ノスタルジア 記憶の中の景色 東京都美術館
東京都美術館で開催中の「ノスタルジア 記憶の中の景色」を見てきました。
こちら上野アーティストプロジェクトという企画展で今年で8回目。毎年異なるテーマを設けて、公募展に関わる作家を積極的に紹介する展覧会。
「ノスタルジア」とは、もともとギリシャ語の「ノストス=家に帰ること)」と「アルゴス=痛み」の合成語。故郷へと帰りたいが、けっして戻れない心の痛みを表す言葉。
このノスタルジアを強く感じさせる風景、人のいる情景、幻想絵画などを描いてきた8名の作家の作品が展示されてます。
中でもいきなり良かったのが、入場して最初に展示されていた阿部達也の作品。

(東京都調布市染地)

(千葉県館山市那古127号バイパス)
サイズも162×162と、とても大きい。今ここに目の前にある風景のよう。
で、不思議なんですけど急に懐かしく、かつ切ない感情が湧いてくるんです。子供の頃に見た田舎の風景に似ているからでしょうか。寒々しい秋、果てしなく真っ直ぐ伸びる道路。陽が落ちる間近の時間帯というのが、より郷愁を感じます。
阿部さんのコメントにはこうありました。制作に行き詰まっていた時に、雷に打たれるような体験をしたと。
何を描けば良いのか分からなくなってしまった時期がありました。頭を抱えてうろうろしていた時に、携帯で夕日を撮影している女性を見かけました。仕事からの帰宅途中のような格好で、よくある日常の光景でしたが、その瞬間雷に打たれたように感じました。人が心を動かされるものは、どこか遠くや、自分の内面を底までさらわなくても、身近な所にいくらでもあったことに気づいたのです。
それからの私の制作方針は、写真で撮ってきた風景を、なるべくそのままに個人的な感情を、差し込まないように描くことになりました。
そして正に自分が懐かしさを感じた理由についても記されてました。
私の絵を見てそこから何かを、例えばノスタルジアのようなものを感じることがあるとすれば、それはその人が自分の中から汲み上げたものだと思います。見る人によってその人なりの感情を込めて見られるような、余白の大きな、広い絵を私は描きたいのです。
正に展覧会のタイトル通り「記憶の中の景色」にやられてしまいました。そして阿部さんの言う「余白の大きな広い絵」に自分は惹かれる事が多いのかもしれない、と気付いた次第。
良かった作家がもう1人、芝康弘さん。


自分の子供たちをモデルに過去の自分と重ね合わせながら描かれた作品。柔らかく射し込む陽射しが、優しさと同時に懐かしさを感じさせます。
但し、作家本人としては意図してノスタルジアを表現していないと。
私の絵を「ノスタルジックな絵ですね」とか「自分の昔を懐かしく思い出します」と言ってくださる方は多いです。今回のこの展示に選んでいただいたのもそういったイメージが強いからだと推測しますが、実は私自身は意図してノスタルジアを表現しているわけではないのです。自分の好きな光の具合や色の加減があって、絵の着地が霞がかった風合いになることが多いのでそういった印象なのだと思います。
ノスタルジアや懐かしさってものは、あくまでも個人的な感情だし、逆に狙って描くものでもないのかもしれない。
作品を見る側が、どう感じるかは本人次第で、自分にとっては自分の感情を大切に受け止めればいいのかなー、なんてことも考えてしまいました。
展覧会では作家が8つの質問に答えたキャプションもあり、これがとても面白く興味深かったです。
特に子供の頃の環境やどんな遊びをしていたか、懐かしい記憶やモノ、体験についての回答は作家の根源が伝わってくるようでした。やはり、小さい子供の頃の記憶や体験が作家の道に繋がっているものだなと。
ちなみに都立の美術館、博物館のコレクション展「懐かしさの系譜─大正から現代まで」も同時開催。こちらは無料で見れました。
帰りはすっかり暗くなっており、大きな窓に浮かぶ真っ赤な休憩スペースが綺麗でございました。

