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研究備忘録:ジェフJ1昇格分析(オシムのポリバレント選手モデルと自営型社員モデルの比較考察)

要旨
イビチャ・オシム監督がジェフユナイテッド市原・千葉において導入した「ポリバレント(polyvalent)な選手」概念は、オシム離脱後に形骸化し、同クラブは17年間J2で低迷した。2025年のJ1復帰は、オシム原則の組織的再解釈の結果であった。本研究は、この22年間の変遷を分析し、太田肇の「自営型社員モデル」との構造的同型性を論証する。理論的枠組みとして、Beltrán-Martín et al.(2009)の四次元柔軟性モデル(内在的柔軟性、スキル可塑性、行動可塑性、関係的柔軟性)を採用し、「組織への溶解→静的汎用性→動的価値創出」の三段階進化モデルを定式化した。分析の結果、オシム時代(2003-2006)は四次元柔軟性を個人レベルで開発したが組織的制度化には至らず、離脱後(2007-2024)は内在的柔軟性のみが残存する退行期であったことが明らかになった。2025年の復帰は、四次元柔軟性の組織レベルでの制度化によって達成され、この状態は太田の自営型社員モデルと構造的同型性を示す。本研究は、太田の「メンバーシップ型→ジョブ型→自営型」とジェフ千葉の「ポジション固定→ユーティリティ→ポリバレンス」が同一の人的資本進化軸を記述しており、第3段階への持続的移行には組織レベルでの制度化が不可欠であることを示唆している。

本稿は、人事実践科学会議創立6周年記念オンライン講演(同志社大学名誉教授・太田肇先生「自営型社員」2025年12月18日)を受講し、着想を頂き2025年12月21日に執筆。筆者は千葉生まれ千葉育ちの50代後半のサッカー付きの男性であり、本稿はサポーター目線で執筆されている点をご了承願ください。

 
第1章:序論
 
1.1   問題の所在
 
イビチャ・オシム監督(1941-2022)が2003年から2006年にかけてジェフユナイテッド市原・千葉において実行した組織変革は、日本サッカー史における重要な転換点であった。オシムは「考えながら走るサッカー」を標榜し、「ポリバレント(polyvalent)な選手」という概念を日本に導入した。2005年・2006年のナビスコカップ連覇は、リソースに制約のあるクラブが知性と運動量によるシステム設計で強豪を凌駕できることを実証した。
しかしながら、オシムが2006年に日本代表監督へ転出した後、ジェフ千葉は2009年にJ2へ降格し、以後17年間にわたり低迷を続けた。「走る・考える」「ポリバレント」という言葉はスローガンとして残存したものの、その本質は形骸化し、組織としての実効性を失った。
2025年、ジェフ千葉は6度目の挑戦でJ1復帰を果たした。この復帰は、オシム時代への単純な回帰ではなく、オシムの原則を歴史的・構造的に再解釈し、選手個々人のポリバレンス(polyvalence)ではなくチームとしての組織的ポリバレンスへとアップデートした結果であった。
なお、本稿では形容詞形「ポリバレント(polyvalent)」を人材や選手の属性を形容する際に、名詞形「ポリバレンス(polyvalence)」を能力・状態・概念そのものを指す際に用いる。この区別により、「ポリバレントな選手」(個人の属性)と「組織的ポリバレンス」(システムの特性)の差異を明確化する。
 
1.2 研究目的
 
本研究の目的は以下の3点である。
第一に、ジェフ千葉の2003年から2025年に至る22年間の変遷を、スポーツ科学、組織行動学、およびシステム理論の観点から多角的に分析し、オシム理論の導入・空洞化・再解釈・組織的アップデートの過程を明らかにすること。
第二に、この事例分析を通じて、太田肇が企業組織において提示した「メンバーシップ型→ジョブ型→自営型」の進化軸と、オシムがサッカーにおいて実践し、その後組織的に再解釈された「ポジション固定→ユーティリティ(utility)→ポリバレント(polyvalent)」の進化軸が、同一の人的資本進化モデルを異なるドメインから記述したものであることを論証すること。
第三に、この構造的同型性(structural isomorphism)から、21世紀型組織における人的資本進化の一般的法則を導出し、経営組織論への実践的含意を提示すること。
 
1.3 本稿の構成
 
本稿は以下の構成をとる。
 
第2章では、本研究の理論的基盤となる先行研究を検討する。デュルケームの社会分業論、太田肇の自営型社員モデル、ポリバレントとユーティリティの概念的区別、Atkinsonの三層柔軟性モデル、およびBeltrán-Martín et al.(2009)による資源ベース視点からの柔軟性概念の拡張を整理し、これらを統合する「仮説」を定式化する。
 
第3章では、ジェフユナイテッド市原・千葉の2003年から2025年に至る変遷を事例研究として記述する。オシム就任前の状況、オシム時代の変革、オシム離脱後の空洞化と17年間の低迷、そして2025年のJ1復帰に至る過程を通時的に分析する。
 
第4章では、第2章の先行研究に基づき、第3章の事例を理論的に解釈する。特に、2025年の組織的アップデート後の状態と太田モデルの構造的同型性を論証し、三段階進化モデルを導出する。
 
第5章では、分析結果を総括し、人的資本進化の一般的法則を導出するとともに、経営組織論への実践的含意を提示する。

第2章:先行研究
 
2.1 デュルケームの社会分業論
 
2.1.1 機械的連帯と有機的連帯
エミール・デュルケーム(1893)は、『社会分業論』において、社会の統合様式を二つの類型に区分した。
機械的連帯(mechanical solidarity):構成員の同質性に基づく統合。伝統的社会において、人々は同じ信念、価値観、生活様式を共有することで結合する。個人は集合意識に埋没し、個性は抑制される。
有機的連帯(organic solidarity):構成員の異質性に基づく統合。近代社会において、分業の進展により人々は異なる職能を担う。各人が専門化し、異なる機能を果たすからこそ、相互依存関係が生じ、社会は統合される。
 
2.1.2 分化と統合の弁証法
デュルケームの核心的洞察は、「分化こそが統合の前提条件である」という逆説的命題にある。機械的連帯においては、同質性が統合の基盤となるため、分化(個性化、専門化)は統合を脅かす要因として抑制される。一方、有機的連帯においては、分化が進むほど相互依存が深まり、より高次の統合が可能になる。
この弁証法は、組織論においても重要な含意を持つ。構成員が同質的である組織は、環境が安定している限り効率的に機能するが、環境変化への適応力に欠ける。一方、構成員が分化した組織は、相互依存の調整コストを要するが、多様な環境に適応できる。
 
