幸せを運ぶ車
「ジグリ〜!」
「ジグリ?あなたたち、ジグリで来たの?!」
「ジグリ is ジグリ」
「これ僕のお気に入りの車なんだ!」
「カッコいい車に乗っているね!」
ジグリとは、ロシアのクラシックカーで、旧ソ連時代に統治下にあった、中央アジアの国々では人気の車の愛称だ。人々の生活を支えていた大切な車なのだ。LADA、RIVAが本来の車の名前だが、中央アジア諸国では、ジグリと呼ばれている。このジグリは人々の思い出を呼び起こし、幸せな気持ちをもたらすようだ。
私たちはこのジグリをキルギスの首都、ビシュケクで購入した。キルギスでは、海外旅行客でも簡単に車の登録ができることで有名。手続きは丸2日かかったが、それでも他の国に比べれば、だいぶ単純でお手軽らしい。
私たちの車、愛称「シニー」は、私たちを素敵な場所へ運び、素敵な人々の元へ引き合わせてくれた。
数々のマスターたちとの出逢い
中央アジア諸国では、メカニックの方々たちのことを「マスター」と呼ぶ。キルギスやタジキスタンでは、日本車やドイツ車、韓国車がほとんどを占めているが、未だにこのロシア車LADAに乗り続ける人もいる。
私たちがシニーを購入した2日後、ハプニングが起こった。スターターモーターが壊れてしまって、車を押して走らせながらエンジンをかけないと、スタートしなくなってしまった。つまり、街でエンストしたらゲームエンドという、恐ろしい事態になってしまったのだ。そこで、スターターモーターを事前に購入していた私たちは、LADAのマスターの元へ。
実はこのマスターとは、相方がバザールのLADA車の部品を扱うお店のオーナーさんから紹介を受けていた。マスターたちと一緒にスターターモーターを修理することになった。

マスターとその息子と修理をしていると、お隣さんが家から出てきて、挨拶をしてくれた。「朝ご飯は食べたかい?」そして何と朝ご飯を用意してくれた。お言葉に甘えてキルギスの朝ご飯を頂く。
部品が足りずに再度バザールへ買い出しに行ったりもして、何とか修復完了した。私は男性陣が修理中、マスターの娘さん(およそ7.8歳)と、そのお友達たちと遊び、たくさんの贈り物をもらっていた。温かい時間を過ごしたのだった。

その後私たちは、サスペンションとタイヤ交換という次なるミッションへ。それで訪れたところがまた素敵なところだった。ビシュケク市内から少し離れたところにある、修理屋さんだ。そこで相方は、その修理屋のオーナーと出逢う。彼は英語を話し、私たちの問題に寄り添って、メカニックたちに私たちの要望をしっかり伝えてくれた。最初は、サスペンションとタイヤ交換をしたいという旨を伝えていたが、蓋を開けてみたら、ブレーキ、そしてリムに異常がみられた。とても大切な部分だからと、急遽その修理にも当たってくれた。
無事、全ての修理が完了した頃には、私たちとオーナーの間には顧客関係を越えた繋がりが生まれていた。次の日、私たちはオーナー家族とアラアルチャ国立公園へハイキングに向かったのだった。

パミールハイウェイ走行中も、排気ガス管が落ちてしまい、峠で停車させて排気ガス管を取り除く作業をしたり、左側後方のタイヤがパンクして、二人でタイヤ交換をしたりと、ハプニングは絶えなかった。

ハプニングが起こる度に、私たちの絆が深まったのも、よくある映画のような、学校の教室で起こるような話みたいで、不思議な感覚だった。きっとこれもシニーのおかげだ。
ヒッチハイカーとの出逢い
中央アジアやモンゴルにはタクシーという乗り物が極めて浸透していなかった。なぜなら、そこらの普通車がタクシーだからだ。つまり、移動したかったらヒッチハイクをするのが普通なのだ。
私たちも路肩で手を振っている人を見たら、停車して現地の人たちをピックアップした。それも、私たちが以前のアメリカ大陸を縦断した際に、親切な人たちが私たちを拾ってくれたという経験があり、恩送りをしたかったからだ。エルサルバドル、ホンジュラス、コスタリカ、コロンビアと、色んな国で色んな人々が優しくしてくれたのだ。
そんなわけで、シニーの後部座席には老若男女問わず色んな人たちが乗ってくれた。その中でも思い出深いのは、ある二人の旅人だった。二人は1週間前にキルギスの田舎町、サリ=モゴルで出逢い、意気投合してパミールハイウェイをヒッチハイクすることに決めたと言う。イギリス人のヘンリー(26)と、クロアチア人のマルコ(39)だ。一回りも歳の離れた2人の会話は、とても面白くて、私たちの旅に変化を加えてくれた。
私たちが彼らと会ったのは、アリチューと呼ばれる町。そこからワハーン回廊(渓谷)にある町、ランガー、そしてゾーンと呼ばれる町まで一緒に共にした。
そして私たちは一緒にそのランガーの町でお昼ご飯を一緒に食べ、温泉に入り、ハイキングも共にしたのだ。実は私たちもハイキングをしたいと思っていたのだが、情報が見つからずに諦めかけていたのだが、運良く二人に誘ってもらい、ハイキングをすることができたのだ。

