「看護師として、そばにいたはずなのに」
病棟で働いていると、
何年経っても忘れられない患者さんが、いくつか心に残る。
治療の内容や病状だけでなく、
その人の言葉や表情、
ふとした会話のひとつひとつが、
今も自分の中に残り続けている。
看護師として働き始めた頃から、
長い時間をかけて関わってきた、
そんな患者さんがいた。
新人看護師だった頃から、3〜4年にわたって関わり続けた患者さんがいた。
がんが見つかり、手術を受け、化学療法を行い、そして少しずつ病状が進行していった人だ。
彼女は、私の祖母と同じくらいの年齢だった。
治療のつらさを抱えながらも、いつも私のことを気遣ってくれた。
「大丈夫? ご飯ちゃんと食べてる?」
「ちゃんと眠れてる?」
ケアをする側の私が、
気づけば、彼女の言葉に何度も救われていた。
亡くなった旦那さんのこと、娘さんのこと、そしてお孫さんの話をよくしてくれた。
特にお孫さんの話になると、表情がぱっと明るくなる。
「可愛くてしょうがないの」
家族のために家事をし、食事を作り、
遺族年金で入るお金も自分のためではなく、娘さんやお孫さんのために使う。
自分の人生の中心に、いつも家族を置いている人だった。
本来なら、私が看護を提供し、心のケアをする立場だったはずなのに、
彼女との関わりの中で、
「自分はどう生きたいのか」
「何を大切にして生きたいのか」
そんなことを教えてもらっていたのは、私の方だった。
年月が経ち、彼女の体は少しずつ弱っていった。
やがて積極的な治療は難しくなり、方針は緩和ケアへと変わった。
それでも彼女は、相変わらず私を気遣ってくれた。
「あなたのこと、孫みたいに思ってるの」
「おしゃべりするのが本当に楽しみなのよ」
けれど、その頃から、家族の話の内容が変わり始めた。
「孫は、私を金づるとしか思っていない気がする」
「体がつらくて、トイレに行くのも一人じゃ難しいのに、呼んでもなかなか来てくれない」
「娘も冷たい。私なんか、早く死んだ方がいいと思ってるんじゃないか」
その言葉を聞くたび、胸が痛んだ。
「そんなことないですよ」
「私は、あなたにいつも支えられています。だから、少しでも長く生きてほしいと思っています」
何度もそう伝えた。
彼女はそのたびに、少しだけ安心したように、
でもどこか悲しさを残したまま、笑っていた。
ある日、病状が急激に悪化し、緊急入院となった。
ベッドから動けない状態だったが、私の顔を見ると、弱々しく微笑んでくれた。
その時、彼女は家での出来事を話してくれた。
具合が悪くなり、お孫さんしかいない中で「救急車を呼んでほしい」と頼んだこと。
渋られ、口論になったこと。
娘さんが帰宅してから救急車で来院したこと。
そして、喧嘩別れのまま病院に来てしまったこと。
私は、「ちゃんと仲直りしないとですね」と声をかけた。
それが、彼女と交わした最後の会話になった。
翌日、病院に行くと、彼女はすでに亡くなっていた。
お孫さんは、間に合わなかった。
同僚から、
彼女は意識がなくなる直前まで
「私は孫に、死んでほしいと思われている」
と嘆いていたと聞いた。
病室に行くと、そこにはお孫さんが座っていた。
体を震わせ、声を殺しながら、涙を流していた。
その姿を見て、私は何も言えなかった。
看護師として、私はそばにいた。
体の苦痛を和らげることも、話を聞くこともできた。
でも、
家族の想いと想いを、つなぐことはできなかった。
それが、今も胸に残っている。
看護師でいるということは、
命のいちばん近くにいながら、
どうしようもなく届かないものがあると知ることなのかもしれない。
私は今も、あの日の病室を思い出す。
間に合わなかった言葉のそばで、
ただ、看護師として立っていた自分のことを。
