何者でもない自分を、差し出し続けて5年【50代】
52歳、何者でもないまま立ち続ける EX-FAX-CEの流儀
私がなぜ、5年以上もnoteを書き続けてこれたのか。
答えは、驚くほど単純だ。
最初から、期待していなかった。
見られたい。
当てたい。
有名になりたい。
稼ぎたい。
そういう欲は、最初から私の外にあった。
ロスジェネ氷河期世代。
社会の椅子が用意されていなかった世代。
ならば、椅子のない場所で立つしかなかった。
私は、読まれない前提で書き始めた。
だから、折れなかった。
これがすべての出発点だ。
変わったのは、書く理由の"熱"
だが、いつの間にか景色が変わった。
毎日、わずかでも読みに来てくれる人がいる。
短いコメントが届く。
「わかります」
その一行で、私は何度も立ち直った。
群衆はいらない。
拍手も称賛もいらない。
同じ温度で息をする誰かが一人いればいい。
今、私はその人たちへ向けて書いている。
そして同時に、自分自身へ向けて書いている。
FAXのカスタマーエンジニアとして17年間働いた。
現場で学んだことは、「誰かのために働くことが、同時に自分を支えること」だった。
お客さんのために機械を直す。
その行為が、自分の存在意義になる。
やってあげているではない。
こんなにも努力しているではない
誰かの為にしてあげているのでもない。
結果としてそうなっていればよい。
深く考えることはない。
そこは己の信念のもとにやる。
noteも、同じだった。
誰かのために書く。
その行為が、自分を立たせる。
読者と私は、支え合っている。
それが、5年以上書き続けてこれた理由だった。
私の記事には、役に立つものはない
知識はない。
教養もない。
裏技もない。
人生訓も売り物にはできない。
あるのは、
そこにある現実のみ。
介護の現場。
衰える身体。
眠れない夜。
折れそうになる心。
迷路の中を、それでも歩いている自分。
私はそれを、そのまま差し出しているだけだ。
だからこそ、嘘がない。
だからこそ、届く。
40歳近くで会社が解散した。
再就職に苦しんだ。
フリーランスとして食いつないできた。
父が倒れた。
母の認知症が進んだ。
妻の体調が不安定になった。
娘が発達障害と向き合っている。
そのすべてを、私はnoteに書いてきた。
綺麗事にせず、飾らず、ただ事実として。
その生々しさが、誰かの心に届いている。
こんなに大変なんだ、
悲惨でしょ?
かいわいそうでしょ?
そういう同情が欲しいわけではない。
ただそこにある現実。
そして、同世代ならば必ず直面するであろうこと。
役に立たない日常が、誰かの支えになっている。
それが、私のnoteの価値だった。
フォロワー960人という現実
信じられない数字だ。
名もなき一般人。
役に立たない日常。
それでも、960人がここに集まってくれている。
私は数字を追っていない。
だが、雲の上だった1000が、手の届く距離にある現実は、確かに胸を打つ。
これはゴールではない。
生き方が形になり始めている証だ。
noteを毎日書き続けて、570日を超えた。
毎朝キーボードに向かい、言葉を綴る。
その積み重ねが、960人という数字になった。
一人一人の顔は見えない。
でも、確実にそこにいる。
その事実が、私を支えている。

