美とは何か ~ 美しいものは美しいのだから仕方がない ~
概要
美とは何か、女性の美を例にして考えます。本記事には、将来的に不適切とされるかも知れない表現が含まれていますが、現代の時代背景を考慮し、
また、筆者(私)の意図を一部尊重して、修正しないまま公開します。御了承下さい。
免罪符としての前置き
旧ソ連では、西側の思想や哲学が危険視されていました。しかし、「そういう危険なものに対抗するため、知る必要がある」などと断れば、大学でも扱えたのだそうです(佐藤優『自壊する帝国』新潮社)。
昨今ではルッキズムなどと言われ、人間の外見的な美しさを話題にしにくくなって来ました。従って、私も、人は、つい外見的な美しさに惑わされてしまいがちであるから、それについて知っておく必要がある、と断ります。
本論は、女性の御尊顔に絞って、美しさとは何か価値中立的に考えます。
あなたは性格を見たことがない
しかし、性格とは何でしょうか。性格を見たことのある人がいるでしょうか。自分の性格でも構いません。どこかから性格を取り出して、見たり見せたりできるでしょうか。
実際、性格そのものを見たことのある人はいませんし、自分がどういう性格かと聞かれても、なかなか答えにくいでしょう。それでも、性格というものは存在するように思えます。
例えば、誰かの麻雀を見ていて、「ここは自分なら立直するけど、この人は慎重だな」などと思うことはあるでしょう。そうしたことが続けば、その人は、少なくとも、麻雀において慎重な性格だとなります。
当たり前ですが、つまり、性格そのものを見ているのではなく、行為を見て、「まるで慎重な<性格>であるかのような」と思うわけです。性格は、行為の譬喩として想定されるのです。
小説家ミラン・クンデラの『不滅』(集英社)には、「われわれ各人の奥底には、各人の行為の原因として、ドイツ人がグルントと呼ぶものが、つまり根拠が宿っているということだよ。われわれの運命の本質を含むコードがね」、「そのコードには隠喩の性質がある」(381頁)と書かれています。
『不滅』を読んで、上のように考えたのか、考えた後に読んだのか、恐らく、読んだ後なのでしょうが、完全に忘れてしまいました。クンデラ説については、やや曖昧なので、論評は控えます。
人は、他人の内面を見ることができません。自分の内面ですら、部分的にしか把握できていないでしょう。言動や表情等、広い意味での外見しか判断材料がないのです。
繊細な舌を持つ人は幸せか
TVを見ていると、料理等が美味しいとか今一つであるとか審査する人がいます。普通の人に比べて味覚や嗅覚が鋭いのでしょう。しかし、他の審査員が褒めていても、不機嫌そうな表情で、否定的なことを言う人もいます。
褒めている審査員もそれなりの人なわけですから、普通に考えて、料理は「美味しい」の範囲に入っている筈です。
そもそも、あまり細かいことは気にならず、何でも美味しいと思って食べられる方が幸せなのではないでしょうか。普通の舌の人が気にならないことを気にして、美味しく食べられないなら、何のための繊細さなのでしょう。
主観的な美味しさから生じる満足感や幸福感が人によってそれほど変わらないとすれば、むしろ、舌は鈍い方が良さそうです。
しかし、これは食べる方の話で、作るとなると事情が変わります。
「人間は色々」(養老孟司氏)です。普通の人は、ある範囲の味や香り等(部分集合)がよく分かるものの、それ以外はあまり分からないという具合でしょう。その部分集合から、味や香り等の集合全体が(暫定的に)出来上がっています。舌が繊細とは、一人で、その集合全体をかなりよく分かるということです。より多くの人を満足させるには、集合全体のより広い範囲を分かっている必要があるわけです。
正方形は美しい
台形は、何でもない四角形に比べ、「向かい合う一組の辺が平行」という特徴があるため美しいです。
平行四辺形は、更にもう一組の辺も平行なので、平行四辺形を見れば、台形を見る必要がありません。
平行四辺形の特徴を持ちながら、長方形は全ての角が90度、菱形は全ての辺の長さが等しく、もう平行四辺形を見ている暇はありません。
