轟音の中で、私を見つける。
乳がん検診で、乳腺MRIを受けた。
これが、なかなかしんどかった。
うつ伏せになり、両腕を頭の上に伸ばす。
足も動かせないように固定される。
その状態で、約20分。
私は昔から大きな音が苦手だ。
MRIの機械音は、そんな私への配慮など一切なく、頭上で
ガガガガガガガ。
ゴゴゴゴゴゴゴ。
容赦がない。
ヘッドホンもしているけれど、
これは一体どの程度の仕事をしているのだろう。
助けてくれ。
しばらくして、本気でそう思った。
動けない。
逃げられない。
うるさい。
怖い。
仕方がないので、意識を別のところへ持っていくことにした。
こんなとき、私は誰に「助けて」と思うんだろう。
夫だろうか。
娘だろうか。
亡くなった父だろうか。
それとも、別の人だろうか。
何人かの顔を思い浮かべながら、轟音に耐えていた。
でも、だんだん限界が近づいてきた。
もう嫌だ。
出たい。
そのとき突然、
「いや、違うな」
と思った。
今ここで、私を助けられるのは私だけだ。
妙に強く、そう思った。
もちろん、MRIを止めることはできない。
音を小さくすることもできない。
身体を自由に動かすこともできない。
何ひとつ、状況は変えられない。
なのに、
「大丈夫。何が起きても大丈夫だよ。私がいるから」
と自分に言った瞬間、
身体の底のほうから、ぐっと力が湧いてきた。
不思議だった。
怖くなくなったわけではない。
音は相変わらずうるさい。
それでも、さっきまでとは明らかに違った。
私は昔から、自分の繊細な部分をどう扱えばいいのか、よく分からなかった。
怖がったり、傷ついたり、不安になったりすると、
考えて、分析して、納得できる答えを探してきた。
大丈夫な理由を探すことで、
自分を安心させようとしていたのだと思う。
でも今回は違った。
大丈夫な理由なんて、ひとつもなかった。
ただ、
何が起きても、私は私を置いていかない。
そんな感じだった。
「自分を守る」というのは、
危険をすべて取り除くことではないのかもしれない。
怖がらない人間になることでもない。
怖がっている自分のそばから、
自分自身が離れないことなのかもしれない。
それを頭ではなく、身体で知った。
乳腺MRI、約20分。
まさかこんなところで、
自分との関係がひとつ更新されるとは思わなかった。
無条件セーフティネット誕生か。
転んでもただでは起きない。
いや、今回はそもそも、
うつ伏せで縛られていて転ぶことすらできなかったのだけれど。
