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青少年赤十字へのラブレター FROM 90's(note改訂版)



縁パワメントおじさん(山口県高等学校青少年赤十字協議会会長(徳山高校卒)、中国地区大学ESS連盟連盟長(島根大学卒)、日本農業新聞元一面担当整理記者)の

天地成行(てんち・なりゆき)です

こんにちは、こんばんは、おはようございます(seesaaブログの改訂版です)

> 「これは、わしの青春と祈りと笑いが詰まった、赤十字へのラブレターです。」


縁パワメントおじさんの天地成行です。「愛子さま勝手に応援団」の天地成行でもあります。

サムネ写真は、1991年に静岡県御殿場市で、日本赤十字社主催で開かれた「こんにちは’91」より(小学生から高校生の各都道府県の青少年赤十字の代表が集合しアジア各国からも)。


さて、今回は山口県立徳山高校の時に、県の高等学校青少年赤十字協議会会長としていろいろかかわった資料が出てきましたので

紛失してはいけないと掲載しておきます。ぜひ、本社の青少年・ボランティア課さんにも目を通していただければ

と思います


天地成行の本名です


将来に新聞社や編集に携わる、天地成行でしたが、ようように考えたら、このような、みんなのために

よく冊子を仲間とつくっておりました。中身は、活動内容のまとめや、熱き想いを若気の至りでみんなで綴ったり、写真を張り付けたり・・・あーなつかし。( ´∀` )→追補できたらしますね

さて、次はですねー



わが永遠のボランティアの師匠である、開村修三先生が「自分が奉仕(ボランティア)の部活になにかできる、わたしならではの活動はないか」と模索されて叶った「視覚障がい者登山」の資料。大分県久住山に登ったときのもの。

これは貴重です。どのように行うかをきちんと落とし込んで、事故なく、山口県から大分県へ移動し

偉業を達成した資料であります。先生なら了解してくれると思い掲載しますよー。

そして、最後にドン


参加した前年のちらしと思います
当時発表したスピーチ原稿。高校生の英語スピーチは主張ものが主流の時代に経験や体験を基に
発表するスタイルをとりました



いまだったら、行った活動を報告として、「落とし込む」のは

ふつうなのでしょうが、当時はなかなかそういうことをする人は

少なかったです

私は、ESS(EATING SLEEPING SOCIETY→×ぶっぶー。ENGLISH SPEAKING SOCIETY)の一員としても活動していましたので

ここで発表して、大学生に挟まれてなんと二位に入賞させていただきましたー

徳山の地は、シカゴ大学で博士号を取得した、「近代英語教育の祖」浅田栄次さまを輩出(生誕は下松市花岡)

ウィキ

東京外大のHP

こころとからだと御縁を大切に、天地成行でした


新社会人のみなさん、がんばりすぎてつかれてないですか?

人生はウサギとカメなら、カメさんでいきましょうね



ナナちゃん「てんちくん、そりゃリスさんでんがな」


(つづく)

天地成行は、現在、「勝手に愛子さま応援団」としてお支え中。2025年の能登ご訪問時に

テレビでみて即応の句



ほかにも、サイト内検索で「青少年赤十字」と検索されてみてくださいね

高校生のときに、当時アニメーター志望だった姉に書いてもらった「赤十字のはじまり」

JRCの仲間にも、恩師にも、最近では、愛子さまが入社される前の年に

青少年・ボランティア課にも認めていただいたものです




JRCの県の会長は下関工業に継いだのでした(㊨がてんち)



ちなみに、高校を卒業した天地成行(小森裕之)は、島根大学農学部で中山間地域問題(過疎問題)を学び

東京の日本農業新聞へ就職。2002年8月1日の株式会社化の日の一面担当整理記者や芸能くらし、市場

記者を担当しますが、精神疾患を患います。(一貫性のない生き方が災いしたかもー)

日本農業新聞の株式会社化の日の一面を制作しました



そのときに、山口県の恩師・開村修三先生は、定時上がりをしたらたまに「赤十字新聞」を日本赤十字社本社

広報室で手伝いにいくことを勧めてくれました。よき思い出となりました。



続きは、山口県立大学名誉教授の安渓遊地さんの研究ブログへどうぞ!

