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家族を守るために、何度も立ち上がった

鉄道会社を退職し、嫁の地元へ引っ越した自分は、運送会社に勤めることになった。

ただ、トラックに乗るドライバーではない。

自分が任されたのは、運行管理の仕事だった。

当時、自分は26歳。

デスクの向かい側には専務。

隣には課長。

職場の平均年齢は40代後半。

20代、30代の社員はほとんどいなかった。

張り詰めたような職場の雰囲気。

自分はどうしてもぎこちなかった。

それでも、

「家族のためだ」

そう思っていた。

嫁と子どもを守るために、働かなければならない。

それだけを考えていた。



とんでもないミスをしてしまった

そんなある日のことだった。

自分は、とんでもないミスをしてしまった。

トラックドライバーが荷物を積み込む場所を間違え、遠く離れた場所を案内してしまったのだ。

当然、ドライバーにも迷惑をかけた。

さらに、そのミスによって発生した燃料代や通行料金も、こちらの会社の過失だったため、会社側が負担することになった。

「またやってしまった……」

かなり落ち込んだ。

専務も、思うところはあったと思う。

それでも、一度気持ちを押し止めて、自分に指導してくれた。

かなり大人の対応だった。

だからこそ、余計に申し訳なかった。

「自分、足を引っ張ってばかりだな……」

そんなことを考えるようになっていった。

もちろん、新人なのだからミスをするのは当然なのかもしれない。

でも当時の自分には、そんな余裕がなかった。

一度失敗すると、

「また失敗するんじゃないか」

そう考えてしまう。

そして、またミスをする。

少しずつ、自分に自信がなくなっていった。

大学時代、焼肉屋で働いていた頃の自分を思い出した。

あの頃も、精神的に追い込まれていた。

そして今も同じだった。

引っ込み思案になり、自分の殻から出られなくなっていた。

自分はこの会社を退職することにした。



次に選んだ仕事は、おしぼり屋

次に選んだ仕事は、おしぼり屋だった。

飲食店、パチンコ屋、ゲームセンターなどが主な配送先。

1日に平均して100件近くのルート配送をする。

決して楽な仕事ではなかった。

もちろん営業もしなければならない。

それでも、自分には合っていた。

理由は単純だった。

自分のペースで仕事ができたからだ。

誰かの目の前でずっと緊張しているより、自分でルートを回り、自分のペースで動ける方が気持ちが楽だった。

「こういう仕事の方が、自分には向いているのかもしれない」

少しずつ、そう思えるようになっていった。



そして、2人目の子ども

そんな生活を送っている中で、2人目の子どもができた。

2人とも女の子。

自分にとって、かけがえのない娘たちだった。

娘たちを見ると、

「頑張らないとな」

自然とそう思えた。

これまで、自分はいろいろなことで家族に迷惑をかけてきた。

仕事も転々としてきた。

お金のことでも失敗した。

だからこそ、

これからは家族のために一生懸命働こう。

そう思った。

家庭を持つということは、こんなに大変なのか。

実際に自分が父親になって、初めて分かった。

仕事をして、お金を稼ぐ。

家に帰れば家族がいる。

当たり前だと思っていた生活には、大きな責任があった。

そして、自分が親になったことで、改めて両親への感謝も感じるようになった。

「父さん、母さんも、こうやって頑張ってきたんだな」

そう思う日々だった。



ある日、事件が起きた

そんなある日のことだった。

長女が高熱を出した。

41度。

嫁は有給を使い、自分も仕事が終わればすぐに家へ帰った。

夫婦で娘を看病する日々が続いた。

高熱が続いている。

心配ではあった。

でも、まさか――

あんなことになるとは思っていなかった。

突然、娘が痙攣を起こした。

嫁は完全に気が動転していた。

「どうしよう……どうしよう……」

そう言いながら、部屋の中をウロウロしている。

無理もない。

目の前で大切な娘が痙攣している。

でも、その時の自分は、なぜか意外と冷静だった。

「救急車呼んで」

嫁にそう伝えた。

その間、自分は娘の様子を観察していた。

そして、一つ違和感を覚えた。

痙攣している娘の目を見ると――

斜め上を向いていた。

「……なんか、おかしい」

そう感じた。



病院で言われたこと

救急車が到着した。

嫁は救急車に乗り、自分は車で追いかけることにした。

「病院が決まったら連絡して」

