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恋愛と友愛の区別 第二回往路 作家見習いと、元家族社会学系大学院生の往復書簡 2026年6月22日

前回の手紙はこちら。

さくらさん。お久しぶりです。いやあ間が空いてしまいました。でも、ついに書きたいと思う日がきました。僕は毎日文章を書いているので、割と毎日頭の中にはあったんですが、そんなすぐ返しても負担になるかな?とか、寝かしてみようとか思っていたら今日になりました。

それも、やっぱり前回さくらさんが書いてくれた内容に近いことを昨日友達と話したんですよ。それは、「友愛と恋愛の違いはなにか」ってことで。これはかなり自分の中でホットな話題で。僕は友愛はわかる。家族愛もわかる。しかし、恋愛がわからないって感じです。

わからないっていうのは、理解不能というより、包含されるのでは?という仮説があります。友愛と家族愛で得られるものと、恋愛で得られるものの違いがわかりません。わからないけど、予測はできます。なんとなくの恋愛のイメージってのはありますから。それで得られるものは自分からするとあまり必要がないなって思います。

テーマとしては分散です。得られる好意には際限があるんだと思うんですよね。与えられる好意にもしかり。それをすごく集中させて、相互的に契約のように好意の供給を約束するのが恋愛に見えます。一方で、家族愛や友愛はそこに揺らぎがあります。動きがあります。まあ恋愛にもあるんでしょうけど。

恋愛は僕にとっては息苦しいんですよね。恋人なのだから、一対一なのだから、という前提が息苦しいです。それなら大丈夫ですとなってしまう。逆に、僕も求めてしまう。これだけ時間を投資するのだから、相応のリターンを求めてしまう。まあ一口に自分が未熟なんでしょうね。だから自分が成熟するまで控えている節もあります。

しかし、無償の愛に見えて、貸し借りの愛であることによる、"恋愛"自体が放つわからなさ、うまくいかなさを楽しんでいるように僕は見えます。もちろん対岸の火事ですから詳しいことはわかりません。

ただ、友達がそんな破滅的な恋愛をしているのを見るともっと自分自身に関心を向けてみてはどうだろうか?と老婆心を持ってしまいます。自分自身を省みる機会が少ないと思います。

見た目や世間体など外面的なところは省みていると思います。しかし、内面的なところまでは見ていない。ただ、その部分の鏡としてみんな(一時的だとしても)パートナーを選んでいるように思います。つまり、自分を投影した相手としてパートナーを選ぶことで自分についてより知るきっかけになる。例えば、相手のこんなむかつく行動を発見すれば、それは自分が学習するきっかけとなります。おそらくそれは他者に自分がやっていることだったりしますから。

そういう意味ではアイデンティティ形成に必要だという意見にはとても賛成です。自分という存在は1人(単独)では存在し得ないから、他者の存在が必要で、その1人がパートナーって意見には賛成です。

質問の答えにいきましょう。

質問
今回、私は自らの経験に照らし「他人から向けられる好意(恋愛の文脈に限りません)が良くも悪くも自身のアイデンティティを支える」ことを前提に文を書いていました。この前提は絶対ではないでしょう。では、ebinaさんのアイデンティティ、「自分は〇〇である」という属性や信念に関する認識にはどのようなものがあり、どのようにして形成されていますか? 改めての自己紹介も兼ねて、お答えいただけるものがあれば教えてください。

すごく面白い質問ですね。アイデンティティの話は大好きです。人はアイデンティティの生き物ですから。友達の恋愛の話を聞いていてもアイデンティティの話だなと思いながら聞いています。

今のアイデンティティは作家でしょうね。作家なんて書いていますが、金は稼いでいません。ZINEフェスで10冊くらい700円の本が売れただけです。ただ毎日書いていて、将来の目標として志しているという意味でアイデンティティになり得ていると思います。(作家見習いと、元家族社会学系大学院生の往復書簡ってタイトル、自分でつけておきながらすごく小っ恥ずかしいです)。

あとはなんでしょうか。やはり過去じゃないでしょうか。自分の過去こそがアイデンティティだと思っています。具体的に言えば、過去に人に認められた、結果を出してきた、それに伴って他者に肯定的に見られた部分が自己を形成していると思います。そう考えると、そこに恋愛も普通の人は入ってくるんですかね。

自分の場合だったら、地元の公立中高で学年1位をとったことや、その時期やっていたサッカーでキャプテンや部長をやっていたことだと思います。これらがまごうことなく、アイデンティティだと思います。それを僕は「お山の大将」というイメージ、ストーリーで自分を捉えています。まあ事実そうだと思うんです。集団自体のレベルはそれほど高くない中で、リーダー的存在をやっていましたから。そこで、腐らず、でも驕らずやってきたってのは自信になっていると思います。あとはそれに伴って友人関係を構築してきたのも、アイデンティティだと思います。友人の中での自分というのが、本来の自分とは独立して生まれてきたように思います。で、根っこは家族でしょうね。家族、その近くの親族だと思います。自分の両親はどちらも4人兄弟で物心ついた時には少し年上のいとこがたくさんいました。そこにすごく可愛がられていました。それが大きいですね。それによって、年上を見ると、可愛がってくれるのではないか?という期待が湧くようになりました。そのスキルを持って、小学校時代から始めたサッカーでは否応なく上の世代と関わりますから、可愛がられながらやってきました。あとは家の中でも「いい子」だったので、その顔色窺うスキルを用いて、中高のサッカーのコーチの前でも「いい子」をやっていました。

まとめると、
・家族の前でいい子→サッカーのコーチの前でいい子
・いとこに可愛がられる→上の世代と仲良くなる→コミュニケーションの基礎がわかり、友達ができる
・勉強ができる→お山の大将になれる

こんなところでしょうか。書いてみて思うのですが、現在の作家とかも含めて、恋愛の入る隙がないっていうか、自分が不足感がないのかもしれない。あとはやっぱり恋愛のギャンブル感が嫌です。いくらお金を投入しても当たるかわからない。当たる時は当たるってこと、自分が恋愛をすると、根本的に他者をコントロールしようとしてしまうのではないかって恐れがあります。こうやって書くと恐れがありますが、恋愛っていう一線があるのも嫌です。一対一って関係も嫌です。窮屈です。

こんなところなんでしょうか。あと、スタンダールの恋愛論、図書館で予約しました!硬い本は苦手なので読めるかわかりませんが、、、尽力します。

質問
ここまで読んでみて、自分(ebina)をどんな人だと想像しますか?自分は客観的な意見や見方をもらうのが好きなのでぜひ教えてください。

そして、もう一つ。ぜひアイデンティティという文脈でさくらさんの自己紹介も聞かせてください。

では、夏バテに気をつけてください。お仕事も楽しんで。


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