2.2 太田肇の自営型社員モデル
 
2.2.1 日本型雇用の三類型
太田肇(2023)は、日本における雇用形態を三つの類型に区分し、その進化を論じている。太田のモデルは、デュルケームの社会分業論を現代日本の雇用論に明示的に応用したものである。
メンバーシップ型:従来の日本企業に典型的な雇用形態。職務記述書(job description)が存在しないか曖昧であり、「会社のために何でもやる」という心理的契約に基づく。長期雇用と年功序列を特徴とし、組織への忠誠と引き換えに雇用の安定と昇進が保証される。太田はこれを「土壁」に例える。個人が組織に融合し、境界が消失した状態であり、デュルケームの機械的連帯に対応する。
ジョブ型:欧米企業に典型的とされる雇用形態。職務記述書により個人の役割が明文化され、責任範囲が明確になる。特定のスキルセットを持つ人材を、そのスキルに適合するポジションに配置する。社内外の労働市場を通じて、スキルと職務のマッチングが行われる。
自営型:太田が21世紀型として提唱する雇用形態。組織に属していながら、あたかも独立した個人事業主のように振る舞う。太田はこれを「石垣」に例える。個人が分化(自立)し、その異質性ゆえに相互依存する有機的連帯の状態であり、デュルケームの有機的連帯に対応する。
 
2.2.2 自営型社員の構造的特徴
太田(2023)によれば、自営型社員の構造的特徴は以下の3点に集約される。
第一に、職務の完結性(task completeness)。業務を細分化されたタスク(作業)としてではなく、一つの「商売」や「プロジェクト」として完結した単位で受任する。これにより、従業員には部分最適ではなく全体最適を志向する「心理的オーナーシップ」が醸成される。
第二に、遂行プロセスの自律性(process autonomy)。成果(output)に対する責任を負う代わりに、時間配分や遂行手段(process)については大幅な裁量が与えられる。「何を達成するか」は組織と合意するが、「どのように達成するか」は個人に委ねられる。
第三に、内部労働市場の市場化。評価の基準を社内政治や上司の主観から、顧客(社内外)からの直接的なフィードバックや市場価値へとシフトさせる。これにより、個人は組織内の政治ゲームではなく、価値創造に集中できる。
 
2.2.3 ジョブ型の限界
太田(2023)は、メンバーシップ型の代替として提唱される「ジョブ型」雇用についても批判的である。ジョブ型を「工業社会の遺物」と位置づけ、以下の限界を指摘する。
職務記述書は「静的」であり、環境変化に対応して役割を動的に変更することを阻害する。また、職務の境界が明確になることで、「それは私の仕事ではない」という越境阻害が生じる。VUCA環境においては、職務記述書の更新が環境変化に追いつかず、組織の適応力を損なう。
 
2.3 ポリバレントとユーティリティの概念的区別
 
2.3.1 語源と化学的メタファー
「ポリバレント(polyvalent)」の語源は化学用語に遡る。ギリシア語の polys(多くの)とラテン語の valentia(能力・強さ)を組み合わせた造語であり、名詞形は「ポリバレンス(polyvalence)」、形容詞形は「ポリバレント(polyvalent)」である。この用語は1866年に初めて文献に登場した。
化学において「原子価(valence)」とは原子の結合能力を指し、多価(polyvalent)元素である鉄(Fe²⁺, Fe³⁺など)や炭素のように、他者と複数の結合手を結びうる性質を表す。Gilbert Lewis(1916年)やIrving Langmuir(1919年, 1920年)の電子論は、多価元素が電子対を共有することで複数の原子を繋ぎ止め、複雑かつ安定した分子構造を形成する際の「結節点(Node)」となるメカニズムを解明した。
この化学的原理を組織論にメタファーとして適用すると、ポリバレント(polyvalent)な人材とは、単なる多能工ではなく、「多重結合能力」を有し、機能的境界を越えて多様なアクターと生産的な関係を構築し、複雑な組織ネットワークを安定化・活性化させる「人間的触媒(Human Catalyst)」として概念化できる。
このポリバレント(polyvalent)という概念は、イビチャ・オシム監督(1941-2022)が2003年から2006年にかけてジェフユナイテッド市原・千葉の監督として、そして2006年から2007年にかけて日本代表の監督として活躍した際に、日本サッカー界を通じて日本のスポーツ科学や組織行動学の世界に紹介された。
2.3.2 ユーティリティとポリバレントの決定的差異
林(2022)は、臨床データマネジメント(CDM)の文脈において、ユーティリティプレーヤーとポリバレントプレーヤーの区別を以下のように整理している。
「ユーティリティープレーヤーとは複数のポジションをこなせるプレーヤーで、たとえばフォワード、ミッドフィルダー、ディフェンダーをこなせる器用な選手がいたとする。フォワードで先発した試合においてはフォワードとしての役割を全うして、フォワードが担うべき範囲のなかで動き、きちんと得点を決めた。」
「一方でポリバレントはどういう意味かというと、たとえば、下がり目のミッドフィルダーがポリバレントプレーヤーだといわれる人だったとする。そうすると、そもそもハードワークをするプレーヤーで、守備範囲、カバーするエリアが広い。中盤でありながら、前線に飛び出ていって、前に出たらフォワードと同じぐらいの得点能力をもって点を取ってくるし、ディフェンスに回れば、本職のディフェンダーと同じぐらい攻撃を食い止めるような力をもっている。要は通常の感覚の範囲を越えた場所で活躍をみせる選手をポリバレントプレーヤーというと私自身は思っている。」(林, 2022, p. s79)
この区別を整理すると、以下の表のようになる。

ユーティリティ選手とポリバレント選手の比較

この区別は、太田モデルにおける「ジョブ型」と「自営型」の区別に構造的に対応する。ジョブ型社員は複数の職務記述書に適合できる汎用性を持つが、各職務の定義された範囲内で行動する。自営型社員は、成果達成のために必要な役割を自ら定義・実行し、職務の境界を越えて行動する。
 
2.4 Atkinsonの三層柔軟性モデル
 
2.4.1 モデルの概要
John Atkinson(1984, 1987)は、「フレキシブル・ファーム・モデル」において、組織の柔軟性を三つの類型に区分した。
数量的柔軟性(numerical flexibility):労働力の量的調整能力。パートタイム労働者、派遣労働者、有期契約労働者などの「周辺労働力」を活用し、需要変動に応じて人員を増減させる。
財務的柔軟性(financial flexibility):報酬制度の柔軟性。成果連動型賃金、業績賞与、外部委託(アウトソーシング)などを通じて、固定費を変動費化し、財務リスクを分散させる。
機能的柔軟性(functional flexibility):労働者の職務範囲の柔軟性。複数のタスクを遂行できる多能工(multi-skilled workers)を「コア労働力」として育成し、業務内容の変化に対応する。
 
