日本化学会の2025年化学の日の投稿について

事の発端

10月23日は化学の日です。これはアボガドロ定数の「10の23乗」に由来しており、毎年化学関連団体が様々なイベントを開催しています。2025年10月23日に日本化学会のサイトに【お知らせ】10月23日は化学の日!「化学の日」の由来になったアボガドロ定数とは何でしょうか?が掲載されました。この投稿はこのような一文で締めくくられています。

現在アボガドロ定数は 6.02214076 × 10²³ mol⁻¹と9桁まで精確(精密で正確なこと)に求められていますが、さらに精確に求める努力が化学者によってなされています。

この一文が2019年以後のmolの定義に則していないため、Xでツッコミを入れられていました。この記事ではXでは(執筆時点では)誰も触れていないところまで踏み込んで、諸々解説していきます。

2019年の改正以後の国際単位系におけるmolの定義

国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版ではmolの定義について以下のように述べられています。

モル(記号は mol)は、物質量のSI単位であり、1モルには、厳密に6.02214076 × 10²³ の要素粒子が含まれる。この数は、アボガドロ定数 $N_\mathrm{A}$ を単位 mol⁻¹で表したときの数値であり、アボガドロ数と呼ばれる。
系の物質量(記号は $n$)は、特定された要素粒子の数の尺度である。要素粒子は、原子、分子、イオン、電子、その他の粒子、あるいは、粒子の集合体のいずれであってもよい。

数値としては日本化学会と国際単位系で同一ですが、日本化学会はこの数値が「9桁まで精確に求められている」と述べているのに対し、国際単位系では「厳密に」と書かれています。言い換えると、日本化学会はアボガドロ定数を「実験値」と捉えているのに対し、国際単位系では「定義値」としているところに差異が生じています。

正直、シンプルに話を終わらせるならここまでで大丈夫です。しかし、Xなどでもあまり触れられていない深い話を続けます。

2019年の改正以前の国際単位系におけるmolの定義

国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版にはmolの以前の定義も記載されています。

モルは 0.012 キログラムの炭素 12 の中に存在する原子の数と等しい数の
要素粒子を含む系の物質量であり、その記号は 「mol」 である

国際純粋・応用物理学連合(IUPAP)、国際純正・応用化学連合(IUPAC)および国際標準化機構(ISO)からの提案を受け、国際度量衡委員会は、炭素 12 のモル質量は厳密に 0.012 kg/mol であると規定することによって、1967 年にモルの定義を定め、1969 年にそれを確認した。

モル質量とは、その要素粒子を1 mol集めたときの質量です。2019年の改正以前は、炭素12 (¹²C) のモル質量を0.012 kg/mol = 12 g/molという「定義値」にすることで、1 molという集まりの粒子数を定めていたわけです。

改正以前のアボガドロ定数の定義

ところで、0.012 kg = 12 gを完璧に計り取るとは可能でしょうか? 計量は実験操作であり、必ず誤差を伴います。また、粒子数は離散値なので、¹²Cを集めてぴったり12 gにできるとは限りません(し、おそらくできません)。したがって、改正以前の定義どおりに12 gの¹²Cの粒子数を求めることは事実上不可能です。

実際には、1個の¹²Cの質量を測定して、そこから逆算することで1 molの粒子数を定めていました。粒子数は離散値なので、原子を1個取り出すのは可能です。1個の¹²Cの質量を$${m({^{12}}\mathrm{C})}$$、¹²Cのモル質量を$${M({^{12}}\mathrm{C})}$$とします。モル質量は物質が1 molあるときの質量であり、それを粒子1個あたりの質量で割れば、物質が1 molあるときの粒子数、つまりアボガドロ定数がわかります。改正以前はこのようにしてアボガドロ定数を定義していました。

$$
N_\mathrm{A} \coloneqq \frac{M({^{12}}\mathrm{C})}{m({^{12}}\mathrm{C})}
$$

原子質量定数

さて、¹²Cのモル質量が12 g/molであると定めた背景について説明します。元素記号の左肩に乗っている数字が関係していそうですね。これは質量数と呼ばれ、その原子の原子核を構成している陽子と中性子の数の合計です。2022年CODATA推奨値によると、陽子と中性子それぞれの質量は以下のとおりです。

$$
\begin{align*}
m_\mathrm{p} &= 1.672 \space 621 \space 925 \space 95(52) \times 10^{-27} \space \mathrm{kg}\
m_\mathrm{n} &= 1.674 \space 927 \space 500 \space 56(85) \times 10^{-27} \space \mathrm{kg}
\end{align*}
$$

