鬱な俺は自分を大切にするためにバスケを辞めた
大きな鬱から2年ほど経った頃。
知人のツテで社会人バスケサークルに参加した。
運動は鬱に良い、とよく言われている。掛かりつけの精神科医にバスケを始めたことを伝えると「是非続けてください」と褒められた。
7年ほどバスケ経験があるので、それなりの動きができ…ず。いかんせんブランクの長さ・運動不足のせいで思った動きはもう無理だと悟った。
それでも半年以上、楽しく運動していた。
…
楽しく?
正直、まだ日によって気分の落差があった。
バスケに行くことがプレッシャーになって頭がパンクしそうな感覚に陥ったことも多々あった。
何よりも、かつて運動後に感じていた爽快感・達成感のような感覚は1ミリもなくなっていた。
本気でボールを追いかけても、練習したバックステップ3Pを決めても、さながら現役ばりの大声を出しても。
運動したら、汗をかいたら、鬱には良いって、みんな言ってる。掛かりつけの精神科医も言ってた。
こいつら嘘つきだ。所詮、双極症とか鬱病とか精神疾患とは無縁の人らが「ちょっと落ち込んだことがあったけど、運動して良くなった」って自己肯定感を上げただけの事実を単純に集めただけなんじゃないか。
こんな感じだから日本の精神患者への扱い方は差別・隔離の歴史を未だに引き摺っているんだよ。
当事者のことなんて分かったふりしてるだけだ!
…八つ当たりしても事は良くならないし、元気な頃の俺には戻れない。
心なんてものは目に見えなくて不確かだ。そんなこと腐るほど言われている。人の気持ち・感情に対して、正確な物差しなんてないし比べられない。結局自分のことは自分で管理して、観察して、ご機嫌取らないとダメなんだ。
何百回目の、誰でも思いつくようなことを考えた。
巷で「生殺与奪の権を他人に握らせるな」という名言が流行っていた。俺の手綱を握っているのは俺なんだ、他の人じゃないんだ。
急に腑に落ちた気がする。
「ああ、俺、辛かったんだ」
バスケに関することは一旦全部辞めた。
伴って「辛い」と感じる趣味も辞めた。
不思議と肩の荷が降りた気がした。バスケを辞めて、穴が開いたような生活になると思っていた。そんなことはなく、楽しいと思えることを発見すること、それ自体が楽しかった。
鬱の経験に、敢えて良い意味を持たせるとしたら、他人軸で生きてきたことの限界に気づかせてくれたことだと思う。
だからこそ、もっと自分のことを知って、自分がどう感じているかに注目しよう。
世間が、周りが良いと言ってることに盲目的にならず、自分がどう思い、解釈したかを大切にしよう。
そいつらがよく言う「自分を大切に」ってこういう意味じゃないかな。