そして、正方形は全ての四角形の特徴を兼ね備えていますから、長方形と菱形で浮気する必要もなく、四角形好きには堪えられないことでしょう。
美とは包摂です。
美人の特徴
美人の特徴について研究している人をTVで見たことがあります。要するに、顔の部位の位置関係、比率として、妥当性の高い解を得たようでした。
隋分前のことなのですが、恐らく、ほぼ正しいのだと思います。四角形における正方形を見出したのでしょう。
目は誰それの、鼻はまた別の誰かの、口はあの人の、という理想を適切に配置するということです。胸は○○で、脚は××で、性格は・・・、等と妄想したことのある人もいると思います。
「ハーフは美人」という説があり、真偽は不明ですが、日本人と欧米人(この意味で言われました)の特徴を兼ね備えるということから、あり得るのかも知れません。
包摂、つまり、より高度な平衡が美しさを感じさせます。
ただ、一面的な美しさも一つの真実です。横顔が綺麗なら、綺麗であることは事実ですし、後ろ姿も同じです。若い頃は綺麗だったとか、子供の頃は可愛かった、「奇跡の一枚」等、否定はできません。
「好き」とは組し易いということ
好きとはどういうことでしょうか。
誰かに恋愛感情を持つことは意外に難しいです。TV等には美人がよく出ています。私も美人だとは思いますが、恋愛感情にまでは至りません(身の程知らずです)。それでも、性格が良く、共通の趣味がありそうで、となると、そうでない人より恋愛感情は持ち易そうです。反対に、容貌も残念な感じで、性格も合いそうになく、年齢も離れていて、となれば難しいでしょう。
つまり、好きとは組し易いということです。
「カツ丼が好き」とは、カツ丼を美味しいと思うのが容易だという意味です。「ゴキブリが嫌い」とは、その人がゴキブリの良さを見出しにくく、扱いも容易でないことを意味します。もし、所謂超能力で簡単に始末できれば、忌み嫌うこともない筈です。
ある人が好きとは、その人を良いと思い易い、それほど良い人だという意味になるでしょう。
好みという謎
美人も色々です。私のような人間でも、「美人だけど、付き合うという感じではないかも」などと思います。
音楽でも、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンで、誰が優れているかは議論できますが、好みとなるとどうでしょうか。「モーツァルトの凄さは認めるとして、好きなのは、すぎやまこういち」(今聞いているのはDQ8)と言われたら反論できません。
一つには、足りないものが考えられます。喉が渇いていれば、水が美味しくなります。良い記憶もあり得ます。大事な誰かと一緒に何度も聞いた曲は幸福感と結び付くでしょう。
こうした要素は色々ありますが、基本は能力と考えます。
能力は千差万別で、量も質もあります。量とは、単なる違いです。野球は詳しくても、水泳は知らないということです。質は、要するに上手いか下手かです。野球を例にすれば、打球の飛距離は量(筋力)ですが、強打の確率は質です。
人間は、自分に可能なことを概ね理解します。他人が咳をすると、自分もしたくなるのは理解できるからです(咳は意図して出せる)。サッカーでボールを柔らかく扱う選手がいますが(例えばジネディーヌ・ジダン)、自分ができないので、どうしているのか理解できません。ジダンは、「宇宙人ZZ」と言われたこともありました。
能力は高めることもできます。しかし、ある(元)野球選手が別の選手を真似ようとして、「骨格が違った(ため無理だった)」と言っていました。「骨格が違う」というのは疑問ですが、譬喩とすれば、能力を高めるのはそのくらい難しい場合もあるということでしょう。私も、『論語』を暗誦しようとしてすぐに挫折したことがありますが、簡単に覚えてしまえる人もいるようです。能力の向上が難しいと、それより上は存在しないと思ってしまいがちですし、実際そう思っている様子の人も散見します。
能力には、様々な要素が関係します。情報、知識、経験、技術、生理、人間関係等であり、より重要なのは、これらを使いこなすことです。
能力とはこのように理解しにくいものであり、自分の能力でさえ把握できているか甚だ怪しいものです(上述の性格は、何かに取り組んだ際の能力の特徴的傾向だと考えられます)。
