水俣病のことを観ているはずが、人間とは何か、経済至上主義の果てに起きた被害、企業の利益優先の姿勢、加担する国や行政・学者・医師、市民同士の無知や作られた差別意識や人間のエゴイズムから生まれる差別構造、利便性を優先したことで誰かの人生・暮らし・自然環境・海で暮らす生き物への影響を無視していること……。
こうした構造や起きていることは、現在進行形で至るところで起き続けてしまっていることです。沖縄も福島も、日本だけでなく他国でも、問題の根底や構造は同じではないか……。

だからこそ、水俣病を知ること・学ぶことは、他の様々な問題や、人間とは何かを考える上で、行動していく上で貴重な機会だと改めて感じました。

そして、何か大きな行動を起こすだけでなく、日々の暮らし、日々の在り方、自分自身や周りの人たちとの向き合い方から今すぐに変えていけること、できることをしていこうと力を貰いました。

水俣病を取り巻く問題は重く、未だ全貌が見えてないことや解決していないこと、現在進行形の様々な問題とも重なっており、展示を観ながら心が苦しくなる一方、人間の強さ、深さ、人間であることの意味、可能性を教えてくれるものだと感じました。

人間とは何か。簡単に答えが出ない問いですが、今後も学び続け、問い続け、考え続けていきたいです。

水俣病に関する書籍

会場では「水俣病ブックフェア」も開催されていて、水俣病に関する本やDVDが販売されていました。読んでみたい本がたくさんある中で、スタッフの方におすすめを紹介していただき、4冊購入しました。

石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病

「水俣病の現実を伝え、魂の文学として描き出した作品として絶賛された」石牟礼道子さんの「苦海浄土」。
たくさんある石牟礼道子さんの書籍の中で、「初めて読むならこれは外せない」と紹介いただき、購入しました。

平成30年2月に亡くなった作家・石牟礼道子さん。公害病の原点と呼ばれる水俣病の患者たちに終生寄り添い、その声なき声を豊かな方言でつづることで、切実な被害の実態を伝え続けた。石牟礼さんは昭和2年生まれ。生後すぐ水俣に移り住み、20歳で結婚、一児の母となった。しかし、水俣病患者の存在を知ると、患者の家々を一軒一軒まわって取材を重ね、彼らとその家族の苦しみを描いた作品を地元の雑誌に連載する。これを昭和44年に「苦海浄土」にまとめ出版、文明の病としての水俣病の悲劇を広く社会に訴えかけた作品として大きな反響を呼んだ。水俣病問題を通じて命の尊厳を問い続けた90年の生涯だった。

NHKアーカイブス 人物」より引用

水俣に暮らし、一軒一軒まわって話を聞き、生まれた本だったのか……1ページ1ページ、自分もその情景を見ているのではと思うほど鮮明で繊細な文章で、さらさらっとは読み進められません。まさに「魂の文学」。患者さんとその家族の苦しみ、壮絶で清冽な人生がどどどっと入ってきて、じっくりじっくり時間をかけて読んでいます。

緒方正人『チッソは私であった

水俣展に行こうと決めて、予習として何か本を読もうと図書館で借りて読んだのが、緒方正人さんの「チッソは私であった」でした。たしか、ネットで「水俣病 本」で調べて出てきたのだったとお思います。

家族を水俣病で亡くされ、ご自身も患者であり、行政やチッソとの闘いの前線に立ち続けた緒方さんに訪れた「チッソは私であった」という啓示……。

そこに至るまでの緒方さんの人生、「チッソは私であった」に至った過程や想い、その後闘いから退き漁師として一人で木船に乗って広い海の上で至る思想……綴られる言葉には、哲学があり、「どうしてこんなにも深く語りかける言葉を綴れるのだろう……」と思いながら読みました。

原田正純『いのちの旅「水俣学」への軌跡

水俣病の発覚が遅れた大きな要因の一つが、国や行政・企業の御用学者・医師の存在でした。この構図は至るところであるのだなと、展示を観ながら憤りを感じました。

そんな御用学者や医師がいる一方で、水俣病研究の第一人者で患者の救済に半世紀にわたって取り組んだ医師が原田正純さんです。
原田さんは、一軒一軒こうした水俣病患者の家を訪れ診察し、実態を明らかにするとともに、母親の胎盤を通って胎児が有機水銀に冒される「胎児性水俣病」の存在も世界で初めて明らかにしました。

有機水銀中毒「水俣病」の公式確認から60年が過ぎた.今もなお環境汚染,原発事故,薬害禍など,命と尊厳を脅かす深刻な問題が世界各地で跡を絶たない.人類の負の遺産としての「水俣」をあらゆる角度から捉えなおし将来に活かすべく水俣学を提唱した原田正純医師(1934-2012)が,様々な現場を歩き,人びとと出会う中で,希望の原点を探った思索と行動の記録.

岩波書店の書籍紹介ページより引用

水俣病を医師の立場から見つめ続けた「水俣学」を学べると思い、こちらの本も購入しました。

近代とは何か。人間とは何か。

最後に、水俣展の図解の「おわりに」から一部抜粋して紹介したいと思います。「近代とは何か。人間とは何か。」これからも問い続け考え続けるために、何度も読み返したい言葉です。

金融不況と企業救済、沖縄基地問題、環境ホルモンとダイオキシン、官僚腐敗、原発事故、学級崩壊、自殺の日常化、多発する陰湿な犯罪……。私たちはいったい何処に来てしまったのか、そして何処に行こうとしているのか。世紀の間に立って、もう一度、人としてありたいと願います。

ひと。不知火海の海辺に人がいるのを知りました。そこには、有機水銀によって身体は蝕まれながらも、私たちよりはるかに健やかな人びとの暮らしがありました。都会に行き、時間に追われ、消費と生産の境さえおぼろげになってしまった私たちとは異なる世界観をもち、異なる日常を送る人びと。いわば「健やかな病者たち」と接することによって、私たちはこの社会と自らの病いの深さを知りました。

近代とは何か、人間とは何か。私たちは自らの理性をふたたび信頼し、他者の存在と自然に対する畏れを大切にして、それぞれの日常を問い直すことからしか、新たな可能性は見い出せないように思われます。
「水俣」という経緯、患者の方々の言葉を通してその手がかりが得られないか。私たちの想いはただこの一点にあります。

水俣フォーラム「水俣展」図解「おわりに」より引用


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