坂道の途中で、息を整える。
痛みもまた、明日をつくる材料だ
訪問リハビリの日
介護をおまかせして、わずかな隙間時間に外へ出た。
空気が澄んでいた。
丘の上から眺める街は、どこか遠くのようで、どこまでも続くようでもあった。
この街も、自分の人生も、同じように見える。
坂の多いこの街を歩く
慣れた道なのに、一歩ごとに呼吸が浅くなる。
ふとした瞬間、腰に痛みが走った。
「くぅ……」思わず声が漏れる。
胸の奥で、何かが静かに軋んだ。
それは痛みであり、諦念であり、それでもなお歩き続ける意志だった。
たぶん、運動不足だ。
気温の低下も拍車をかける。身体が、寒さを拒んでいる。
姿勢を意識しながら、ゆっくりと、"止まらない程度の慎重さ"で歩く。

座ってしまえば、もう立てない気がする。
だから歩く。
止まりそうで、止まらない。
あの頃の身体は、もうない
ほんの数年前までは、真夏の炎天下を走っていた。
汗でシャツが肌に張りつき、息を切らせながらも、走ることが楽しかった。
あの頃の身体は、もうない。
けれど、あの頃の意志だけは、まだ残っている。
今は、介護の合間に少しだけ歩くことが精一杯。
時間も体力も削られていく日々。
それでも、この坂を登るたびに、どこかで「まだ終わってない」と思える。
痛みは生きている証
腰の痛みは、老いのサインかもしれない。
それでも、この痛みは生きている証だと思う。
「動けるうちに、動く。」
この言葉が、最近の口癖になった。
動けなくなってから後悔しても、遅い。
だから今、痛くても、歩く。
痛みを感じるということは、まだ身体が応えてくれているということだ。
何も感じなくなったとき、それが本当の終わりなのだろう。

いずれ、また走りたい
かつてのように、風を切って歩きたい。
身体を作り直す日を夢見ている。
それは、若さへの執着じゃない。
「まだやれる」という証明がほしいだけだ。
自分に対する、小さな反抗。
そのために、今日も坂を歩く。
痛みに顔をしかめながら。それでも、歩く。
人生の坂は、立ち止まるほど急ではない。
坂道が教えてくれること
坂道は、人生の比喩だ。
平坦な道ばかりではない。上り坂があり、下り坂がある。
上り坂は、息が切れる。
でも、登り切ったとき、少しだけ遠くが見える。
その景色を見るために、人は坂を登る。
介護も、仕事も、自分の身体も、そして人生もすべてが坂道だ。
楽な道なんてない。
でも、止まらなければ、いつか頂上に辿り着く。
それを信じて、今日も歩く。

あなたへ
もし、あなたも今、人生の坂道を登っているなら。
痛みを感じながら、それでも歩いているなら。
その痛みを、誇っていい。
それは、あなたがまだ諦めていない証だから。
座り込まず、立ち止まらず、ゆっくりでも前へ。
それが、生きるということだ。

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EX-FAX-CE | NOTE執筆家
「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」
「ゆるぎなく、まっすぐに」
「言葉は、再起動ではなく継続の証」
▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点
X:@zdocomo / note:/exfaxce
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※坂道を登るたび、心のどこかが整っていく。
痛みもまた、明日をつくる材料だ。
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