私は、人生を"物語"として書いている
揺れる。
止まる。
立ち尽くす。
それでも毎日書く。
私は、自分という未完成な人間を、更新し続けている。
この続きを、誰かが待ってくれている。
それだけで十分だ。
以前、「心の解体シリーズ」を書いた。
第一弾で、可能性という荷物を道端に置いた。
第二弾で、人生の机を並べ替えた。
第三弾で、過去の自分と和解した。
その過程を、リアルタイムで書いた。
完成した物語ではない。
今、まさに進行中の物語だ。
だからこそ、読者は自分と重ねられる。
私の迷路が、誰かの迷路と重なる。
それが、人生を物語として書く意味だった。
同世代へ 静かな檄
ロスジェネ氷河期第一世代。
不遇と言われても、否定はできない。
だが、それは"状況"だ。
"運命"ではない。
もし今、立ち止まっている人がいるなら。
もし、心が折れかけている人がいるなら。
「この52歳も、まだ立っている。」
それだけで、誰かの背中を少しだけ押せるなら、私は今日も書く。
私たちの世代は、華やかな成功は掴めなかった。
誰もが羨む肩書きも持てなかった。
でも、それでも生きてきた。
家族を支え、仕事を続け、何度も転んでも立ち上がってきた。
その事実だけで、十分に重い。
もう、過去の理想の自分を追いかけなくていい。
今ここにいる自分が、本当の自分だ。
疲れがあり、無理が利かず、守るものが増え、背中にいくつかの名前を背負った中年の男。
それが、私だ。
そして、それで十分だ。
未来は厳しい。だが、それでいい
介護は続く。
身体は衰える。
社会は容赦しない。
だが私は決めている。
恐れない。
ひるまない。
悲観に沈まない。
赤いマントは、誰かに見せるためじゃない。
自分を奮い立たせるために羽織る。
以前、「心の解体シリーズ」で書いた。
赤いマントは、ヒーローの証ではない。
寒さを防ぐ布でいい。
雨をしのぐ布でいい。
自分の背中を、ほんの少し温めるための布でいい。
52歳の今、その意味がより深く理解できる。
赤いマントは、自分を奮い立たせるための布だ。
未来が厳しいからこそ、マントを羽織る。
一人で戦場に立つからこそ、マントで身を守る。
それが、52歳の私が選んだ、戦い方だった。

52歳、挑戦はまだ終わらない
私はまだ完成していない。
むしろ、ようやく"芯"に触れ始めたところだ。
今年は挑戦の年。
新しい表現。
新しい書き方。
新しい自分。
結果はどうでもいい。
始めることが、生きている証だ。
以前、「まだ終わらんよ」という記事を書いた。
52歳、残り時間を意識する年齢になった。
でも、それは終わりを意味しない。
むしろ、本気で生き始める合図だ。
まだ、やることがある。
まだ、書きたいことがある。
だから、まだ終わらんよ。
その宣言を、今年も繰り返す。
挑戦することが、生きている証だ。
派手な成功は目指さない。
でも、確実に前に進む。
それが、52歳の私が選んだ、残り時間の使い方だった。
何者でもないまま、立ち続ける
成功者ではない。
勝者でもない。
完成者でもない。
それでも今日も書く。
何者でもないまま。
それでも立ち続ける。
それが、EX-FAX-CEの流儀。
そして52歳の矜持。
揺れを消すことはできない。
でも、揺れの中心だけは守れる。
52歳の今も、揺れている。
介護、仕事、家族、身体の衰え。
すべてが揺れている。
でも、揺れの中心だけは守っている。
その中心が、「何者でもないまま、立ち続ける」という矜持だ。
成功しなくてもいい。
勝たなくてもいい。
完成しなくてもいい。
ただ、立ち続ける。
それだけで、十分だ。
終わりに 同世代へ、そして自分自身へ
この記事は、同世代へ向けて書いている。
そして、自分自身へ向けて書いている。
ロスジェネ氷河期第一世代として、私たちは椅子のない場所で立ってきた。
華やかな成功は掴めなかった。
でも、倒れずに立ち続けてきた。
それだけで、十分に誇れることだ。
もし今、立ち止まっている人がいるなら。
もし、心が折れかけている人がいるなら。
「この52歳も、まだ立っている。」
その姿を見て、少しだけ勇気を持ってほしい。
私たちは、何者でもない。
でも、それでよいのだ。
何者でもないまま、立ち続ける。
それが、52歳の矜持だ。
今日も、私はキーボードに向かう。
群衆のためではない。
拍手のためでもない。
同じ温度で息をする誰かのために。
そして、自分自身を奮い立たせるために。
ゆるぎなく、まっすぐに。

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EX-FAX-CE | NOTE執筆家
「ロスジェネ氷河期的視点 ― 情に生き、言葉で立ち上がる」
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「言葉は、再起動ではなく継続の証」
▶ EX-FAX-CEとは▶ ロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点
X:@zdocomo / note:/exfaxce
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何者でもないまま、共に立ち続けましょう。

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