2.4.2 コア・ペリフェリー構造
Atkinsonモデルの特徴は、労働力を「コア」と「ペリフェリー」に二分する点にある。コア労働力は機能的柔軟性を担い、長期雇用と企業内訓練を通じて多能工化される。一方、ペリフェリー労働力は数量的・財務的柔軟性を担い、外部労働市場を通じて調達・放出される。
この構造は、不確実性を管理するための「守備的」戦略として機能する。コア労働力を保護しつつ、ペリフェリー労働力で需要変動を吸収することで、組織の安定性と柔軟性を両立させようとする。
 
2.5 資源ベース視点からの柔軟性概念の拡張:Beltrán-Martín et al.(2009)
 
2.5.1 Atkinsonモデルへの批判
Beltrán-Martín, Roca-Puig, Escrig-Tena, & Bou-Llusar(2009)は、Atkinsonモデルに対して資源ベース視点(Resource-Based View: RBV)から根本的な再検討を加えた。彼らの批判は以下の三点に集約される。
第一に、Atkinsonモデルは構造的視点であり、能力ベースの視点ではない。Atkinsonの問いは「誰がどのような雇用形態でどのタスクを遂行すべきか」であり、「人的資本の本質的な適応能力をいかに開発・活用するか」ではない。焦点は雇用慣行(契約類型、セグメンテーション政策)に置かれ、労働力自体が持つ柔軟性能力には向けられていない。
第二に、Atkinsonの機能的柔軟性概念は静的である。Atkinsonモデルにおいて、機能的柔軟性とは労働者を「活動やタスク間で迅速かつ円滑に再配置できる」ことを意味する。これは本質的に、既存の職務カテゴリーに対するマルチスキリングである。電気工に配管工の技能も習得させるような、確立された職務間の汎用性を指す。
第三に、ペリフェリー労働者の発展を排除することは戦略的人的資源管理と矛盾する。Atkinsonモデルにおいて、ペリフェリー労働者は訓練を受けず、技能開発から恒久的に排除される。これは自己強化的な不平等を生み出す。
 
2.5.2 動的柔軟性概念への拡張
Beltrán-Martín et al.(2009)は、Penrose(1959)の企業成長理論およびSanchez(1995)の戦略的柔軟性論に依拠し、柔軟性概念を拡張した。Penroseは、資源の価値はその「生産的可能性(productive possibilities)」にあると論じた。すなわち、資源は現在遂行している用途だけでなく、まだ想像されていない、あるいは要求されていない用途を生成する潜在性を持つ場合に戦略的資産となる。
この観点から、Beltrán-Martín et al.は以下のように主張する。
組織資源が柔軟であるのは、それが「新しいサービスの供給者(suppliers of new services)」となりうる場合である。柔軟性とは既存の応用可能性だけでなく、新たな応用を生成する潜在性に関わる。
人的資本に適用すれば、従業員が柔軟であるのは、現在複数のタスクを遂行しているからだけではなく、彼らのスキル・知識・行動的適応性が、将来の予見されない課題に対して新たな方法で対応する位置に彼らを置いているからである。焦点は「実証された汎用性」から「適応的潜在性」へと移行する。
 
2.5.3 内部労働柔軟性の四次元モデル
Beltrán-Martín et al.(2009)は、内部労働柔軟性(Internal Labour Flexibility: ILF)を以下の四次元で概念化した:内在的柔軟性(intrinsic flexibility)、スキル可塑性(skill malleability)、行動可塑性(behavioural malleability)、関係的柔軟性(relational flexibility)。
第一に、内在的柔軟性(intrinsic flexibility)。資源の「複数の状況への適用可能性」を指す。労働者の既存スキルが、修正なしに複数の役割や職務に転用できる程度を測定する。これはAtkinsonの機能的柔軟性に最も近い次元であり、「静的な汎用性」に相当する。
第二に、スキル可塑性(skill malleability)。労働者が新たな能力を迅速に獲得し、既存スキルを更新し、将来の要件を予測できる程度を指す。従業員が常に能力を更新しているか、新しい手順を迅速に学習するか、将来のスキルニーズを先見的に特定するかを測定する。
第三に、行動可塑性(behavioral malleability)。「ルーティン行動に対置される適応性、状況固有の要求に適応できる幅広い行動レパートリーを従業員が保有している程度」を指す。労働者が自発的に問題を特定するか、市場条件の変化に応じて作業習慣を変更するか、顧客要件に基づいて行動を調整するかを測定する。
第四に、関係的柔軟性(relational flexibility)。「一つの資源と他の資源との結合可能性を促進する」程度を指す。集合的人的資本を生成する調整メカニズムを測定する。従業員が情報を共有するか、組織境界を越えてアイデアを交換するか、成功事例を普及させるための定期的な会議を開催するかを測定する。
 
2.5.4 四次元モデルとポリバレンス概念の接続
Beltrán-Martín et al.の四次元モデルを用いると、Atkinsonの「機能的柔軟性」と本稿で論じる「ポリバレンス」の関係は以下のように整理できる。

Atkinsonの機能的柔軟性とポリバレントの比較

Atkinsonの機能的柔軟性は、Beltrán-Martín et al.の四次元モデルにおける「内在的柔軟性」—すなわち既存の応用範囲における資源の汎用性—に相当する。しかし、ポリバレンスはこれに加えて、「スキル可塑性」(新たなスキルを迅速に獲得する能力)、「行動可塑性」(状況に応じて行動を適応させる能力)、および「関係的柔軟性」(他の資源と新たな構成で結合する能力)を包含する。
ポリバレントな人材は、現在のタスク範囲を遂行できるだけでなく、既存のタスク範囲が陳腐化したり不十分になったりした場合に適応する可塑性と関係的能力を持つ。これは、Atkinsonモデルが想定していなかった柔軟性の次元である。
 
2.6 仮説:三段階進化モデルの定式化
 
2.6.1 仮説の定式化
本研究は、上記の先行研究を統合し、以下の仮説を提示する。
仮説:デュルケームの社会分業論、太田の自営型社員モデル、ポリバレント/ユーティリティの概念的区別、Atkinsonの柔軟性モデル、およびBeltrán-Martín et al.の四次元柔軟性モデルは、同一の人的資本進化軸を異なる視角から記述している。この進化軸は、「組織への溶解(機械的連帯)」→「静的汎用性(移行期)」→「動的価値創出(有機的連帯)」の三段階として定式化できる。
 
