頼れる人がいないなら、自分のセーフティーネットを考えておく
最近、よく考えることがあります。
自分には、もう頼れる人がほとんどいません。
何かあった時に、すぐ駆けつけてもらえる。
困った時に相談できる。
いざという時に代わりに動いてもらえる。
そういう存在を前提にできない。
だからこそ、最近は、
「困った時にどうするかを、困る前に考えておく」
ことが大事なのではないかと思うようになりました。
これは少し、終活にもつながる話です。
終活というと、どうしても、
遺言。
相続。
お墓。
持ち物の整理。
そんな、人生の最後に近い話を想像しがちです。
でも、自分にとっての終活は、もう少し手前にあります。
生きている間に困った時、どうするか。
むしろ、こちらの方が切実です。
たとえば、体調を崩した時。
家の中で何かトラブルが起きた時。
鍵をなくした時。
突然、移動できなくなった時。
家計のやりくりが厳しくなった時。
自分で判断しにくい状況になった時。
そういう時に、
「誰かが何とかしてくれる」
と思えない以上、
平時のうちに、少しずつ道筋を作っておく必要があります。
以前なら、
「まあ、その時になったら考えればいい」
と思っていたかもしれません。
でも最近は、
その「その時」が来てからでは遅いこともあるのだと感じています。
人間は、元気な時には、
元気であることを前提に考えてしまいます。
自分で動ける。
自分で電話できる。
自分で調べられる。
自分で判断できる。
でも、その全部が同時にできなくなることもある。
そうなった時に初めて、
「あれ、どうすればいいんだろう」
と考えるのは、やはり少し怖い。
だから、
頼れる人がいないなら、頼れる仕組みを作っておく。
最近は、そんなふうに考えています。
人ではなく、仕組みに頼る。
たとえば、
必要な連絡先をまとめておく。
行政や医療の窓口を把握しておく。
家のことをどうするか考えておく。
緊急時に必要な情報を、すぐ見つけられるようにしておく。
家計についても、
「今月何とかなるか」
だけではなく、
何かあった時にどこまで耐えられるかを考えておく。
大げさな準備でなくてもいい。
少しずつ、
「何かあった時の道筋」
を作っておく。
それだけでも違うと思います。
これは、悲観的な準備ではありません。
むしろ、
安心して生きていくための準備
なのだと思います。
先のことを考えると、不安になることもあります。
でも、不安だから考えないでおくより、
不安だからこそ、少しだけ形にしておく。
その方が、自分には合っている気がします。
考えてみれば、
これまでずっと、自分で何とかすることが多い人生でした。
頼れる人がいなかったから、自分で考える。
自分で決める。
自分で動く。
その力は、確かに身につきました。
でも、これから先は、
「自分で何とかする」
だけでは足りないのかもしれません。
自分が動けない時のことまで含めて考える。
そこまでやって初めて、
本当の意味での自立に近づくのかもしれません。
自立というと、
何でも一人でできることのように思いがちです。
でも最近は、
一人で抱え込むことと、自立は違う
と思うようになりました。
自分の限界を知る。
助けが必要になる場面を想定する。
その時に使える制度やサービスを知っておく。
必要なら、経済的な面で備えたり、行政や専門家に頼ったりする。
それも、自立の一つなのだと思います。
人に頼れないなら、
何にも頼らない。
ではない。
そこは、かなり大事です。
むしろ、
人に頼れないからこそ、頼れるものを増やしておく。
そう考えた方が、少し現実的です。
終活という言葉も、
以前は少し遠いものに感じていました。
でも今は、
「死ぬ準備」ではなく、
最後まで生活を破綻させないための準備
と考えると、少し見え方が変わります。
住まい。
お金。
健康。
連絡先。
持ち物。
緊急時の動き方。
そして、
自分が困った時に、自分を助けるために残しておく情報。
一つ一つは小さなことです。
でも、
そういうものが積み重なって、
自分なりのセーフティーネットになるのかもしれません。
今の自分には、
「誰かがいるから大丈夫」
という安心はありません。
でも、
「何かあっても、ここから動けばいい」
と思える準備は、少しずつ作れます。
頼れる人がいないという現実は、変えられない。
でも、
頼れる仕組みを増やすことはできる。
そう考えると、
終活も、少しだけ前向きなものに見えてきます。
自分を大切にするというのは、
今の自分をいたわることだけではなく、
困った未来の自分が、少しでも立て直しやすいようにしておくこと。
そんなことなのかもしれません。
