扉をノックしたのはLINEだった
――第54回朔太郎忌『早く家に帰りたい。/柵の向こうの朔太郎』ができるまで
運命は扉をノックしない
萩原朔美さんからLINEが来た。
こう書くと、いささか現代的すぎて、文学的運命の訪れとしては風情が足りない。昔なら「ある冬の日、一通の手紙が届いた」とでも書くところだろう。封蝋を切る。机に置かれた万年筆。窓の外には枯木。そういう絵が浮かぶ。こちらの場合はスマホがブルッと震える。運命が扉をノックしたというより、運命がポケットの中で小刻みに暴れた、くらいのものである。しかもたいてい、こういうものは、こちらがコーヒーでも飲みながら「今日は何を先延ばしにしようかな」と考えている時に来る。仕事というものは、人の怠惰を見透かしたような顔でやって来るから油断がならない。
内容は、第54回朔太郎忌の委嘱作品についてだった。
萩原朔太郎をめぐるリーディングシアターを書かないか、という話である。
こういう時、人間の取りうる態度は二つくらいしかない。
ひとつは「いやあ、私なんかには荷が重くて」と、たいへん謙虚そうな顔をしながら巧妙に逃げる態度。
もうひとつは「もちろんです」と引き受けてしまい、あとで静かに青ざめる態度。
私は後者を選んだ。勇気があるからではない。たぶん性格が少し雑なのである。面白そうなボールが飛んでくると、とりあえずバットを振ってみたくなる。打てるかどうかは別だ。空振り三振は仕方ないが、見逃しだけはしたくない。人生のだいたい半分くらいは、その妙な見栄で出来ている。

最初の前橋文学館との打ち合わせは、1月27日だった。
ここが、いちおう、この作品の公式な始点ということになる。
もっとも、打ち合わせをしたからといって、翌朝には名作が完成している、ということはもちろんない。そんなことが起きるなら、劇作家という商売はもっと景気がいい。打ち合わせの場で頭の中に漂っていたのは、「朔太郎」「散歩」「前橋」「朗読劇」「危険な散歩」といった単語の雲みたいなもので、まだ劇にはなっていなかった。材料はある。だが料理名がない。カレーにも鍋にもなりそうだが、いま口に入れるとたぶん腹をこわす、という段階である。
ただ、朔美さんから最初に話をもらった時、私の頭にぱっと浮かんだものはあった。
それが「流儀のない散歩」だった。
漱石、梶井基次郎、朔太郎。
明治から大正の町なかを、文学者たちがそれぞれの仕方でふらふら彷徨っている。その像がふいに浮かんだのである。夏目漱石が胃酸の逆流に耐えながら東京の街をうろつく姿。梶井基次郎が、檸檬が爆発するのを待っている逃避行。朔太郎の、歩くことがそのまま不安や退屈や自己嫌悪の運動になってしまう感じ。
考えてみれば、日本の近代文学には「歩く人」が多い。いや、「歩くことでしか考えられなかった人」と言うべきかもしれない。
さらに言えば、散歩そのものがそれほど自明ではなかった時代のことも、私はわりあい好きである。タウンゼント・ハリスが下田に来た時、散歩の習慣のない日本人たち(警護の幕府の役人たちですな)が彼の行動を不審に思った、という話がある。何か考え事でもしているのか、何か悪いことでも企んでいるのか、まぁスパイ活動でもしているのでは無いかというわけだ。つまり散歩とは最初から、少し怪しい。用もないのに歩く人間は、だいたい健全な行政の感覚からすれば不審者である。
この「少し怪しい」という感じがいい。
また、アインシュタインとゲーデルがプリンストン大学の構内を散歩しながら知見を磨いたという話もある。この散歩では、一般相対性理論のアインシュタイン方程式の厳密解の一つである「ゲーデル解」を生んだという。ベートーヴェンとゲーテの散歩の逸話も有名だし、カントの散歩は町の時計代わりになったとも言われる。歩くというのは、ただの健康法ではなく、思想や芸術が発酵するための妙な装置でもあるのだろう。
もっとも、こちらの散歩はそこまで格調高くはない。前橋の川っぺりで「寒いな」「腹減ったな」と考えている時間の方が長かった気もする。ゲーデルには少し申し訳ない。
打ち合わせの翌日、私は前橋を歩いた。
歩くしかない。劇作家が困った時にできることは、考えるか、歩くか、その二つくらいである。あ、鈴木聡さんとマキノノゾミさんは、書けない時一緒に飲みに行ってカラオケして翌朝後悔すると言っていた(笑)かくいうワタクシは、考えてもだめなら歩く。歩いてもだめなら、また考える。たいへん原始的だが、だいたいそれで何とかしてきた。