有効数字3桁までは一致おり、非常によく似た質量であることがわかります。そのため、だいぶ昔は質量数がそのまま原子の相対的な質量(相対原子質量、原子量)として利用されていたのですが、時代が進むにつれて精確な値が判明してきて、質量数と原子量を同一視できなくなってきました。これに加えて、原子核を構成しているときと単独で存在している時では陽子や中性子の質量が異なる、いわゆる「質量欠損」が起きていることもあり、単に陽子と中性子の数を数えるだけでは原子量を求められないことも判明しました。

このような背景から、¹²Cの原子量を厳密に12とし、他の原子の原子量はこの比率を基準に算出するという規定に変更されました。この比率を機械的に計算するには、原子量1あたりの質量を決めておくと分かりやすいです。これを原子質量定数といい、$${m_\mathrm{u}}$$で表します。¹²Cの原子量を厳密に12と定めたわけですから、原子質量定数は以下のように定義されます。(2022年CODATA推奨値も併記しておきます。)

$$
m_\mathrm{u} \coloneqq \frac{m({^{12}}\mathrm{C})}{12} = 1.660 \space 539 \space 068 \space 92(52) \times 10^{-27} \space \mathrm{kg}
$$

この原子質量定数を質量の単位量としたものが統一原子質量単位で、単位記号は、分子にはDa(ダルトン)、原子にはuが用いられることが多いです。ここではDaに統一します。2022年CODATA推奨値によると、統一原子質量単位を用いれば、陽子および中性子の質量は以下のような数値で表されます。

$$
\begin{align*}
m_\mathrm{p} &= 1.007 \space 276 \space 466 \space 5789(83) \space \mathrm{Da}\
m_\mathrm{n} &= 1.008 \space 664 \space 916 \space 06(40) \space \mathrm{Da}
\end{align*}
$$

また、陽子と電子からなる原子である¹Hはこの論文の数値を借りると以下のようになります。

$$
m({}^{1}\mathrm{H}) = 1.007 \space 825 \space 031 \space 898(14) \space \mathrm{Da}
$$

原子量は原子の質量を原子質量定数で割ったものであるため、統一原子質量単位で表した原子の質量の数値部となります。¹Hの質量数は1ですが、原子量は1から少し大きい値となっています。(陽子は中性子より軽いので、質量欠損を考慮しなければ統一原子質量単位は陽子より重くなるはずであり、そうなると¹Hの原子量は1未満になるはずです。このようなところにも質量欠損の影響、つまり相対論効果が現れているわけです)

昔のアボガドロ定数の意味合いは今でも原子質量定数が持っている

実は、原子質量定数の定義は2019年の改正前後で変わっていません。したがって、12 gの¹²Cに含まれる原子数は改正に関係なく以下の式で計算されます。

$$
N = \frac{12 \space \mathrm{g}}{m({^{12}}\mathrm{C})} = \frac{12 \space \mathrm{g}}{12 m_\mathrm{u}} = \frac{1 \space \mathrm{g}}{m_\mathrm{u}} = \left( \frac{m_\mathrm{u}}{1 \space \mathrm{g}} \right)^{-1}
$$

言葉で書き下すと「12 gの¹²Cに含まれる原子数は、原子質量定数をグラム単位で表した時の数値部の逆数に等しい」となります。改正以前はこれをmolの基準にしていましたが、改正以後はこれとは独立にmolを定義するようになりました。

「さらに精確に求める努力」の対象

では、アボガドロ定数は未来永劫変わることのない値となったのでしょうか。実はそうではありません。Xでも言及しているポストがありましたが、さらなる改正で値が書き換わる可能性は十分あります。例えば、アボガドロ定数の定義値は²⁸Sの単結晶の測定から得られた数値を参考にしているため、その測定の精確性が向上すると定義値が更新されるかもしれません。しかし、この場合の「さらに精確に求める努力」の対象はアボガドロ定数ではなく²⁸Sの単結晶の測定にかかる諸物性です。また、改正前の定義を参考にすれば原子質量定数、つまり1個の¹²Cの質量が「さらに精確に求める努力」の対象です。(molは物質に依存しない単位ですので、²⁸Sを使おうが¹²Cを使おうがどちらでも大丈夫です。)

日本化学会の投稿がリンク切れになるか、中身が書き換わることを願うばかりです。
また、自分の解説よりわかりやすくて正確なものをサイエンスライターや研究者の皆さんが執筆してくれるのも待っています。

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