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「選ばれなかった私」になるのが、ずっと怖かった


連絡がない。

ただそれだけのことなのに、
心は簡単に、静かではいられなくなる。

「このままフェードアウトするのかもしれない」
「私だけが、こんなに大切に思っていたのかもしれない」
「結局また、私は選ばれないのかもしれない」

そんな未来を、
まだ何も起きていないうちから先に描いてしまう。

相手は、何も言っていない。

ただ、いつもより連絡の間が空いている。

これまで一緒に過ごした時間や、
そこにあった信頼まで消えたわけではない。

そして、相手が今どんな事情の中にいるのかは、
私には分からない。

それなのに私は、
分からない空白を、そのままにしておくことが苦手だった。

空白があると、そこに
「嫌われた」
「大切ではなかった」
「また選ばれなかった」
という物語を置いてしまう。

事実は、
いつもより連絡が来ていないこと。

それなのに心の中では、

まだ起きていない別れまで始まっていた。

それはきっと、
相手を失うことだけが怖いのではなかった。


好きな人と過ごす時間の中で、
私は今まで知らなかったような穏やかさを知った。

嫌なことを「嫌」と言える。
自分のことを話してもいいと思える。
きれいに整えた自分だけではなく、
不器用な自分も、弱い自分も、
少しずつ見せていいと思える。

そして私は、相手のことも、

私に都合のいい存在としてではなく、
その人のまま知りたいと思った。
そのままでいてほしい、とも思った。

だから、怖くなった。

会うたびに、心地よさが増えていく。

自分を見せることを許すたびに、
好きが増えていく。

好きが増えるほど、
失ったときの自分を想像してしまう。

「これ以上好きになる前に、
もうやめたほうがいい」

そんなふうに、
気持ちごと切り離したくなる日もある。

でも、また会いたい。
その人の優しさにも、弱さにも触れたい。

私も何か、
やわらかなものを返せたらと思う。

その気持ちさえ、
ときどき怖くなる。

「役に立ちたい」
「癒やしになりたい」
その願いの中に、

「必要とされれば、私は安心できる」
という昔からの私が、

そっと混ざってくることがあるから。

そこで、
私は、誰かの気持ちを
知りたいだけではなかった。

本当は、

「私は大丈夫」
「嫌われていない」
「また会える」
「私は大切にされている」

そんな言葉を相手からもらうことで、
自分を安心させたかったのかもしれない。

自分の価値を、
自分ではまだ十分に「確か」だと思えない。

だから、外側から届く言葉や態度で、
一時的に自分の輪郭を確かめたくなる。

もちろん、
相手の言葉が嘘だということではない。
誰かからもらう優しさに安心することも、
気にかけてもらって嬉しくなることも、
悪いことではない。

ただ、どんな言葉も、
私の未来や価値まで保証してくれるものではない。

人の気持ちも、関係も、
少しずつ変わっていくことがある。

私はそれを知っているから、

安心できる言葉を欲しがるくせに、

受け取っても、どこかで疑ってしまう。

欲しい。
でも、信じきれない。

だから、また確かめたくなる。
その繰り返し。

私はずっと、
「私は私を好きじゃない」と思っていた。

でも今は、
少し違うのかもしれないと思う。

私は、私を嫌っているというより、
まだ十分に、私を信じていない。

「私はまた壊れるかもしれない」
「壊れたら、もう戻れないかもしれない」

そんなふうに、
未来の自分をどこかで信じきれていない。

だから、相手を失うこと以上に、
相手を失ったとき、
自分まで失ってしまうこと

が怖かったのかもしれない。

もし、選ばれなかったら。
もし、関係が終わったら。
もし、私だけが大切にしていたと分かったら。

そのとき私は、
私を見捨てずにいられるだろうか。

「情けない」
「馬鹿みたい」
「やっぱり私は愛されない」

そんな言葉で、
自分まで傷つけずにいられるだろうか。

今、私が育てたいのは、
「私はもう壊れない」
という強さではない。


そんな保証は、
きっと誰にもできない。

育てたいのは、
「壊れるように感じる日が来ても、
私はまた、私のところへ戻れる」

という信頼。

誰かに選ばれなかったとしても、
私の価値までなくなるわけではない。

誰かを想いながらでも、
私は自分の一日を生きられる。

会えなくなったとしても、
自分まで粗末にしなくていい。

私はこれまでにも、
何度も大丈夫ではない日を生きてきた。

泣いた日も、
自分を嫌いになった日も、
もう立ち上がれないと思った日もあった。

それでも私は、
今ここにいる。

もしかしたら、
私がまだ認められていなかったのは、
「ずっと強くなれない私」ではなく、

大丈夫じゃない日もあったのに、
それでもここまで連れてきてくれた私自身

なのかもしれない。

誰かからもらう優しさは、
これからも嬉しく受け取っていい。
愛されることも、
気にかけてもらうことも、
安心することも、拒まなくていい。

ただ、それを
「私には価値がある」
と証明するためだけに使わなくていい。

相手の言葉や態度に預けきっていた、
「私を安心させる役割」を、
少しずつ自分の手元へ戻していく。

私は何を感じたのか。
私は何を大切にしたいのか。
私は私を、どう扱いたいのか。


それだけは、
私の手元に残しておける。

大切な人を手放さなくてもいい。

好きなままでもいい。

会いたいままでもいい。

不安なままでもいい。

それでも私は、
私のところへ帰ってこられる。


自己信頼は
「もう揺れないこと」ではなくて
揺れるたびに、自分を置き去りにしないこと。



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