『豊橋市政五十年史』を読む

英国史、すなわち世界史に少し触れることで、ローマのような大帝国も、各地域に対する細かな配慮がなくなると支持を失ってしまうのだ、ということが分かったので、その角度も加えることで、地域史、とりわけ戦中戦後の地域史を自分の住んでいる地域から見直すということを考えてみたい。

豊橋市政五十年史 序及び全体構成

戦後に初めて地域としてまとまった書籍となったといえる『豊橋市政五十年史』(昭和31年8月1日発行・以下本書)を読むことで、豊橋市の戦中戦後の姿を見直してみたい。なお、本書は昭和の大合併を通じて豊橋市域の拡大がなされた翌年の発行ということで、合併後の文脈調整における豊橋の立場を明示したものであると考えられるので、その視点を加えながら考えてみたい。

まず序文は当時の豊橋市長であった大野佐長が書いている。その内容は、昭和31年が豊橋市制施行から50年に当たるということ、編集委員を定めたということ、豊橋市に関する史書は、市制施行以後の物は全くないといっても過言ではないということなどが記されている。

続いて編集委員長の豊田珍比古による序が記される。豊橋市史の編纂事業が初代市長の大口喜六の私的な事業として行われてきたこと、昭和7年の隣接町村との合併を機に、昭和9年から市史編纂事業が始まったこと、昭和12年の日華事変のために不急事業として中止されたこと、昭和25年に新たに委員が任命されたこと、市制施行50年の記念に市史発行したらという要望が各方面から起こったこと、その記念に先立って市町村合併が行われたこと、その結果として市史とは別に本書の編纂が計画されたこと、その事業が1年4か月という短期間で行わなければならなくなったことなどが記されている。

構成としては、全部で八章からなり、第一章がほぼ明治時代の「豊橋市の誕生」、第二章は明治末期から大正にかけての「軍都豊橋」、第三章が大正から昭和にかけての「市民のめざめ」、第四章が昭和初期の「豊橋の近代化」、第五章が戦前から戦中にかけての「戦時下の工業化」、第六章が戦中の「翼賛市政」、第七章が戦後の「豊橋の復興」、第八章がその当時から見ての未来への動きである「豊橋の課題」となっている。この時点で、30年少ししか経ていない昭和の時代が過半を占めており、明治から大正にかけての話はほとんど神話の世界に押しやられていることがわかる。実際のところ、その部分を主として書いたといえる同時代史料は存在せず、本書が書かれてからそれに従って神話的に話が作り上げていったという経路も十分に想像できる。

なお、市制施行以来の話としては、昭和3年に『豊橋市市制施行二十年誌』というものが、同時代史料としてあることになっているが、それは大野佐長の序と相反する内容であるといえ、これは本書の編纂過程において同時的に編纂がなされたものではないかと疑われる。いつものような手前勝手な推定であるが、昭和3年ではなく1928年の28年を昭和に移した昭和28(1953)年の発行だったのではないかと疑われる。そしてそれが公に人目に触れるようになったのは、豊橋市図書館によって複写本が発刊された昭和51(1976)年以降だったのではないだろうか。それは『豊橋市史』の発行時期に少し先立つということから、市史発刊の基礎資料として必要になったので、どこかに死蔵されていたこの『豊橋市市制施行二十年誌』を複写して多くの人の目に触れるようにしたのではないかと考えられる。だから私は、この豊橋市役所発行とされる史料は、同時代史料としては取り扱わず、戦後の史料として取り扱うこととする。

あとは、初代市長であったとされる大口喜六の『豊橋市史談』と『国史上より見たる豊橋地方』の二つの同時代史料があるが、これらは明治維新に至るまでの前史を述べたものであるので、近現代史的には見るべきところはないが、明治・大正期の歴史がほとんど空白であるのにもかかわらず、それ以前の江戸時代以前の話が詳細に出ているというところが全く信用に値しないと私は考える。その点において、私はやはりこれらの文献も神話のようなものであると考えている。

それらの想像を裏書きするかのように、本書第一章の「豊橋市の誕生」では、三浦碧水と遠藤安太郎という、いわば伝説上の人物を登場させることで、市への前史を描いている。三浦碧水は、『三浦深右衛門日記』で知られる吉田藩家老の息子であるとされ、それによって江戸時代の歴史と近現代とを接続する役割を担っているのではないかと考えられる。

一方で遠藤安太郎の方は、戦時中に豊橋市長を務めていた近藤寿市郎という人物は地域の歴史を重視しようという人物だったと考えられ、そうすると江戸時代以前の歴史はこの地域の話ではなく、あったとしても遠く西日本の話ではなかったか、ということから遠藤として地域の目から見た世界を神話的に残したものであると考えられるのではないだろうか。

このように構成を眺めてみると、近現代において神話と現実を折り合わせるというかなりの力技が行われたということが見て取れる。とりわけのちにみる通り三浦碧水の話が第八国立銀行の話と結びついて出てくることを考えると、資本主義的貨幣経済の導入をいかにして神話の上にのせて現実と結び付けるか、ということが行われたことが想像できる。自由民権の話はそのあとから出てくることもあり、まず経済がありきで、そのあとに政治がくっついてきた、という様相を見ることができる。これは、明治時代の話というよりも、むしろ戦後の復興過程が、まずは経済の復興があって、そこから政治に関心が移ったという地方の実態を反映しているものではないだろうか。それは、吉田茂の長期政権の中で、吉田という名を踏み台にして戦後の話が展開する中で、歴史を含めた政治的側面が全国政治の中で踏み固められ、それに対して地域は日々の経済に追われるまま、明治大正の歴史的腰だめをどんどん埋められていく、という現状の進展に合わせて市史の編纂という大事業を進めなければならないという無理な状態を反映しているのかもしれない。

つまり、本書を読み解くには、現実世界の展開がありながら、その中で神話的歴史認識が固まってゆく、という二重構造を意識する必要があるのだといえる。そしてもしかしたら、その神話的歴史認識につながるような史料作りすらも同時進行していた可能性もあるということを考慮する、立体的な感覚で、本書を読み解いてゆく必要があるのだといえる。

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