天地成行)赤十字とのかかわりを阪神・淡路大震災30年の節目に回想 - 安渓遊地

そんな私は精神疾患を得て、以下の本を編みました



わたしは山頭火 ― 元新聞記者による統合失調症・闘病記 - くるとん出版



ロゼッタストーンの書籍:精神疾患の元新聞記者と発達障害の元新聞記者がお互いを取材してみた。

「いまは障害年金で暮らしています。生きる手立てはまだ見つかっていませんが、それでも、言葉と祈りを手放さずにいます。」



ヘンテコな行を繰り広げたようです。普通では考えにくいものでした

満身創痍になったわたしを身代わりになったか、愛犬のベルピンク・ナナちゃん

(ダックスフント)が死去したのが2005年頃。母が次に身代わりに?

東京都墨田区両国の1Rでわたしを看病中に大腸に腫瘍の疑いで、検査。

結果がでるまで歩いていける距離の水天宮や亀戸天神を鬱の最中、おまいりし

毎日「母の腫瘍が良性でありますよう」とノートに何百回も写経し、良性で

また寝込みました。

生きることを確かめに、山頭火さんのように歩き倒した2014年

宇部市東岐波からサンダルで、コインランドリーで一時間寝て歩いて周南へ、が最初

その後、大分県でも。大分市から別府市へ真夜中サンダルで歩きました。

宇宙から指令?がきて「地球をおまえが愛していると思い続けなければ、地球は自動的に

すぐさま爆破される」と受けて、深夜の大雨をサンダルで歩き、にしきのあきら「愛してる」

からドリカム「あ・い・し・て・る」、米米CLUBと続き、最後はKANの「愛はかつー」と

頭で「百万遍」唱えてフェリー乗り場へいって、保護され、両親がかけつけ、母とまた歩いて

自宅まで戻ったり。周南市から岩国市錦町大野(ほぼ島根県吉賀郡六日市町との県境)を

七月七日に、真っ暗なトンネルを七つ抜けて、生と死を体感しながら、また保護されたこともあり

精神科に入院することになりました。(追補として、最後に保護された土地の逸話をつけます)

退院後に祖母が99歳で亡くなり、今度は父が大腸がんの疑い。水をアイスコーヒーにして、ペットボトルで一日

二十リットル飲む荒行をしました。父も逝かせないと。体内塩分はなくなり、深夜にけいれんしたり、冷蔵庫の

しょうゆを手にたらしながら息絶え絶えで、トイレもこぼしまくり、周りを「湖」状態に・・・。

出雲の神に助けられたようです。きっかけは、2023年に島根県大田市で宿泊し、出雲市湖陵町の彌久賀神社に

ご縁があったことを思いだし、神社の名前も住所も失念していたのに、きれいに導かれて、おまいりして、帰りのバス

で母曰く「失神」していたというのでした。二度目の精神科入院を年末年始にして、秋にはさらに、出雲市大社町の日御碕神社へ。

最初の写真は日御碕です。あの島根大学一年生の時に、当時の彼女と訪れて、手水舎に失礼なことを謝りに行きました。

そうしましたら近くの方に「よく三十年前のことを謝罪に来られました。素戔嗚さまがあなたを許すと思います。これからいいこと

が待っているはずですよ」。そうして、本当によくなっていったのです。写真は事代主神を祀る松江市の美保神社(2024年8月)

神社周りで動画を撮ると、2024年末あたりから、不思議と奇跡が・・・


以来、出雲大社の大国主大神、日御碕神社での素戔嗚神、彌久賀神社の天之御中主大神との

ご縁から、「こころとからだとご縁を大切に」というキャッチフレーズで、ゆるい

ネットワークづくりを心掛けています。それが心の健康を保つことに良く作用して

新聞記者時代の技術がミニコミ誌『みんつど』で再現できはじめてきています

コロナ禍が日本にも来ると直感し、2019年末に制作し、2020年1月に100部刷って発行、

二号以降は、山口県立大学名誉教授の安渓遊地さんの研究ブログを間借りして掲載し続け、55号に

2025年度末まででいきそうです


みんつど1号1面


みんつど50号記念号①の一面


みんつど54号1面(安渓遊地先生=山口県立大学名誉教授)の研究ブログで全号あります(55号で休載)


安渓遊地


「己の苦しみを、いきづらいみんなの笑顔にしていこうぜ。」

そのうち、地域の御霊や偉人が「わしを題材にしてユニークに書いていいから、

子どもを始め地域の人の歴史理解にアンタのヘンテコ能力を利用してみなさい」ということになり

一人三役脳内会話「天地成行あり方委員会」ができあがりました。山口県立大学名誉教授の

安渓遊地さん(人類学・地域学)研究ブログに「あり方委員会」サイト内検索で確認すると19記事・

紙面収容され、先生の興味深い祓い文がついてます(天地成行関連は100記事・紙面あります)