2.6.2 三段階進化モデルの構造
以下の表は、三段階進化モデルの構造を示す。各理論フレームワークが同一の進化軸をどのように記述しているかを対応させている。

三段階進化モデルにおける各理論フレームワークの対応

この三段階は、人間認識の進化を示す:モノ(代替可能な部品)→ 汎用的リソース(複数役割の遂行者)→ 知的資本(価値創造の触媒)。
 
2.6.3 適応戦略の類型:守備的適応と攻撃的適応
表1の三段階進化モデルは、組織の適応戦略という観点からも解釈できる。以下の表2は、三段階進化モデルを適応戦略の類型として再整理したものである。

適応戦略の類型と三段階進化モデルの対応

伝統的Atkinsonモデルは、第2段階の「守備的適応」に対応する。コア労働力を保護し、ペリフェリー労働力で需要変動を吸収することで、組織の安定性を維持しようとする。これは、環境変化を「脅威」として捉え、その影響を最小化する戦略である。
これに対し、第3段階の「攻撃的適応」は、環境変化を「脅威」ではなく「機会」として捉え、カオスを自己組織化のエネルギー源として活用する。ポリバレント(polyvalent)な人材は、変化する文脈の中で自律的に役割を創出し、新たな価値を生成する触媒として機能する。
 
2.6.4 本研究のリサーチ・クエスチョン
本研究は、三段階進化モデルおよびBeltrán-Martín et al.の四次元柔軟性モデルを分析枠組みとして採用し、ジェフ千葉の2003年から2025年に至る変遷を解釈する。具体的には、以下の4つのリサーチ・クエスチョン(RQ)を設定する。
 
RQ1:オシム時代(2003-2006)は、四次元すべての柔軟性を個人レベルで開発しようとした時期として位置づけられるか
 
RQ2:オシム離脱後の空洞化(2007-2024)は、スキル可塑性・行動可塑性・関係的柔軟性が失われ、内在的柔軟性のみが残存した状態として解釈できるか
 
RQ3:2025年のJ1復帰は、四次元すべての柔軟性を組織レベルで制度化したことによって達成されたか
 
RQ4:2025年の組織状態と太田の自営型社員モデルは、構造的同型性を示すか
 
これらのリサーチ・クエスチョンに対する分析結果は、第4章において総括する。

 第3章:事例研究 ― ジェフユナイテッド市原・千葉 2003-2025
 
3.1 オシム就任前:「ジェフ・スピリット」という名の敗北主義
 
3.1.1 組織文化の病理
オシム就任以前(~2002年)のジェフ千葉は、Jリーグ発足時からの「オリジナル10」でありながら、タイトルとは無縁の存在であった。当時のチームを覆っていたのは、「ジェフ・スピリット」と自虐的に呼ばれる独特の組織文化であった。
技術的に優れた選手を擁しながら、試合終了間際の失点や、重要な局面での精神的崩壊を繰り返す。「良い試合はするが勝てない(good losers)」という自己イメージが組織内に固定化していた。これは、心理学でいう「学習性無力感(learned helplessness)」の状態であり、失敗経験の蓄積が「どうせ勝てない」という信念を強化し、その信念がさらなる失敗を招くという悪循環が形成されていた。
 
3.1.2 リソース制約
首都圏に位置しながら、浦和レッズや横浜F・マリノスのような巨大な資金力を持たず、補強は限定的であった。スター選手に依存できない環境は、逆に言えば「システムによる解決」を強いる土壌でもあった。
 
3.1.3 四次元柔軟性モデルによる診断
この時期のジェフ千葉を、Beltrán-Martín et al.の四次元柔軟性モデルで診断すると、以下のようになる。

オシム就任前のジェフユナイテッド市原・千葉の状況

仮説における第1段階(組織への溶解)に位置していたと解釈できる。デュルケームの用語では機械的連帯、太田の比喩では「土壁」の状態であり、組織への溶解は、同時に「敗北主義への溶解」でもあった。
 
3.2 オシム時代(2003-2006):四次元柔軟性の個人レベルでの開発
 
3.2.1 ポリバレンス概念の導入
2003年に来日したオシム氏は、この状況を「ライオンに追われるウサギ」に例え、弱者が強者に勝つための唯一の解として「リスクを冒すこと」と「運動量(quantity of running)と知的判断(quality of thinking)の統合」を掲げた。
オシムが導入した「ポリバレント(polyvalent)な選手」という概念は、従来の「ユーティリティ(utility)」とは本質的に異なるものであった。林(2022)の区別に従えば、ユーティリティが「複数のポジションをこなすことができる選手」を意味するのに対し、ポリバレントは「複数の役割をこなすことができる選手」を意味した。
オシムは「ポジションは住所ではない」と述べ、フォーメーション図を「出発点のガイドライン」に過ぎないとした。試合が始まれば、形はアメーバのように変化する。DFがFWの役割を果たすべき瞬間、FWが第一守備者となるべき瞬間は、試合展開によって動的に変化する。
 
3.2.2 トレーニング方法論と四次元柔軟性の開発
オシムのトレーニングは、Beltrán-Martín et al.の四次元柔軟性すべてを同時に開発するものであった。
多色ビブス・トレーニングと行動可塑性の開発
最も象徴的なのが、4色のビブスを用いたパスゲームである。4色(赤・青・黄・白)のチームが混在し、パスの順番が指定される(赤→青→黄→白→赤...)。「同じ色の選手にはパスしてはいけない」というルールに加え、ボールを2個同時に投入することでカオスを増幅させる。選手は「ボールを見る」「味方を探す」「敵を避ける」に加え、「色の順番を記憶する」「次のパスコースを予測する」というマルチタスクを強いられる。
このトレーニングは、Beltrán-Martín et al.が言う「行動可塑性」—「ルーティン行動に対置される適応性、状況固有の要求に適応できる幅広い行動レパートリー」—を開発するものであった。選手は、予測不能な状況の中で瞬時に行動を適応させる能力を訓練された。
「なぜ?」の繰り返しとスキル可塑性の開発
オシムはプレーを止める際、決して「こう動け」とは指示しなかった。「なぜそこに走ったのか?」「なぜパスを出さなかったのか?」と問い続けた。これは、正解(pattern)を教えるのではなく、正解を導き出すためのアルゴリズム(principle)を学習させるプロセスであった。
このアプローチは、Beltrán-Martín et al.が言う「スキル可塑性」—「新たな能力を迅速に獲得し、既存スキルを更新し、将来の要件を予測できる」能力—を開発するものであった。選手は、特定の戦術パターンを暗記するのではなく、新たな状況に対して自律的に解決策を生成する能力を獲得した。
認知的共有と関係的柔軟性の開発
オシムは「考えながら走る」ことを要求した。これは単なる個人の認知能力ではなく、チーム全体の状況認識をリアルタイムで共有する能力を意味した。攻撃時に空いたスペースを誰かが埋める、抜かれた穴を即座に隣の人間が埋める、という有機的な相互補完は、選手間の「認知的共有」なしには成立しない。
このアプローチは、Beltrán-Martín et al.が言う「関係的柔軟性」—「一つの資源と他の資源との結合可能性を促進する」能力—を開発するものであった。選手は、情報を共有し、組織境界を越えてアイデアを交換し、集合的な知性を生成する能力を獲得した。
 
