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水の道を、つくった日。

昨日、次男と一緒に畑で水の道をつくった。

次男は学校の課題でホームプロジェクトに取り組んでいて、畑の一角を使って野菜を育てている。ところが最近、その場所のそばに雨が降るたび水が溜まってしまうことが気になっていた。根が水を含みすぎると病気になりやすい。せっかく次男が大切に育てている野菜たちが、環境のせいでダメになってしまったら——そう思うと、どうしても放っておけなかった。

数日前に、夫と別の場所の水の道をつくった。今回は場所が違う。でも、やることは同じ。スコップを持って、水が流れていけるよう地面を掘り進めていく。ただそれだけのことなのだけど、これがなかなかどうして、想像以上に大変だった。

長靴には泥がべったりとくっついて、一歩ごとに足が重い。スコップを地面に当てると、いたるところに根っこが蔓延っていて、なかなか掘り進められない。ときには手のひらほどもある太い根っこが出てきて、スコップでは歯が立たず、ふたりで格闘しながら引き抜いた。顔からは汗が滝のように流れて、タオルで拭いても拭いても追いつかない。

炎天下で作業をしている人たちの気持ちが、少しだけわかったような気がした。いつも画面越しに見ていた工事現場の方々や、農家の方々の姿が、急にリアルに迫ってきた。ほんの一時間そこらの作業でこんなにしんどいのに、毎日それをやっていらっしゃる方々の強さたるや。頭が下がった。
次男とふたり、あまり言葉を交わすわけでもなく、ただ黙々と作業を続けた。「足に泥がやばい」「根っこがあった」。そんな短い言葉を交わしながら、少しずつ、少しずつ進んでいく。じりじりと近づく目標地点。
そして——繋がった。

水の道が、ちゃんと目標の場所まで届いた瞬間。なんでもない、土を掘っただけのことなのに、次男と顔を見合わせてどちらからともなく「できた!」と声が出た。泥だらけの長靴、汗びっしょりのシャツ。それでも、とても清々しい気持ちだった。
野菜を育てるって、なかなかハードだ。

種を蒔けばそれで終わり、というわけにはいかない。水はけ、日当たり、土の質、肥料のタイミング。育つための環境を、ひとつひとつ整えていく必要がある。それをさぼると、どこかにしわ寄せがくる。今回の水の溜まりみたいに。

整える、ということ。

植物も、こころも、案外似ているかもしれない。どんなに良い種でも、環境が整っていなければ根を張れない。逆に言えば、環境さえ整えてあげれば、ものは自然と育とうとする力を持っている。

そしてふと思った。この水の道をつくる作業は、もしかしたら親として子どもにしてあげられることに似ているのかもしれない、と。種を蒔くのは本人で、育つのも本人。でも水の流れを整えることなら、そばにいる私にもできる。それだけで、ずいぶん変わることもある。

泥だらけになりながら、次男の野菜たちのために黙々と水の道をつくったこの日のことを、きっとしばらく忘れないと思う。しんどかったけれど、それ以上に、なにかが満たされるような一日だった。

土を触る時間は、こころを整える時間でもある。そんなことを、また改めて感じた昨日だった。


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