劇作家フェスティバル「げきじゃ!」レセプションより
左端が筆者、右へ相島一之、工藤千夏、長田育恵、角ひろみ、高羽彩、鈴木聡、桑原裕子、瀬戸山美咲、マキノノゾミ
前橋は歩くと、実に厄介で面白い。
生家跡がある。県庁がある。前橋刑務所がある。広瀬川があり、利根川があり、大渡橋がある。朔太郎の「散歩」という言葉から連想してしまう、詩情たっぷりの木漏れ日と鳩とベンチばかりではない。むしろ行政と近代化と監獄と堤防と橋といった、たいへん硬いものが町の骨格をつくっている。その硬い骨格の上に、詩人の足跡だけが妙に柔らかく、しかししつこく残っている。町のほうがこちらに向かって「ほら、ちゃんと考えろ」と迫ってくるのである。親切なのか意地悪なのか、判断に苦しむが、劇作家としては大歓迎だ。

そのあと、前橋文学館制作の映像作品『朔太郎の散歩道』のスクリーナーを無理言って送ってもらい、拝見した。
これが大きかった。現地を自分の足で歩いて見えていたルートの印象が、その映像で少し変わったのである。歩いている時には、こちらの身体の都合がどうしても先に立つ。寒いとか、遠いとか、風が強いとか、腹が減ったとか、そういうたいへん人間的で、あまり文学的とは言いがたい事情が風景に混じる。ところが映像は、そうした雑音をいったん整理し、散歩道に別の輪郭を与えてくる。こちらが「こういう道かな」と思っていたものが、映像の中ではもっと別の時間の層を帯びて見えてくる。
それで、また歩いた。
こうなると、もはや散歩というより再調査である。いや、再調査などというと立派すぎる。実際には、「いや、さっきの見方だと違うな」「ここはもう少し先まで行ってみるか」「なるほど、こうつながるのか」と、少しずつルートの見え方を修正していく、しつこい徒歩である。
だが、この「歩いた→映像を見た→もう一度歩いた」という往復が、結果として決定的だった。

たぶん、その二度目の歩行の途中で、
「ひ孫が歩く」
というアイディアが立ち上がった。
朔太郎本人を出す。山頭火も出す。散歩とは何かを問う。そこまでは考えていた。けれど、それだけではどうしてもこちらの現在とつながりきらない。詩人と放浪者だけでは、あまりに強すぎるのである。観客も困るし、作者も困る。どこに立てばいいのか分からない。
そこへ、ひ孫が歩く。
曽祖父の散歩道を、現代に生きるひ孫が、自分の足で歩く。スマホを持ち、生家跡を見て、前橋の風を受けながら、少しずつ時間の層に触れていく。
この構図が見えた瞬間、作品は急にこちらの手の届くところへ下りてきた。
言い換えれば、この時にはじめて、朔太郎は「文学史上の詩人」である前に、「家族の記憶の向こうにいる人」になったのだと思う。
そして2月8日、萩原すみれさんにインタビュー取材をした。
あの日は大雪の朝だった。しかも雪だけではなく、北風がずいぶん強かった。前橋の冬の風というのは、どうしてああ、こちらの顔面を一枚はがそうとするのだろう。歓迎されているのか、試されているのか、よく分からない。少なくとも「文学的な取材」と聞いて想像する、静かな書斎と温かいお茶と柔らかな光、みたいなものとは縁が薄い。こちらは鼻の頭を冷やしながら、風に押されている。

