【小説?】月刊しゅが報8月号『幻の花』【日記?】

 その花は、たぶん今もどこかにある。
 でも、私にとっては、幻の花になってしまった――。

 *

 花の写真を撮るようになったのは、花を見て、ふっと心が和んだことを「記録」するためだった。
 お仕事が終わって疲れた時も、楽しいことがあって余韻が冷めやらない時も、綺麗な花を見ると心が和む。それをSNSでシェアする。そうすることで、よりいっそう安心する。それはいつもの私のルーティンになっていた。 
 帰り際、「今日は一枚も花の写真を撮っていないな」と思うと、道ばたの草むらでも何でもいいからとにかく写真を撮らないと気が済まない……というと、周りの人たちから、
 「何もそこまでしなくても……」
 と心配されてしまうかもしれない。もし本当にそんな心配をしてくれる人がいたら、いくらか申し訳ない気持ちもある。何せ私は、花の写真を撮ることが、とても楽しいのだから。

そんなわけで、今日も帰り際、道ばたの花の写真を撮った。
 せっかく撮るのだから、私が「ああ、良いなあ」と思うような花でなければならない。逆に言うと、私が良いと思ったら、別に名所じゃなくてもいい。それこそ、道ばたの草むらでも民家の軒先からはみ出しているものでも、何でも良いのである。
 そうした写真を撮っている時、ふと思った。
 「ああ、そういえば、あの写真を撮ったのも、このくらいの時間だったな」
 夏の日の午後6時。暑い盛りも通り過ぎて、あたりは徐々に薄暗くなってくる頃。花も木々も薄紫色にかすむ、昼と夜の合い間の頃――。

  *


 花の写真を撮る趣味が高じて、美術展に花の写真を出品するようになった。毎日これだけ写真を撮っていれば、時には
 「これはなかなか、上手に撮れたな」
 と自画自賛したくなるような写真が撮れることもある。それを額装して、特別な場所で観てもらいたい――そして、その私の写真を見た人が、少しでも(私と同じように)心を和ませてくれればいいなあ――そんなささやかな願いを込めて、毎回、出品していた。
 今月は、紫陽花の写真を出品した。昼と夜の合間――あたりが薄暗くなったころ、たまたま通りがかった道で見つけたものだった。
 決して見栄えのする写真ではない。ただ、観た人の心が涼しくなる写真である。そういう自負はあった。
 今はもう紫陽花の季節は終わって、向日葵が元気に咲き誇る季節になった。だから、いま同じ場所に行ったとしても、花は咲いていないだろう。それでも、
 「ああ、ここだここだ。あの写真は、ここで撮ったんだ」
 その場所を確認することで、あの日見た花は夢や幻ではなく、ここに来て撮ったんだという『現在』とつながる。その場所にたどり着くことを期待して、私は歩いていた。
 しかし、それはかなわなかった。
 あるいは路地をひとつ間違えただけかもしれない。はたまた、花の季節を終えたことで無残に刈り取られたのかもしれない。
 「そうか、なかったか」
 ふうっ――。
 大きく息を吐き出すと、吹き付ける風が、とても心地よく感じた。寂しさや悔しさも、全く感じなかったわけではないけれど、
 「まあ、いいか」
 言葉にすれば、そういうことかもしれない。
 「もし、あの時の花をもう一度見ることができたら。」
 「もし、あの時に逢った人に、もう一度気持ちを伝えることができたら。」
 「もし」「もし」「もし」
 そんな、ありもしない幻が積み上がって、私の心を重くしていたことに気づいたから。それを「まあ、いいか」という言葉で心に風穴を開けることで、吹き付ける風が心の中をも通り過ぎて――さっきまでよりも、より深く呼吸することができるようになっていたからだった。
 「今日は今日の花を撮ることができた。だったら、それでいいじゃないか」
 そう言って、私は家路を急いだ。