そう伝え、自分も急いで病院へ向かった。

病院に到着すると、医師と話をしている嫁を見つけた。

自分も合流した。

医師から、

「何か気になったことはありますか?」

と聞かれた。

自分は、痙攣していた時のことを伝えた。

「目が斜め上を向いていました」

すると、医師が黙り込んだ。

そして、

「普通、痙攣したら真上を向くんですよ」

と言われた。

その瞬間、自分も少し動揺した。

医師は、

「色々検査する必要がありますね」

と話した。

嫁は泣き出した。

無理もない。

大切な娘のことだ。

何も大きな病気がありませんように。

ただ、それだけを願っていた。


入院生活

娘は、しばらく入院することになった。

嫁は仕事を休み、一日中娘のそばにいた。

自分も仕事が終わったら、娘の着替えなどを用意して、すぐに病院へ向かった。

そして夜中は、嫁と自分が交代しながら、ずっと娘のそばにいた。

自分も、気が気ではなかった。

本当は、ものすごく焦っていた。

怖かった。

この先どうなるんだろう。

何か大変なことになったらどうしよう。

いろんなことを考えていた。

でも、その姿を嫁に見せるわけにはいかなかった。

自分まで取り乱したら、嫁はもっと不安になる。

だから、我慢した。

父親として、できるだけ冷静でいようと思った。

娘はダルそうに起きたり、眠ったりを繰り返していた。

そして、骨髄の検査まで受けることになった。

小さな身体で検査を受ける娘を見ていると、本当に胸が痛かった。

「代われるものなら代わってあげたい」

そんな気持ちだった。



診断

そして、ある日。

医師から診断が告げられた。

二相性脳症。

娘は、その病気と向き合うことになった。

嫁は泣き出した。

自分も涙目になった。

これからどうなるんだろう。

普通に生活できるのだろうか。

いろんな不安が頭をよぎった。

そんな自分たちに、医師が伝えてくれた。

「発見が早かった分、軽く済んでいます」

その言葉には救われた。

もちろん、不安がなくなったわけではない。

それでも、「早く発見できた」ということは、大きな安心材料だった。



退院しても、まだ終わらなかった

娘は退院した。

「これで、また普通の生活に戻れる」

そう思っていた。

しかし、そう簡単にはいかなかった。

その後も何度か痙攣を繰り返し、そのたびに病院へ運ばれることになった。

また起きた。

大丈夫なのか。

また病院へ行かなければならない。

そんな日々が続いた。

そして、発症から約3か月後。

少しずつ、痙攣が出なくなっていった。

ようやく――

普通の生活に戻れる。

そう思えるようになった。



娘の成長を見て

その後、娘は幼稚園へ通った。

他の子どもたちと同じように、運動会にも参加した。

発表会にも参加した。

そんな娘の姿を見るたびに、自分は感動していた。

走っている。

笑っている。

みんなと一緒に何かをしている。

そんな何気ない光景が、とてもありがたく感じた。

以前の自分なら、当たり前だと思っていたかもしれない。

でも、一度その「当たり前」が失われるかもしれない経験をした。

だからこそ、娘が元気に成長していることが嬉しかった。

そして、娘の姿を見るたびに思った。

「これからも頑張らないとな」



父親になって、初めて分かったこと

自分はこれまで、何度も失敗してきた。

仕事も転々とした。

お金でも失敗した。

自分自身のことで精一杯になったこともあった。

でも、子どもが生まれてから少しずつ変わった。

自分のためだけではなく、

家族のために生きる。

そんな考え方が、自分の中に芽生えていった。

そして長女の出来事を経験したことで、その気持ちはさらに強くなった。

人生には、いつ何が起こるか分からない。

だからこそ、今ある幸せを大切にしたい。

娘たちが笑っている。

家族と一緒にご飯を食べる。

一緒に過ごす。

そんな何気ない日常こそが、本当は一番大切なのかもしれない。

そう思うようになった。


これまで自分は、何度も人生でつまずいてきた。

仕事を辞めた。

新しい仕事を探した。

また辞めた。

お金でも失敗した。

自信を失った。

それでも、家族がいた。

そして、守りたい存在ができた。

だから、何度でも立ち上がるしかない。

この時の自分は、まだ知らなかった。

この先にも、また大きな出来事が待っていることを。

――第11話へ続く。

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