3.2.3 戦術アーキテクチャ
当時のJリーグは「ゾーンディフェンス」と「組織的ブロック」が主流となりつつあった。オシムはそのトレンドに逆行し、「オールコート・マンツーマン」という奇策を採用した。
個の能力で劣るジェフ千葉が、技術で勝る相手(ガンバ大阪、ジュビロ磐田など)を止めるには、相手に考える時間を与えないことが必要だった。マンマークによって相手の自由を奪い、ピッチ全体でデュエル(1対1)を仕掛けることで、試合を「技術戦」から「消耗戦」へと引きずり込んだ。
この戦術は極めてハイリスクであった。一人が抜かれればシステムが崩壊する。これを成立させるためには、抜かれた穴を即座に隣の人間が埋める、あるいは攻撃時に空いたスペースを誰かが埋めるという、有機的な相互補完が不可欠であった。ポリバレントな選手とは、この「システムのエラーを自律的に修復できるノード」のことを指す。
この戦術が機能するためには、四次元すべての柔軟性が必要であった。内在的柔軟性(複数ポジションの遂行能力)だけでは不十分であり、スキル可塑性(新たな状況への即応)、行動可塑性(状況固有の行動レパートリー)、関係的柔軟性(認知的共有と相互補完)が統合されて初めて、ハイリスク戦術は成立した。
 
3.2.4 人的資本の変容
オシムの指導は、選手のキャリアとアイデンティティを根本から変容させた。以下では、阿部勇樹、巻誠一郎、羽生直剛の三名を取り上げ、四次元柔軟性モデルに基づいて分析する。
 
阿部勇樹:四次元柔軟性の体現者
 
守備的MFであった阿部を、オシムはリベロ、あるいはセンターバックとして起用し、さらに攻撃時には司令塔としての役割も求めた。阿部は守備の統率と攻撃の起点という二律背反するタスクを完遂し、日本代表の不可欠な存在へと成長した。

オシム以前とオシム指導後の阿部勇樹

阿部の事例は、四次元柔軟性が統合的に開発された典型例である。オシムは阿部を「日本で最も頭のいい選手」と評したが、これは単なる知性ではなく、四次元柔軟性の統合的な発揮を指していた。
 
 
巻誠一郎:行動可塑性と関係的柔軟性による価値創出
 
巻誠一郎は、技術的には不器用な選手であった。パスやトラップの精度、ドリブル突破力といった「内在的柔軟性」の基盤となる技術的スキルにおいて、Jリーグのトップレベルとは言い難かった。しかしオシムは、巻に対して「ゴールを決めなくてもいい、誰よりも追え」と指示し、従来の「FWとしての得点」という役割定義を根本から覆した。

オシム以前とオシム指導後の巻誠一郎

巻の事例は、「内在的柔軟性」(技術的スキル)が限定的であっても、「行動可塑性」と「関係的柔軟性」によって組織に不可欠な価値を創出できることを示している。オシムは、巻の技術的制約を克服しようとするのではなく、巻が持つハードワーク能力を戦術的に価値化する枠組みを設計した。これは、評価基準の再定義によって行動変容を促す典型的な組織設計介入である。
巻は2006年ドイツW杯の日本代表メンバーに選出され、オシムジャパンでも中心選手として活躍した。技術的に優れた選手が多数いる中で、「走ること」に特化した巻が代表に選ばれたことは、ポリバレンスが単なる技術的多能性ではないことを象徴している。
 
羽生直剛:関係的柔軟性の触媒
羽生直剛は、ボールに触れない時間帯のランニング(off the ball movement)に特徴があった。従来の評価基準では「無駄走り」と見なされかねない動きを、オシムは「チームのための犠牲」として積極的に価値付けた。

オシム以前とオシム指導後の羽生直剛

羽生の事例は、「関係的柔軟性」の本質を示している。羽生のランニングは、それ自体が直接的な成果(ゴール、アシスト)を生むわけではない。しかし、羽生の動きによって相手DFが釣り出され、味方のためのスペースが生まれ、チーム全体の攻撃が活性化する。これは、化学における「触媒」の機能に類似している。触媒自体は化学反応の前後で変化しないが、反応の活性化エネルギーを下げ、反応を促進する。
羽生は、チームにおける「人間的触媒(Human Catalyst)」の典型例である。彼の貢献は、従来の個人成績(ゴール数、アシスト数)では測定できない。しかし、チーム全体のパフォーマンスに対する彼の貢献は不可欠であった。オシムは、こうした「見えない貢献」を評価する枠組みを構築することで、羽生のような選手の価値を可視化した。
 
3.2.5 成果
変革の成果は、数字とタイトルによって証明された。

オシム時代のジェフユナイテッド市原・千葉の成績

3.2.6 オシム時代の限界:個人レベルの開発にとどまった四次元柔軟性
しかしながら、オシム時代の成功には構造的限界が内在していた。
第一に、オシム個人への依存。四次元柔軟性の開発は、オシムという卓越した指導者の認知能力と指導力に依存していた。選手たちは「オシムの問い」に応答する形でスキル可塑性・行動可塑性を獲得し、「オシムの戦術」を通じて関係的柔軟性を発揮したが、「オシムなしで四次元柔軟性を維持する」ための組織的仕組みは構築されていなかった。
第二に、個人レベルの開発への偏重。オシムは個々の選手の四次元柔軟性を開発することに成功したが、チームとしての組織的柔軟性(システムとしてのポリバレンス)は十分に制度化されていなかった。四次元柔軟性は、オシムという「媒介者」を通じて個人に埋め込まれたが、組織の構造・文化・制度として定着していなかった。
仮説の観点からは、オシム時代は第3段階への移行を試みた時期であったが、その移行はオシム個人の能力に依存した不安定な状態であり、組織として制度化されていなかったと解釈できる。Beltrán-Martín et al.の枠組みでは、四次元柔軟性が個人レベルで開発されたが、組織レベルでは制度化されていなかった状態である。
 
