【掌編小説】守銭奴になった夫
若いころは、瑞希と武雄はそれはもう幸せそのものといったカップルだった。
どこへ行くのも一緒。趣味も合い、好みも合う。食べ物の好みも合う。瑞希は幸せで、こんな結婚ができたことに何の不満もなかった。
瑞希の誕生日が来ると、必ず武雄は給料のなかからかなりの額を出して瑞希にプレゼントをした。ブランド物の服でも鞄でも、旅行でも瑞希の好きなことは何でも叶えてやった。瑞希は、幸せそのものだった。
武雄は、そういったうわべのことだけでなく、パワハラもモラハラもしない、温かい人柄で、瑞希を深く愛していた。
瑞希の友達は瑞希たち夫婦を羨ましがり、武雄の友達からは、
「お前ほどのことは出来ないよ」と、舌打ち混じりにからかわれた。
その武雄が、子供たちが独立したころから急にケチになったのであった。
瑞希が、食事を買いに行こうとしても、千円札一枚しか渡さない。理由を聞くが、まったく口を固く閉じて理由を言わない。瑞希は、老後のことを心配してだろうと、黙って従った。わりと裕福だろうかと思っていたが、そうでもなかったのかもしれない。
瑞希たちの住居は、結婚したときに入った現在築三十五年のマンションで、そんなに値の張るものでもなかった。中流の中型マンションで、瑞希はこれを気に入っていた。南向きの部屋で布団も干せるし、近くは郊外で静かであった。
武雄は、二流企業の、いちおう課長職。人望もそれなりだ。子供たちは男の子と女の子。もう、結婚して二人とも独立している。
そんなシニアの二人で武雄が急に守銭奴になった。どうしたのだろう? 老人ホームに入ることを考えているのかもしれない。それにしても、一日千円の食費はキツイ。
瑞希は、何の疑問も持たず、言われた通りに節約していた。武雄を愛していた。
もう、三年。食費だけでも貯金をしていたら三百万は超えるだろうか。
なんとなく、いたずらっ気心を出して、武雄の貯金通帳を覗くことにしてみた。いくら貯まっているんだろう? わくわくしながら銀行へ行く。
マンションの後ろの山にカラスの群れが飛んでいく。不気味にギャアギャアと。宵闇の近くなった道には、不気味に痩せた黒猫が目を爛と光らせて通り過ぎていく。湿った草木の匂いと水藻の匂い。
武雄は、今まで、お金をどこにやっていたのだ? ふらふらとマンションに帰る。
三つの預金通帳は、どれもカラだった。
すっからかんの貯金でこれからどうするのだろう。武雄と瑞希は、もう、五十八才に達していた。貯金ゼロで年金生活にはいるのか。それより、武雄は、あの、食費を削って溜めていた分の金をどうしたのだろうか。
まさか……愛人……? 借金?
瑞希は、すっかり魂が抜けてしまった。
子供たちが、独立し、二人きりで住んでいるマンションで、不穏な感情に浸されながら、瑞希は、武雄の帰りを待っていた。ここまで、黙って食費を削ってきたのに。三年間も武雄は黙ってなにに使ったのか? 真っ暗なマンションの居間で、瑞希の目から涙が光る。
どうして?
どうして?
その日に限って、武雄の帰りがずうっと遅いのだ。
マンションの傍の駐車場で大型車両の停まる音がした。
バタン、という音。
テーブルに突っ伏してすすり泣く瑞希に、外のほうから武雄の大声がした。
「おーい、瑞希ー!!」
薄っすらと眠りかかった目をこすり、窓のほうへと走る。
窓のしたで武雄が手を振っている。
近くにピカピカのキャンピングカーを従えている。
「おい! 瑞希! これから支度してこい! 日本一周だ!!」
瑞希は、窓で目をパチクリした。
「若いうちにやっとくんだ! 会社には有給休暇を出した! 行ってこよう!!」
そういえば、若いころ、「キャンピングカーで日本一周をしたい」といったことが一度だけあったような気がするが、あれをまさか覚えていたのか?
浮気や汚職、詐欺にかかったなどの暗いことばかり考えていた瑞希は、膝から崩れ落ちた。
「あなた……」
そして、
おわり
©️2026.9.14.山田江美子
