嫌いな人を頭から追い出したいのに
「もう見ない」と決めたはずなのに、気づけばその人のSNSを開いている。
できれば視界から消えてほしいくらい嫌いなのに、何を投稿しているのか、誰と話しているのか、また嫌なことを言っていないか確認してしまう。
こういうことが、わたしにもありました。好きな人の近況より、嫌いな人の言葉遣いや矛盾の方を細かく覚えている。ファンではない。むしろ逆です。それなのに、いらない知識だけは着実に増えていく。
なんでわざわざ見に行くんだろう。
以前は、「嫌いだから気になるんだろう」くらいに思っていました。
でも、何度か同じことを繰り返しているうちに、見に行ったあとに自分が何を感じているのかが気になりました。
「ほら、やっぱり」を集めていた
嫌いな人の投稿を見て、また引っかかることを見つける。
「ほら、やっぱりこういうところが苦手なんだよな」
その瞬間、少しだけ納得します。
自分がその人を嫌ったことは間違っていなかった。違和感を持った自分の感覚はおかしくなかった。そんなふうに、自分の判断を確認していたのだと思います。
だから粗探しをしていたというより、わたしの場合は「やっぱり」を集めていました。
一度「この人は苦手だ」と思うと、その判断に合う材料はよく見えます。新しい投稿を見つけては、「うん、やっぱり」と確認する。
このままでは粗探し博士号が出そうです。いらない。
でも、確認できると一瞬だけ安心するんですよね。
忘れたい人の情報を、自分で増やしていた
ところが、この安心には困った副作用がありました。
見に行くたびに、その人について新しい情報が入ってくる。
昨日何を言っていたか。最近誰と仲良くしているか。どんなことに怒っているか。また何を始めたか。
頭から追い出したいはずなのに、こちらから最新情報を補充していました。
これは考えてみると、ずいぶん不思議です。
忘れたい。だから確認する。
確認すると「やっぱり嫌いだった」と安心する。
その代わり、その人についてまた一つ詳しくなる。
すると、その人の存在が頭の中で古くならない。
何日か経って薄れかけても、自分で見に行って更新する。せっかく忘れかけていたのに、最新版へ差し替えている。
追い出したい人を、自分で何度も読み込み直していました。
そりゃ消えませんね。
見に行きたくなった時、「何を確認したい?」と聞く
それに気づいてから、嫌いな人を見に行きたくなった時に、一回だけ考えるようになりました。
「今、何を確認したいんだろう」
また嫌なことを言っていてほしいのか。失敗していないか見たいのか。「やっぱりこの人を苦手だと思った自分は正しかった」と安心したいのか。
ここが見えると、SNSを開く目的も少しわかります。
本当にその人の情報が必要なのではなく、自分の判断に納得したかっただけなら、見に行かなくてもいい。
わたしが欲しかったのは、その人の近況ではなく、「わたしの感覚はおかしくなかった」という確認だったからです。
以前は、嫌いな相手について考えている時間を、その人のせいだと思っていた。でも実際には、相手が何もしていない時間にも、こちらからアカウントを開いて続きを取りに行っていたことがあります。
ここは認めるしかない。相手はそこにいるだけなのに、わたしが自主的に巡回していました。
ご苦労なことです。
頭から追い出すために、許さなくていい
嫌いな人を頭から追い出すために、その人を好きになる必要はないと思っています。無理に「相手にも事情があったんだよね」と理解する必要もないし、立派な人間になって許さなくてもいい。
嫌いなら、嫌いなままでもいい。
ただ、もう関わりたくない人について、自分から新しい情報を増やさない。
見に行きたくなったら、「何を確認したい?」と一度見る。そこで「やっぱり私が正しかった、が欲しいだけか」と気づいたら、今日は検索しないで元々やろうとしていたことへ戻る。
たぶん、頭から人が消えていく時というのは、「忘れよう」と頑張った時ではなく、その人について新しいことを知らなくなった時なのだと思います。
わたしは長いこと、追い出したい人の最新情報を自分で仕入れていました。
今思えば、ずいぶん熱心なアンチです。
もう、その情熱は別のところで使いたい。
▼嫌いなら嫌いでもいいんだよ