3.3 オシム離脱後の空洞化(2007-2024):四次元柔軟性から内在的柔軟性への退行
 
3.3.1 哲学の断絶
2006年、オシムは日本代表監督へ転出した。後任監督たちはオシムの戦術を継承しようとしたが、その本質を再現することはできなかった。
「走る・考える」「ポリバレント」という言葉はスローガンとして残存したが、その本質は形骸化した。選手たちは「走ること」を「考えること」から切り離し、単なる運動量の競争として解釈した。「ポリバレント」は「複数ポジションをこなせるユーティリティ」と同義に退化した。
林(2022)の区別に照らせば、オシム離脱後のジェフ千葉は、「複数の役割をこなす」ポリバレントから「複数のポジションをこなす」ユーティリティへと退行したのである。
 
3.3.2 四次元柔軟性モデルによる空洞化の分析
Beltrán-Martín et al.の四次元柔軟性モデルを用いると、オシム離脱後の空洞化は以下のように分析できる。

オシム離脱後の空洞化

この分析から明らかになるのは、オシム離脱後に残存したのは「内在的柔軟性」のみであり、これはAtkinsonの「機能的柔軟性」に相当する。すなわち、ジェフ千葉はポリバレンスからユーティリティへと退行したのである。
「走る・考える」というスローガンが空洞化したのは、「考える」に相当するスキル可塑性と行動可塑性が失われ、「走る」という内在的柔軟性の一側面のみが残存したためである。「ポリバレント」というスローガンが空洞化したのは、四次元すべてを統合したポリバレンスが、内在的柔軟性のみのユーティリティへと退行したためである。
 
3.3.3 J2降格と長期低迷
2009年、ジェフ千葉はJ2へ降格した。以後、「昇格候補」と言われながら毎年のように失速し、プレーオフ敗退を繰り返した。特に昇格プレーオフでは、複数回チャンスを得ながら「ここ一番」で勝てない構図が続き、かつての「ジェフ・スピリット(勝負弱さ)」が形を変えて再現された。
この期間の特徴は以下の通りである。
監督の頻繁な交代:一貫した哲学が構築されず、監督交代のたびに戦術が変更された。これにより、スキル可塑性の組織的開発が不可能になった。
外国籍選手への依存:即戦力として外国籍選手を補強するが、チームの哲学に統合されず、単発的な活躍に終わる。これは、関係的柔軟性の欠如を示している。
スローガンの空洞化:「オシムの遺産」「走るサッカー」といった言葉は使われ続けたが、その内実は失われていた。内在的柔軟性のみが残存し、他の三次元は失われていた。
 
3.3.4 退行の構造
仮説の観点からは、オシム離脱後のジェフ千葉は第2段階(静的汎用性)への退行を経験したと解釈できる。Beltrán-Martín et al.の枠組みでは、四次元柔軟性から内在的柔軟性のみへの退行として解釈できる。
オシム時代に個人レベルで獲得された四次元柔軟性は、オシムという「認知的共有の媒介者」を失ったことで、組織全体で維持することができなくなった。選手たちは再び与えられたポジションに従属し、監督の指示を待つ受動的存在へと退行した。
「ジェフ・スピリット」の再現は、この退行を象徴している。オシム以前の「学習性無力感」が、オシムによって一時的に克服されたものの、組織として制度化されなかったために、オシム離脱後に再び顕在化したのである。
 
3.4 2025年J1復帰:四次元柔軟性の組織的制度化
 
3.4.1 転換点
2023年、小林慶行が監督に就任した。小林体制の特徴は、オシム原則への「回帰」ではなく、「再解釈と組織的アップデート」にあった。
哲学の再解釈:「走る・考える」という言葉を、「全員が同じように走り続ける」から「役割に応じて走る質と量を設計し、チームとしての総合的エネルギー配分を最適化する」へと再解釈した。
システムとしてのポリバレンス:個人のポリバレンスではなく、「セットプレー・守備ブロック・トランジション」という戦術モジュールが相互に補完し合う、システムとしてのポリバレンスを構築した。
 
3.4.2 四次元柔軟性の組織的制度化
2025年のJ1復帰を可能にした組織的アップデートは、Beltrán-Martín et al.の四次元柔軟性モデルを用いて以下のように分析できる。

J1復帰を可能にした組織的アップデート

第一に、内在的柔軟性の制度化。守備組織・セットプレー・トランジションといった戦術構造に合わせた補強と育成が行われた。「外からの即席補強だけで支えるチーム」から「自前の人材とポイント補強を組み合わせるチーム」へ移行した。これにより、内在的柔軟性が個人の属性ではなく、組織の構造として担保されるようになった。

第二に、スキル可塑性の制度化。小林監督体制が2023年から継続し、監督・戦術・クラブ経営が中期スパンで継続された。短期的な「ショック療法」ではなく、漸進的な構造変化が可能になった。これにより、スキル可塑性が特定の指導者の問いかけではなく、組織の継続的な学習プロセスとして担保されるようになった。

第三に、行動可塑性の制度化。「セットプレー・守備ブロック・トランジション」という戦術モジュールが設計され、選手は状況に応じて適切なモジュールを適用する能力を獲得した。これにより、行動可塑性が個人の即興性ではなく、組織の戦術構造として担保されるようになった。

第四に、関係的柔軟性の制度化。戦術モジュール間の相互補完が設計され、特定の個人に依存しない構造的冗長性が確保された。これにより、関係的柔軟性がオシムという媒介者ではなく、組織の構造として担保されるようになった。
 
3.4.3 オシム原則の歴史的・構造的再解釈

オシムの原則を歴史的・構造的に再解釈

この再解釈は、「オシム時代への回帰」ではない。オシムの原則を歴史的・構造的に再解釈し、個人レベルの四次元柔軟性から組織レベルの四次元柔軟性へとアップデートした結果としての復活である。
 
3.4.4 カルチャーのリセット
「勝負弱いジェフ」「オシムの幻影に縛られたジェフ」という自己物語から脱却し、「J2で17年戦い抜き、なお昇格を諦めなかったクラブ」という新たな物語を獲得した。
この物語の転換は、「学習性無力感」の克服を意味する。オシム時代はオシム個人によって学習性無力感が一時的に克服されたが、オシム離脱後に再発した。2025年の復帰は、組織として学習性無力感を克服したことを示している。

