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我々の常識は誰のためなのか?幸せは常識の外にありました その1
私は、幼少期の頃から、首と肩と腰の痛みに悩まされながら、その痛みに耐え日常生活を送ってきました。当然、痛みのため集中力は続かず、
運動もあまり得意ではありませんでした。
中学2年生に上がるタイミングで両親が別居する事になり、
私は母と一緒に山口県から千葉県に移住しました。
その母と二人での生活の中、疲れた母の腰に手を当てると自分の手だと思えないくらいの熱がでて母の腰が楽になりました。
この時、私は「氣」を認識しその後、自分のためにも「氣」をマスターすべく、月刊「ムー」の別冊であった氣功法の本を買い、独学で氣功を練習する事になりました。そして高校卒業と同時に郵便局へ就職し、以後32年半勤め、勧奨退職の形で職場を去ることになりました。
そして今、仕事にしている筋膜整体の基礎である「腱引き」を習得し現在に至ります。この私の半生と学んできた事、そしてお客様のお体を鑑みるに我々日本人の奥底にある呪い、または悪意といって過言ではない気を付けの『立ち方』と腕を振って踵から着地する行進の『歩き方』という常識が我々を不幸から抜け出せなくしている事に気が付きました。
この記事では、常識という鎖で一般市民を操りたいと考えたであろう人々の思惑と誤算?について書いていき、我々が今後どうすれば、この呪いとも言うべき「常識」を捨てて身軽になっていけるのかを書いていこうと思います。
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チップ下さい。まだ本職に仕事がこないので、生活が苦しいです。仕事場の家賃や仕事に維持費に使わさせて頂きます。有難うございました。
