見出し画像

心理学が教えてくれなかったこととは?

大切な友人がうつ病になった時、わたしはスマホを持ったまま、文章を書いては消していました。

「元気出して」は違う気がする。「大丈夫」も簡単には言えない。会いに行った方がいいのか、そっとしておいた方がいいのかもわからない。良かれと思って送った言葉で、余計につらくさせたらどうしよう。

たぶん、あの時のわたしが欲しかったのは、ものすごく具体的な正解でした。

こういう時は、何と言えばいいのか。


正解が欲しくて、心理学を学び始めた

もともと、人の心には興味がありました。大学で教員免許を取るために教育心理学の授業も受けていて、人の中では外から見えないことがたくさん起きているんだな、とは思っていました。

でも、その頃はまだ「面白い学問だな」くらいでした。距離が変わったのは、大切な人が苦しんでいるのを目の前にして、自分が何もできないと感じた時です。

もっと知っていれば、もう少し適切な言葉を選べるかもしれない。人の心がどう動くのかわかれば、今より上手に力になれるかもしれない。

そう思って、改めて心理学を学び始めました。

当時のわたしは、知識が増えれば「助け方」も増えていくと思っていたのだと思います。


答えを渡さなくても、何かが動くことがあった

心理学に関する資格を取ったり、ご縁があってカウンセラーのボランティア活動をしたりするようになりました。

そこで人の話を聞いていると、こちらから解決策を渡していないのに、話している途中で表情が変わることがありました。最初はまとまっていなかった話が、言葉にするうちに少しずつ形になって、「ああ、私はこれが嫌だったんだ」と本人が気づくこともある。

わたしはもっと、「知っている人が、困っている人へ答えを渡す」ようなものを想像していたのかもしれません。

でも実際には、こちらが正解を持っていなくても、その人の中で何かが見つかっていく時間がありました。

正しい一言を言い当てることばかりが、人の役に立つ方法ではなかった。


学ぶほど、「できないこと」もよく見えるようになった

そして、心理学について知ることが増えても、大切な人の苦しさをこちらの手で消せるようにはなりませんでした。

話を聞くことはできる。知っていることを使って、状況を整理する手伝いができる場合もある。でも、その人が感じている苦しさを代わりに引き受けることはできないし、その人の人生をこちらが望む方向へ動かすこともできない。

知識が増えたら、何でもできるようになると思っていたのに、実際には「ここは自分にはできない」という場所も前よりよく見えるようになりました。

これは当時のわたしには、ちょっと意外でした。

勉強した結果、できることだけが増えると思っていたんですよね。

ところが、できないことまで解像度が上がった。

人を大切に思っている時ほど、これはあまり嬉しい発見ではありません。できることがあるなら全部やりたいのに、こちらが頑張れば突破できる話ではない場所がちゃんとある。

それでも、その限界が見えるようになったことも、学んだことの一部だったのだと思います。


人のことを知りたくて始めたのに、自分まで見えるようになった

もう一つ、予想していなかったことがありました。

人の心について勉強していたら、自分の中で起きていることも以前より見るようになったんです。

「腹が立つ」で終わっていたものをよく見ると、寂しさも混ざっていたりする。「嫌だった」と思っていたけれど、本当は期待していたからがっかりしていた、と気づくこともある。

わたしの場合、自分の感情を言葉にできるようになると、何が起きているのかわからないまま抱えている時間が減りました。

誰かを助けたくて始めた勉強が、思ってもいなかった方向から自分にも返ってきた。

ただ、その結果いちばん大きく変わったのは、「人の心がわかるようになった」ことではなかった気がします。

わからないものを、全部わかろうとしなくなったことでした。

昔のわたしは、そこへ到達すると無力だと思っていました。今は、そこで自分にできることが終わっただけだと思えます。

大切な人が苦しんでいる時、正しい一文を完成させれば何とかできる。そんな答えは、結局見つかりませんでした。でも、答えがなくても人の話を聞くことはできるし、わからないままそばにいることもできる。

そして自分の中で何が起きているのかなら、以前より丁寧に見られるようになりました。

心理学を学んで手に入ったのは、人を助けるための正解集ではありませんでした。

それより、どこまでなら自分にできるのかを、前よりよく見る目だったのだと思います。


▼こんな毎日に辿り着くまでに考えたこと

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集