【看護師の処方箋】| 「甘え」は、歩き出すためのエネルギー。私が迷いながら境界線に立ち続ける理由
依存と甘えは「悪」じゃない
「ここは自分でできるよね」
そんな言葉を、患者さんに向けてしまった。
後から胸がざわつく。
自立を促したつもりだった。
でもあれは、本当にその人のためだったんだろうか。
甘やかしていたわけじゃない。
けれど、突き放してしまった気もしている。
「依存と甘え」
「自立を促す関わり」
どちらが正しいのか
日々迷いながら看護をしている。
看護師がなぜ厳しくなるのか
子育てはしたことがないけど、
似たようなものがあるのかもしれない。
看護師だって優しくしていた方が楽だし、
できることなら全部やってあげたい。
ご飯も食べさせた方がきれいで早く終わる。
車椅子に移動させるのだって、トイレだって、
こちらでやれば一瞬で終わる。
日常生活の全てをお世話することなんて、
簡単なの。
だけど、患者さんの年齢や、これからの人生を考えた時、このまま何もできなくなる未来を、どうしても受け入れられない時がある。
自分の受け持ち患者さんがこのまま寝たきりになるのは嫌って気持ちが、むくむく湧き出てくる。
それが患者さんにとって、冷たい一言になってしまう。
そんな時、私の「自立を促す関わり」は、単なる「放置」や「拒絶」になっていないだろうか?
そんな迷いが出てきた。
一方で、何でも手伝ってしまうことが、その人の「生きる力」を奪っているのではないか?
「甘えさせてるのかな」
なんて思う事もある。
そんな迷いの中で、
自分自身の「看護師としての未熟さ」を突きつけられているようで、苦しかった。
依存と自立の本当の意味
私の回復してほしいという期待によって逃げ場を失った患者さんはリハビリに対して意欲がもてなくなっていった。
私は「今は無理だ」
という患者さんの心のサインを無視していたのだ。
その時、気づいた。
人は弱ったとき、一時的に誰かに依存する力が必要なんだということ。
身体がつらく、先が見えない暗闇の中にいるとき、ひとはいつも以上に人の手の温かさを求めたくなる。
それは「甘え」というワガママではなく、
ここから歩き出すためのエネルギーの源なのかもしれないって。
本当の自立は、
「戻ってこられる場所がある」と分かった上で立つこと。
十分に依存できた人ほど、
人はちゃんと前に進める。
だからこそ、
支えることと、手を離すことのタイミングは難しい。
看護師がそばにいる本当の意味は、
その人が今「手伝いましょうねのフェーズ」なのか、それとも「自分でやってみましょうねのフェーズ」なのかを、一瞬一瞬見極めることだった。
マニュアル通りに動けば楽になれるかもしれない。
でも、迷うのは私がちゃんと「その人」を見ている証拠なんだと思えた。
迷い続ける覚悟
看護をしていく上で正解はない。
患者さんもそれぞれ。
私は、これからも迷い続けると思う。
「どっちが正しいんだろう」と悩み、自分を責めてしまう看護師さんは、きっと私だけじゃない。
でも、
その迷いこそが「看護」そのものなんだと思う。
もし
「甘やかしているのかな」
「突き放しすぎたかな」
そんなふうに悩んでいるあなたがいたら、
きっとそれはあなただけじゃないし、
間違ってなんかない。
患者さんも看護師もひとりの人間。
完璧にできない自分を認めながら、
今日も私は、
揺れ動く境界線の上に立ち続けたい。
最後まで読んでいただいて本当にありがとう。
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