 *

 あと5分もしないうちに、家に帰れる。
 「それでいいじゃないか」
 そう言って自分なりに心を整え、最後の横断歩道を渡ろうとしたとき、私の心は強く引き付けられた。そして、そのまま素通りすることができず、慎重に「それ」に近づいた。
 そこにいたのは、一匹の猫だった。
 ただし、野良猫ではない。
 私がいま、何の気なしに通り過ぎようとした、近所の美容院の中にいる猫だった。美容院はもう閉店していて、人の姿も無く、電気もすべて消えていたけれど、そんななかで――
 そんな中で、その猫は、玄関口にいた。尻尾を振って、私のことを観ていた。あたかも、私がお客さんで、
 「まだ外は明るい。今からお店に来てくれるかもしれない」
 そんな期待を持って、待ち構えているように。

 私は再びスマホを取り出した。
 近づけば、逃げられるかもしれない。慎重に距離をとって、まずはカメラを望遠モードに切り替え、1枚撮る。それから、少しずつ距離を縮め――同時にカメラの倍率を下げつつ――1枚、また1枚と写真を撮る。
 たいていの場合、猫は逃げる。私の方は猫が大好きで、いっぱい写真を撮りたいんだけど、猫の方は私のことをそこまで好きだと思っていないみたいで……ある一定の距離まで近づくと、パッと逃げてしまう。そのたび私は悲しくなった。
 その猫は、逃げなかった。
 恐らく美容院のなかでも一番人の往来がある玄関口に座って、表通りを歩く人たちを見ているくらいだから、けっこう人慣れしているのかもしれない。
 それでも、私は逃げられるのが怖かった。
 だから、ある一定の距離をあけて、写真を撮った。
 「恐らくあの猫は、決して人間のお客さんが来ることがない美容院で、人間を待ち続けているんだろうな」
 写真を撮りながら、私はそんな妄想を膨らませた。
 「そして、入り口の前で立ち止まって写真を撮っている私を見て、『もしかしたら、来てくれるんじゃないかしら』と期待しているのかもしれない」
 「ところが、非情な私はそんな猫の視線を振り切り、その場を立ち去るの。本当は、抱き上げて、いっぱい可愛がってあげたい気持ちを持ちつつ……」
 「ごめんね。さようなら」
 そして私は、スマホの画面で『良い写真』が撮れたことを確認して、家までのわずかな道のりに向け歩き出した。
 「紫陽花の写真は撮れなかったけど、その代わりに綺麗な写真が撮れた。さらに、猫ちゃんの写真が撮れた」
 「私は道を間違えたかもしれないけれど、この道を歩いたから、今日のお花に会えた。猫ちゃんにも逢えた。何より、あの場所で見つからなかった紫陽花は、もう写真の中にしか存在しないけれど、だからこそ私の中で永遠に咲き続ける幻になったのだ。それでいいじゃないか」
 人生は一期一会。
 人間でも花でも猫でも。今日の体験は、今日選んだ道を歩いたからこそできたことだ。
 だったら、それでいいじゃないか――。
 そんな一日だった。

あとがき~今月のしゅが報について~

 昔、自分が体験したことや想像したことを、小説のような形をとって書いていたことがありました。それは誰かに読ませるためのものというよりは、物語の中で「なりたい私になる」ために書いていたようなものでした。
 今回、その時と同じように、ちょっと小説めいた雰囲気で書いたものがこちらになります。ただ、その時と違うのは、「物語として書こうと思った」というよりは「実際にあったこと、思ったことを、できるだけ正確に書き残そうと思ったら、何となく小説っぽい雰囲気になった」ということです。
 街中で花の写真を撮ること。それを作品展に出すこと。その時に出した写真をもう一度観ようと思ったら見つけられなかったこと。そして、猫に逢ったこと。
 せっかく書いたので、シェアします。

客演:近所の美容室の猫ちゃん(午前6時撮影)

 ちなみに、その美容室の猫については、一期一会ではなく、その後も逢うことができました。近づいても逃げない猫は久々だったので、嬉しくてまた写真を撮っちゃいました。
 以上、今月の【月刊しゅが報】でした。

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