その大雪と強風のなかで、すみれさんにお話を伺い、さらに一緒に朔太郎の生家跡を見に行った。
これは資料収集として重要だっただけではない。こちらが頭の中で組み立て始めていた「ひ孫が歩く」という構造に、現実の身体が立ち現れた、という意味で決定的だった。
つまり、ここで作品の中心が、観念としての「系譜」ではなく、いま生きている誰かが、実際にその場所に立つという事実に結びついたのである。
生家跡は文学史の記号ではなくなる。前橋の風も、単なる演出上のイメージではなくなる。そこに立つ身体があり、その身体の向こうに、朔太郎という名がある。
この時点で、戯曲の構造はほとんど決まったのだと思う。
いま振り返ると、この流れはとてもはっきりしている。
1月27日の打ち合わせがあり、その翌日に前橋を歩き、映像作品を観て、散歩ルートのイメージを修正してもう一度歩き、「ひ孫が歩く」という発想が生まれ、2月8日の大雪と北風の朝にその“ひ孫”本人に会い、生家跡に立つ。
これは単なる取材の順番ではない。
自分の足で前橋を歩くこと、映像によって歩行の記憶を組み直すこと、そして萩原家の現在に触れることが、順番に重なることで、この作品の形式そのものが決まっていったのだと思う。
だから『早く家に帰りたい。/柵の向こうの朔太郎』は、机の上だけで出来た戯曲ではない。歩き、見直し、また歩き、会い、風に吹かれた末に、ようやく立ち上がった作品なのである。
まあ、こう書くとずいぶん立派だが、実際にはその途中で寒いだの腹が減っただの、ずいぶん俗っぽいことも考えていたはずである。創作とは、崇高なものと情けないものが、だいたい同じ比率で混ざって出来ている。
そこから先は、作品のほうがこちらを引っ張っていった。
朔太郎と山頭火は、単なる文学史上の人物紹介ではなくなった。散歩とは何か、帰る場所があるとは何か、帰る場所がないとは何か、という問いが、二人のあいだで緊張を帯びてくる。
「散歩は帰る場所があるから散歩」
この一文が見えた時、作品の背骨が一本通った感じがした。
作品というのは、こういう一本の骨が見つかるまで、どうしてもぐにゃぐにゃしている。背骨が通ると、ようやく立ってくる。

しかし、ここで終わらないのが現代の厄介なところである。
ひ孫が歩く。朔太郎が柵の向こうに見える。山頭火が現れる。ここまでは、ある意味で詩的な世界の出来事だ。だが、いまの人間は、ただ詩的な世界の中にだけはいない。スマホを持ち、位置情報に囲まれ、記録され、比較され、照合されながら生きている。だからこの作品では、語り手も単なる案内役ではない。観光ガイドのようでいて、どこかOSの音声案内のようでもある。親切なのに、うっすら怖い。定点観測という方法も、朔美さんにおいては意志だったかもしれないが、菫の側から見ると、すでに「やるべき手順」「システム」に見える。
ここが私には面白かった。ひとりの表現者においては自由な方法だったものが、次の世代では制度の顔をして現れる。文化というものはだいたいそういう厄介なものである。ありがたい遺産ほど、次の世代には荷物にもなりやすい。
そして終盤、あるノイズが混じり、風景の輪郭が揺らぎ始める。 そうなると、もはや単なる朔太郎紹介の朗読劇ではなくなる。詩人に触れようとした現在の身体が、逆にシステムの側から問い直され、どこかへ追い詰められていくような感覚。 それでも、菫はひとつの決断をくだす。 現代の喧騒を遮断するために。
しかし、人間というのは、格好よく電源を切ったまま終わる生き物ではない。結局また再起動してしまう。
なぜ再起動するのか。
それはきっと、深い思想的決断というより、もっと生活に近い反射なのだろう。習慣だから。便利だから。帰るためには結局それが必要だから。
私はこういう、人間の少し情けないところが好きだ。好きだと言うと語弊がある。愛しているわけではない。しかし、文学や演劇というのは、こういう格好の悪い反射を掬い上げないと、たちまち立派すぎてつまらなくなる。
脱稿したあと、私は川上弘美の『蛇を踏む』を本棚から引っ張り出して再読した。
なぜそのタイミングで『蛇を踏む』なのかといえば、自分の作品の中にある境界の揺らぎが、どこかであの小説と触れている気がしたからである。読み返してみて、やはり見事だった。あそこでは、人間と蛇、日常と異界、母性と自立が、部屋の中で静かに混ざっていく。異物は外から侵入してくるというより、いつのまにか食卓の上にいて、家の中の空気の成分になってしまう。
一方で、私の作品では、そういうものはあまり部屋の中に留まらない。最初から外にある。道の上にあり、橋のたもとにあり、河川敷の風の中にあり、前橋刑務所の赤煉瓦塀の向こうにある。親密圏の内部に異界がにじむのではなく、土地と制度のほうが、家族史と記録装置を携えてこちらへ迫ってくる。たぶんその違いは、作家としての出自の違いでもあるのだろう。こちらは社会学・社会哲学のほうからものを考えてきたので、個人の心の奥へ潜るより、個人が何を透かして見てしまうか、その外側の構造のほうがどうしても気になる。人の悲しみそのものより、その人がどんな場所で悲しんでいるかに目が行く。少々いやな性分だが、劇作家としては、まあ悪くない。そういえば、平田オリザさんは「意地悪な方が対話がうまく書ける」と言っていた。オリザさんは対話を描くのがとてもうまい。ワタクシは苦手だ(笑)