そんな私たちにとっての一大イベントが、シニーでの川渡りだった。情報によれば、使われていた橋が倒壊して、現在は石がゴロゴロとした、ガッツリオフロードを水位の低い午前中に渡るというミッションがあった。
目標の川に到着した際に、なんと遊牧中の羊と山羊の群れに遭遇。牧羊犬と羊飼いたちが一生懸命群れを率いるも、川の水に怯えてなかなか前に進まない。ヘンリー、マルコ、私は車から降りて、羊や山羊たちの群れを率いる手伝いをした。そして、やっと群れたちを川の反対側へ渡した後は、いよいよシニーの川渡りだ。

シニーの川渡りのために、ヘンリーとマルコは靴を脱いで素足で川の中へ。私はハイキングシューズでズカズカと水の中へ入っていた。大きめの石を動かして、シニーがスタックしないように、道を作った。一度はスタック仕掛けたシニーも2度目の挑戦で、見事川渡りに成功。みんなで手を挙げて喜んだ。羊飼いのおじちゃんたちも寄ってきて、「ブラボー」と拍手喝采。みんなが喜びに包まれた瞬間だった。
素敵なパミール人との出逢い
タジキスタンにはタジク人とパミール人の民族に大きく分けることができる。今回のこのパミールハイウェイはもちろん、パミール人との交流が多かった。各町を訪れる際に、宿泊先を選定するが、そのゲストハウスのみなさんはパミール人がほとんどだった。
パミールの方々はとても寛容で、素晴らしいおもてなしで私たちを迎え入れてくれた。特に思い出深いのは、先に述べた旅人の二人と訪れた、パミール人のお宅だった。ランガーの次に訪れた小さな町、ゾーンにその家族は住んでいた。もともと私たちが目指していた宿が既に満室で、我々はとりあえず温泉にでも入って、後で考えよう。と山の中腹にある温泉に向かった。
その温泉には、地元の方たちが癒やしを求め、疲れと汗を流しに訪れるようだ。そこで、私たちも疲れを癒すことにした。中に入ると、源泉掛け流しの温泉が… ただ湯船はなかった。いや、秘湯すぎやしませんか?(写真参照)

そんな温泉を堪能して男性陣のみんなと合流すると、話が知らぬ間に進んでいた。どうやらこの温泉のオーナーの弟さん家族が、私たちを家へ招いてくれたのだ。もちろん、泊まっていってくれても良いと言ってくれた。お言葉に甘えて、我ら4人はパミールハウスに泊まることになった。


このパミールハウスが美しいのだ。
私たちのようなゲストを迎える部屋は、家の中でも最も広く、美しい部屋だ。昔ながらの山小屋の大部屋を想像して欲しい。そこに色鮮やかな絨毯や座布団、クッションが置いてある。そして、食事の際は、美しいシルクの布を敷き、その上に食事を並べるのだ。

彼らは、見返りを求めず、ただ私たちのような珍しい訪問者を純粋にもてなしたいという美しい心を持っていた。果てには、もうすぐ独立記念日でお祭りがあるから、それまでここに滞在しないかと、誘ってくださるほどだった。最後に挨拶をした際も、なかなか謝礼を受け取ってくれないほどだった。
最後、ご家族の娘さんの一人が恥ずかしがりながら、私の着けていたキーホルダーを指差した。言葉がなくてもわかった。このキーホルダーをくれないか?という意味だった。ある男の子からもらった大事なキーホルダーだったが、この子になら渡したいと思った。しかし隣には別に二人の女の子が… 彼女たちも何か欲しそうだった。そこで、キルギスの女の子たちからもらった、ヘアピンとビーズの髪留めゴムを渡した。二人とも嬉しそうにしていた。彼女たちからおもてなしを受けて、ちょっとしたプレゼントを渡す。なんだか素敵な絆が生まれた気がした。

どれもこれもこのシニーなにしには生まれなかった絆だ。幸せを運ぶ車、シニー、ありがとう。
写真はパミールハイウェイ中に撮ったシニー📷
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