第4章:分析 ― 先行研究に基づく事例の理論的解釈
 
4.1 リサーチ・クエスチョンへの回答
 
第2章で設定した4つのリサーチ・クエスチョン(RQ)に対して、第3章の事例分析に基づき、以下のように回答する。
 
4.1.1 RQ1への回答:オシム時代における四次元柔軟性の個人レベル開発
RQ1:オシム時代(2003-2006)は、四次元すべての柔軟性を個人レベルで開発しようとした時期として位置づけられるか
回答:支持される
第3章の分析から、オシム時代は四次元すべての柔軟性を個人レベルで開発した時期として位置づけられることが確認された。

オシム時代における四次元柔軟性の個人レベル開発

ただし、これらの開発はすべてオシム個人の指導力に依存しており、組織として制度化されていなかった。
 

4.1.2 RQ2への回答:オシム離脱後の空洞化
RQ2:オシム離脱後の空洞化(2007-2024)は、スキル可塑性・行動可塑性・関係的柔軟性が失われ、内在的柔軟性のみが残存した状態として解釈できるか
回答:支持される
第3章の分析から、オシム離脱後の空洞化は、四次元柔軟性から内在的柔軟性のみへの退行として解釈できることが確認された。

オシム離脱後の空洞化

「走る・考える」「ポリバレント」というスローガンが空洞化したのは、四次元のうち三次元が失われ、内在的柔軟性のみが残存したためである。これは、ポリバレンスからユーティリティへの退行を意味する。
 
4.1.3 RQ3への回答:2025年の四次元柔軟性の組織的制度化
RQ3:2025年のJ1復帰は、四次元すべての柔軟性を組織レベルで制度化したことによって達成されたか
回答:支持される
第3章の分析から、2025年のJ1復帰は、四次元すべての柔軟性を組織レベルで制度化したことによって達成されたと解釈できることが確認された。

2025年の四次元柔軟性の組織的制度化

決定的な差異は、四次元柔軟性の担い手が個人から組織へと移行した点にある。オシム時代は「オシムなしでは維持できない」人格依存的な状態であったが、2025年は「特定の個人に依存しない」システム依存的な状態を実現した。
 
4.1.4 RQ4への回答:太田モデルとの構造的同型性
RQ4:2025年の組織状態と太田の自営型社員モデルは、構造的同型性を示すか
回答:支持される
第3章の分析および以下の比較分析から、2025年のジェフ千葉の組織状態と太田の自営型社員モデルが構造的同型性を示すことが確認された。

太田モデルとの構造的同型性

重要な点は、この構造的同型性が「オシム時代の一時的成功」ではなく、「17年間の低迷を経て組織的にアップデートされた2025年の状態」において成立することである。オシム時代は、太田モデルとの比較においては「不安定な移行期」として位置づけられる。

4.2 三段階進化モデルと四次元柔軟性モデルの統合
 
4.2.1 ジェフ千葉の進化経路
RQへの回答を踏まえ、仮説の三段階進化モデルおよびBeltrán-Martín et al.の四次元柔軟性モデルを用いて、ジェフ千葉の2002年から2025年に至る変遷を総括すると、以下の経路が描ける。

2002年から2025年に至る変遷

4.2.2 オシム時代と2025年の質的差異
オシム時代(2003-2006)と2025年は、いずれも第3段階に位置するが、その安定性と制度化の程度において質的に異なる。
オシム時代:四次元柔軟性は、オシムという卓越した指導者の個人的能力に依存していた。選手たちは「オシムの問い」に応答することでスキル可塑性を獲得し、「オシムの戦術」を通じて行動可塑性と関係的柔軟性を発揮したが、この状態は人格依存的(person-dependent)であり、オシム離脱とともに崩壊した。
2025年:四次元柔軟性は、組織的な戦術構造、評価システム、カルチャーとして制度化されている。特定の指導者や選手に依存せず、システム依存的(system-dependent)に維持される。これは、太田が言う「自営型社員」が組織として機能する状態に対応する。
 
4.3 構造的同型性の理論的含意
 
4.3.1 同一進化軸の発見
本分析を通じて明らかになったのは、太田が企業組織において提示した「メンバーシップ型→ジョブ型→自営型」の進化軸と、ジェフ千葉が22年間かけて辿った「ポジション固定→ユーティリティ→システムとしてのポリバレンス」の進化軸が、同一の人的資本進化モデルを異なるドメインから記述しているという事実である。
Beltrán-Martín et al. (2009) の四次元柔軟性モデルを用いると、この構造的同型性はさらに明確になる。

太田モデルとジェフ千葉モデルの比較

この構造的同型性は、偶然の一致ではない。両者は、20世紀型組織の限界(中央制御、静的役割定義、個人の従属)を克服し、21世紀型組織(分散自律、動的役割創出、個人/システムの自立)への移行を、それぞれのドメインにおいて独立に発見したのである。
 
4.3.2 「個人のポリバレンス」から「システムとしてのポリバレンス」へ
本研究の事例分析は、ポリバレンス概念自体の進化を示唆している。
個人のポリバレンス(オシム時代):個々の選手が、四次元柔軟性を個人レベルで保持する。この状態は、卓越した指導者による継続的な働きかけを必要とする。
システムとしてのポリバレンス(2025年):チームの戦術構造自体が、四次元柔軟性を組織レベルで保持する。この状態は、組織的に制度化されており、特定の個人に依存しない。
この進化は、太田モデルにおける「個人の自営型化」から「組織全体の自営型化」への進化に対応する。真の第3段階は、個人レベルではなく組織レベルで達成される必要がある。

第5章:結論
 
5.1 研究成果の要約
 
本研究は、ジェフユナイテッド市原・千葉の2003年から2025年に至る22年間の変遷を事例として分析し、以下の成果を得た。
第一に、デュルケームの社会分業論、太田肇の自営型社員モデル、ポリバレント/ユーティリティの概念的区別、Atkinsonの柔軟性モデル、およびBeltrán-Martín et al.の四次元柔軟性モデルを統合し、「仮説」として三段階進化モデルを定式化した。この進化軸は、「組織への溶解(機械的連帯)」→「静的汎用性(移行期)」→「動的価値創出(有機的連帯)」の三段階として記述され、Beltrán-Martín et al.の四次元柔軟性(内在的柔軟性、スキル可塑性、行動可塑性、関係的柔軟性)と対応する。
第二に、4つのリサーチ・クエスチョンを設定し、ジェフ千葉の変遷を分析した結果、すべてのRQが支持された。オシム時代(2003-2006)は四次元柔軟性を個人レベルで開発した不安定な移行期(RQ1)、オシム離脱後(2007-2024)は内在的柔軟性のみが残存した退行期(RQ2)、2025年は四次元柔軟性を組織レベルで制度化した安定的達成(RQ3)として位置づけられ、2025年の組織状態と太田モデルは構造的同型性を示す(RQ4)ことが確認された。
第三に、この構造的同型性は、「オシム時代の一時的成功」ではなく、「17年間の低迷を経て組織的にアップデートされた2025年の状態」において成立することが明らかになった。両者は、四次元柔軟性を組織レベルで制度化した状態として、構造的に同型である。
 