そうしてみると、『早く家に帰りたい。/柵の向こうの朔太郎』は、朔太郎のことを説明する劇ではない。
むしろ、朔太郎に触れようとした現在の身体が、前橋という町の地面の上で、少しずつ現在地を見失っていく劇なのだと思う。
帰りたい。
だが、帰るべき生家は跡になっている。
帰る場所があるから歩く。
しかし、その「ある」は、ときにそのまま帰れなさの理由にもなる。
そういう、厄介で、少し滑稽で、どうにも人間くさい状態を、朔太郎の言葉と前橋の風景を借りながら、なんとか劇のかたちにしたかった。
萩原朔美さんから来た一本のLINEが、こちらをそんなところまで歩かせるとは思っていなかった。
運命が扉をノックしたのではない。
スマホがちょっと震えただけだ。
だが、文学というものは案外、その程度の振動から始まるのかもしれない。
少なくとも、1月27日の打ち合わせから、翌日の徒歩、映像作品の視聴、再度の徒歩、2月8日の大雪と北風の朝のインタビュー、そしてその先の脱稿までを思えば、あの通知音もなかなか捨てたものではない。
しかもそれが、最終的に「家に帰りたい」という、ずいぶん切実で、ずいぶんありふれていて、しかし案外うまく説明できない言葉へ着地したのだから、創作というのも妙な商売である。
考えてみれば、劇作家というのは、歩いて、迷って、拾って、並べて、あとから「あれは最初から見えていました」みたいな顔をする仕事なのかもしれない。
実際にはそんなに見えているわけがない。
見えていないから歩くのだ。
見えていないのに歩くから、たまに何かが見える。
その程度のことでしかない。
だが、その程度のことのために、人はわざわざ雪の朝に外へ出て、強風に吹かれ、赤煉瓦塀の前でぼんやり立ち尽くしたりもする。
そして、そういう少々ばかばかしい行為の末に、運がよければ、戯曲が一本できる。
今回の作品がそういう一本になっているなら、それで十分だと思う。
上出来である。
いや、少なくとも、「今日は何を先延ばしにしようかな」と考えていた日々の集積としては、ずいぶん景気のいい結末ではないか。
第54回萩原朔太郎忌「ふらふらふらぬ~る 朔太郎のキケンな散歩」
日時 5月9日(土)13時30分
会場 昌賢学園まえばしホール 小ホール
定員 600名
観覧料 2,000円
申込 3月27日(金)から 専用サイト にて
詩人・萩原朔太郎が亡くなったのは、1942(昭和17)年5月11日でした。
朔太郎の生誕の地前橋では、例年命日に合わせて近代詩史に大きな足跡を残した朔太郎を偲ぶ「朔太郎忌」を開催しています。
今回は、表現・詩作と散歩をテーマに、第一部では小説家の川上弘美さんと萩原朔太郎研究会会長で小説家・詩人・批評家の松浦寿輝さんによるご講演を、第二部では新作のリーディングシアターを上演します。
第一部 講演「書斎の思想、散歩の思想」
出演 川上弘美(小説家)・松浦寿輝(萩原朔太郎研究会会長・小説家・詩人・批評家)
第二部 リーディングシアター「早く帰りたい。/柵の向こうの朔太郎」
出演 田中要次 柳沢三千代 萩原すみれ 萩原朔美 ほか
脚本 加藤真史(演劇/微熱少年)
演出 生方保光(劇団ザ・マルクシアター)
チケット購入は3/27(金)より①前橋文学館窓口②オンラインチケット③電話予約(予約申し込み後2週間以内に前橋文学館へ支払い)
オンラインチケット リンク先アドレス
https://tiget.net/events/469648
TIGETサイト内 アーティスト名 朔太郎忌 で検索してください。


