へそから西瓜が生える悪夢を見る
「西瓜の種を丸飲みすると、へそから生えてくるぞ」
ビール2杯でほろ酔いになった祖父が、意地の悪い笑顔を浮かべて、幼稚園児だったわたしをからかう。
「そんなわけないよ」
反論する言葉が震えたのは、本当だったらどうしようと心の片隅で考えてしまったから。
祖父はさも自分が全知全能の神であるかのように、厳かに告げた。
「俺はな、へそから西瓜を生やしたやつの末路を知っている。お前のへそに穴が空いているか?」
わたしは慌てて首を振る。
我が意を得たりとばかり、祖父が満足げに笑った。
「だろ?だから西瓜が生えるときは、腹の内側からへそを突き破って出てくるんだ。痛いぞぉ」
ごくり。
唾を飲み込む音が、頭蓋骨の内側に響いた気がした。
知らず知らず握りしめていた手のひらに、じっとりを汗が溜まる。
「じいちゃん。へそから西瓜が生えてきたひとは、どうなるの」
いつの間にか用意されていた焼酎のお湯割りを、ちびちび舐めながら祖父は自分の腹のあたりに手を当てた。
「そりゃあお前。へそに穴が空いて無事だったやつを見たことがあるか?俺はないぞ」
ごくり。
夕食後に西瓜を食べたとき、4粒くらい飲み込んでしまった気がする。
あの種はわたしの腹のなかで育って、いつかへそを突き破って……
「じいちゃん、どうやったら西瓜の種がおへそから生えなくなる!?」
焼酎臭い吐息がわたしに届くころ、祖父は「プププ」と底意地悪く笑っていた。
「いいか、ようく聞けよ。まず、風呂に入る。それからへそを綺麗に洗うんだ。そのあとでまじないの言葉を3回言う。でも誰かに聞かれたらダメだ。ひとりで風呂に入れるやつじゃないと、このまじないは効かないからな」
今ならばクソジジイふかしも大概にしろよ、で済む話だが、なんせ幼稚園児。
しかもとても素直で純朴で、他人を信じやすいお人好しだった。
「わかった。今日からお風呂はひとりで入る。もうじいちゃんとは入らない」
意を決して告げた孫に、祖父は目を見開いた。
ビビリでべそかきの孫がよもやひとりで風呂に入るとは思ってもみなかったのだろう。
「いや、だめだ。よし、じいちゃんがな、西瓜の神様にお前の腹に入った種が芽を出さないようにしてくれって頼んでやる。だから一緒に風呂入ろう」
都合のいい与太話ではあるが、祖父は孫をからかうときは全力でやりきるひとだった。
ストーリーを作り込んで、大真面目なトーンでやるので、コロリとこちらも騙されてしまう。
まだ5年も生きていない孫をからかって遊ぶのが生き甲斐とは、人生の楽しみの大半を知らない哀れなジジイだ。
が、面白いように騙されるわたしが、どのくらい荒唐無稽な嘘でも騙されるのか試していた節がある。
わたしはじいさんの、恰好のオモチャだったのだろう。
たしか、西瓜の種がへそを突き破る話は、最終的にじいさんが手書きした怪しげな御札をへそに貼って、万事解決!という流れだった。
わたしは何年も西瓜の種がへそを食い破らないのは、じいさんの御札のおかげだと思い込んでいて、小学校の作文にも書いた気がする。
理科の授業で、種が人体のなかでは育たないこと知ったときの衝撃たるや……
わたしはずっとじいさんの手のひらで転がされていたのだと憤慨したが、逆に「まだ信じていたのか」と大笑いされてしまった。
身内を信じてなにが悪い。
騙すほうが悪いのだ。
それきりわたしは祖父の神妙な語り口を信じなくなったし、警戒心バリバリのわたしより騙しやすい生贄(弟)に標的はズレた。
祖父なりのコミュニケーションだと理解しているが、思い出す度はらわたが煮えくり返る思いをする。
大人の言うことが全部正しいと思ってはいけないと思い知った、貴重な体験だった。
クソジジイがああああああ!!!!
今日のお題は迷える介護福祉士さんから!
大人になってから気づいた、子どもの頃の勘違い
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