あることに取り組んで、何らかの利益(若しくは損害を避ける)があり、対する能力が高ければ好きになり、低ければ嫌いになります。
結局、能力の理解が困難であるため、好みを理解できないのではないでしょうか。
好みの具体例
上記の通り、私は、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズが好きなのですが、DQの音楽を聞いていると、DQで遊んだ楽しい記憶が容易に浮かびます。
一方、例えば、モーツァルトの『魔笛』の音楽だけ聞いても、筋を知らないため、楽しい場面なのかも知れないとか、その程度しか分かりません。また、主題の展開について、「ここがラでなくて、シなのがいい」などと言われても、更に分かりません。
反対に、『魔笛』の筋を知っていたり、舞台を見たことがあれば、音楽によって、様々な記憶が刺激されるでしょうし、音楽の知識が豊富なら、モーツァルトの曲の卓越性も理解できるに違いありません。これらは広い意味での知識であり、能力を構成します。
付け加えると、身体性も重要です。ある音が、「ラでなくてシ」なのは身体性に因ります。単なる確率分布ではありません。
勿論、身体性も能力であり、高い低いがあり、作る場合にも、聞く場合にも関わります。
ヘタウマ
私のような画力が本当に低い人間からすると、ヘタウマは上手です。先ず、再現性があります。意図して描けるわけです。下手画伯にはできません。
速さも大事です。例えば、漫画は、美術的な絵画に比べて情報量が少ないため、時間を掛けると意外に真似できます。しかし、それでは商売として成り立ちません。
また、漫画なら、正面の無表情の状態から、怒ったり笑ったり、動きも必要で、時速130kmに達しなくても、切れの良い球をストライク・ゾーンの四隅へ投げ分けています。上手だからできることで、使いこなせています。
但し、美術的な上手さと使いこなす能力は緩やかに比例しているでしょう。
ノーベル賞物理学者の証言
物理学者のリチャード・フィリップス・ファインマンは、趣味的に絵を描いたそうですが、「美人の裸は誤魔化せない」という意味のことを書いていました(『ご冗談でしょう、ファインマンさん 下』岩波現代文庫)。 私としては半信半疑です。そうかも知れないと思います。ただ、美しくなければ描きたくならないのは自然です。
付け加えると、人間を描こうとするなら、体の内部がどうなっているか知りたくなるでしょう。そして、内部では説明できない何かも身体にはあります。例えば、ジダンを解剖したとしても、あの超絶的な身体の使い方の秘密は分かりません。つい、裸にしてでも確かめたくなるというものです。
しかし、基本的には見たいからだと思います。映画等で、「裸になる必然性」が言われたりしますが、必然性とは、詰まるところ、見たいということです。見たいものは見たいのだから仕方ありません。
身も蓋もない結論なので、弁護側として、情状酌量を求めます。
要するに、もし、初めから見えていれば、それほど見たくはならないでしょう(これは実験できるので、是非試して下さい)。見る機会が少ないから見たくなるわけです。貴金属や宝石類等も、希少だからこそ珍重されます。より高度な均衡である美人も希少です。
運命の赤い糸
運命の赤い糸を本当に信じている人はいないと思いますが、実際に存在すると、なかなか大変です。地球の裏側に相手がいたら結ばれないかも知れず、時代が百年ほど違うだけで会えなくなります。従って、代替可能な人の中から選んでいます。
しかし、大事な人は代わりがいないように感じるでしょう。
探すための時間、手間、金銭、幸運等に加え、関係を築くための積み重ね、と合理的に考えても無理に思えます。
愛情とは、代替可能な筈の対象が代替不能に感じられることです。基本的にはある程度の時間によって、対象との関係を築いていることで生まれます。隣の芝が青く見えても、住めば都、ということです。
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チップを貰った人は実在するのでしょうか。note の都市伝説、幻のようですが、有難く戴きます。