安渓遊地

これは青少年赤十字で山口県の当時の加盟高校46校をまとめる会長として、いろんな会議を行って

中国地区大学ESS連盟連盟長、日本農業新聞記者(労働組合関係でも)としてもそういう、いろんな

意見をまとめていくうちに体得していることだと確信できます。山口県高等学校青少年赤十字協議会役員には、山口高校や下関西高校、徳山高校、柳井高校、小野田高校、長府高校、萩高校…といて、

さらに県内各地区には各地区の役員もいまして、それをまとめ上げるということで養われました。




上が、長州姫あり方委員会。わたしの地元の徳山藩藩主の母です。

そして、日本赤十字社ができる前に、地元のイワシ漁の家から、オランダ船(アメリカ製・イライザ号)を引き揚げた

「日本サルベージの祖」村井喜右衛門さんの人道支援力をなんとしてもしってもらおうと編んだ、村井喜右衛門編(残りは安渓先生の

研究ブログ内にございます)



もう一度。心と体とご縁を大切に、てんちなりゆきでした。(斜めになっている写真は、大学時代に彼女と訪れた、京都の三嶋神社にてコスプレ体験。

おもわず神主さんにスカウトされました(笑)似合ってますよって)

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※追補(逸話)
2014年の7月7日の七夕に、周南市の遠石を午前6時ごろ出発し、眼鏡なしサンダルで歩いて、周防高森からバスで岩国駅、錦町まで錦川清流線で行き、そこからピュアラインにしきまで歩いて、午後6時から午後11時まで島根県吉賀町六日市方面の国道187号を歩いておりました

保護されたところは、河内神社の横でした。水の神様の神社

そのあたりは、大野という地域。最近こんな悲話があることを知りましたので、大体原文ママで転記します(ママは、てにをはレベルで少し読みやすくしているということで、内容は全くママです)


大野日浦の哀話 不義のえん罪で処刑された人妻

昔大野日浦部落の素封家に「おふう」と云ういたって気だてのやさしい人妻がいた。或る歳の秋頃身ごもりのためはげしいつわりに悩まされ、食物の好き嫌いが甚だしくなったので人目をさけ、その家の下男に与えていたが、いつの間にか誰と云うともなく下男との間に不義密通のあらぬ噂をたてられ、それが主人及び家族の耳にもはいり遂に当時の掟に依り裁かれ処刑されることになつた。

さていよいよ処刑されるその日がやってきて朝から邑中をやせ馬に乗せられ処刑される罪科状を認めた戸板と共に引き廻されたが、その途中馬上から当の「おふうさん」は自分の身肌につけていた腹帯(妊娠のために巻くもの)をサッと外して地上に投げ捨て、歌を哀調込めて口ずさんだのである。

 所ふうかい 日浦場のくせか

    落ちる木の葉もみな吹きたてる

        村の若い衆 これみてお呉れ

歌の文句は「自分はこの通り身籠もりの身体なので食い物に好き嫌いがあり、嫌な食い物をみんなすてる訳にもゆかないので、しかたなく下男に与えたので決して下男と不倫の事実はなかったが、この土地の人達の邪推に依り、あらぬ噂をたてられ、それがため今日こうして御仕置きになるのが残念でたまらない」と云う意味を一片の歌に託し更に「これから後この日浦の沖の橋(今の下大野橋のこと)の川しもで色情関係のため非業の死にかたをした者がいたら妾のたたりと思って呉れ」と言い残し、はかない運命とあきらめ刑場の露と消え果てたと云うことである。

その後数組かの若い人達がこの川下で恋のいけにえとなって、この世を去って逝ったと云うことである。

○付記 この話は筆者の義姉(実兄山本武市の妻で大野黒石家より嫁す)から少年時代聞いたものである。

(『錦町発足二十年記念出版 錦町風土記』 第二編 郷土の故事来歴87,88p)


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天地成行(てんち・なりゆき)|祝祭編集者。語りと祈りの編集者 障害厚生年金の生活です。制度の外におり、年齢もとり、社会のレールに乗ることが難しいため、noteの活動を頑張ってます。みなさんの「浄財」をお待ちしていますm(__)m