5.2 人的資本進化の一般的法則
 
本研究の分析から、以下の一般的法則が導出される。
法則1:役割定義の主体の移行

  • 第1段階:組織/チームが役割を定義する

  • 第2段階:組織/チームと個人が共同で役割を定義する(職務記述書、ポジション適性)

  • 第3段階:個人/システムが成果責任/文脈読解に基づいて役割を創出する

法則2:柔軟性次元の拡張

  • 第1段階:柔軟性の欠如

  • 第2段階:内在的柔軟性のみ(静的汎用性)

  • 第3段階:四次元すべて(内在的柔軟性+スキル可塑性+行動可塑性+関係的柔軟性)

法則3:統合様式の進化

  • 第1段階:同質性に基づく統合(機械的連帯)

  • 第2段階:契約/配置に基づく統合(市場的連帯)

  • 第3段階:異質性に基づく統合(有機的連帯)

法則4:価値創造様式の変容

  • 第1段階:与えられた役割の遂行

  • 第2段階:複数の役割の汎用的遂行

  • 第3段階:文脈に応じた新たな価値の創出

法則5:制度化の必要性

  • 第3段階への移行は、カリスマ的指導者によって一時的に達成されうる(個人レベルの四次元柔軟性)

  • しかし、持続可能な第3段階は、組織的な制度化によってのみ維持される(組織レベルの四次元柔軟性)

  • 制度化なき移行は、指導者離脱後の退行を招く

これらの法則は、本研究の単一事例から導出されたものであり、他の事例による検証を要する仮説的命題である。しかし、太田モデル(企業組織)とジェフ千葉モデル(サッカー)という異なるドメインにおいて同一の構造が観察されたことは、これらの法則が一定の一般性を持つ可能性を示唆している。
 
5.3 実践的含意
 
5.3.1 組織設計への含意
第3段階への移行を促進し、四次元柔軟性を組織レベルで制度化するためには、以下の条件が必要である。

組織レベルで制度化するための条件

加えて、以下の条件も必要である。

  1. 成果責任の明確化と手段自律の付与:何を達成するかは組織と合意するが、どのように達成するかは個人/チームに委ねる

  2. 評価基準の再定義:プロセス評価から成果評価へ、上司評価から顧客(チーム)評価へ

  3. 心理的安全性の構築:リスクテイキングを奨励し、失敗を学習機会として扱う

  4. 信頼に基づく相互補完:誰かがギャップを埋めてくれるという信頼の醸成

 
5.3.2 人材育成への含意
第3段階の人材を育成し、四次元柔軟性を開発するためには、以下のアプローチが必要である。

人材育成アプローチ

5.3.3 変革のマネジメントへの含意
本研究の事例は、組織変革のマネジメントに関する重要な教訓を提供する。

  1. カリスマ依存の危険性:卓越した指導者による変革は、個人レベルの四次元柔軟性を開発できるが、組織レベルでの制度化なしには持続しない

  2. 退行の不可避性と再起動の可能性:制度化なき変革は退行を招くが、退行期間を経た後に再起動することは可能である。ジェフ千葉の17年間は、「何がうまくいかないか」を学習する期間として機能した

  3. 再解釈の重要性:過去の成功への単純な回帰ではなく、原則の歴史的・構造的再解釈が必要である。「個人のポリバレンス」から「システムとしてのポリバレンス」への進化

  4. 時間の要素:組織レベルでの四次元柔軟性の制度化には時間を要する。短期的な成果主義ではなく、漸進的な構造変化を許容する時間軸が必要

 
5.4 研究の限界と今後の課題
 
本研究には以下の限界がある。
第一に、単一事例研究の限界。ジェフ千葉という単一の事例から導出された知見が、他のスポーツチームや企業組織に一般化できるかは、追加的な事例研究によって検証される必要がある。本研究で導出された「一般的法則」は、現時点では仮説的命題として位置づけられる。
第二に、因果関係の特定の限界。本研究は、2025年のJ1復帰を「四次元柔軟性の組織的制度化の結果」として解釈したが、他の要因(競合チームの状況、選手の偶発的な好調など)の影響を完全に排除することはできない。
第三に、長期的持続性の未検証。2025年の組織状態が長期的に持続するかどうかは、今後の観察を待つ必要がある。
今後の課題として、以下が挙げられる。

  1. 他のスポーツチームや企業組織における類似の進化経路の検証

  2. 四次元柔軟性の組織的制度化を促進する具体的な組織設計要因の特定

  3. 退行期間から再起動に至る転換点(turning point)の分析

  4. 三段階進化モデルおよび四次元柔軟性モデルの定量的検証

 
5.5 結語
 
オシムが選手たちに求めた「考えながら走る」という姿勢と、太田が提唱する「自営型社員」は、同一の人的資本概念を異なる言語で表現したものである。Beltrán-Martín et al.の四次元柔軟性モデルを用いれば、両者は四次元すべての柔軟性を組織レベルで保持した状態として、より精緻に記述できる。
両者が描く人材像は、指示を待つ受動的存在ではなく、文脈を読み、自律的に判断し、成果に対する責任を引き受ける能動的存在である。そして、そのような人材によって構成される組織は、中央制御に依存しない自己組織化システムとして機能する。
ジェフ千葉の22年間の変遷は、この理想が「カリスマ的指導者による一時的達成(個人レベルの四次元柔軟性)」から「組織的制度化による持続的達成(組織レベルの四次元柔軟性)」へと進化しうることを実証した。2025年のJ1復帰は、オシム原則の「空洞化したスローガン」から「構造的に再解釈されたシステム」への移行を示している。
本研究の分析は、人的資本の進化には一定の法則性が存在し、それは企業組織であれスポーツチームであれ、同一の構造を持つ可能性があることを示唆している。この法則性の発見と、その制度化の条件の解明こそが、21世紀の組織論に求められる課題である。
 

謝辞
本稿の着想は、人事実践科学会議創立6周年記念オンライン講演において、同志社大学名誉教授・太田肇先生による「自営型社員」に関するご講演を拝聴したことに端を発する。太田先生のご研究に深く感謝申し上げる。

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