音楽に救われた話を書こうとしたら人生年表になった①
音楽は世界を救うかと聞かれたら救わないと答える。
だが、音楽は私を救ってきた。
大好きだった彼氏の浮気が発覚したあの夜。
速報を聞いて友人達が緊急出動してくれた。
号泣しながら歌った「世界が終わるまでは」
ふと検索したトラジティナイトの意味。
悲劇の夜って!まさに今日じゃん!!あんた、投げ捨てられた空き缶だよ!!
との言葉に涙も引っ込んだ。
その曲だけではない。
健やかなる時も病める時も音楽は私に寄り添ってくれていた。
…病める時の割合が圧倒的に高いのは何故だろうか。
泣きながら1人で聴いたあの曲も、皆で歌ったあの曲も、好きな人が口ずさんでいたあの曲も今でも偶然耳にするとあの時の記憶が鮮明に蘇る。
匂いは脳に残るというけれど慢性鼻炎の私には音の方が残るようだ。
1番最初に触れた音楽は、母の子守唄だったと思う。
幼稚園に入園して先生が歌うその曲と、母が歌うその曲が、歌詞は一緒なのに音程が違うことに衝撃を受けた。
知ってるのに知らない。そんな歌じゃ眠れない。
綺麗なメロディなのは先生の方だ。だが落ち着くのはだいぶ音の外れた母の歌。
決して綺麗なものだけが人の心に届くわけではない。
母の子守唄は呪詛のように私の脳内に早く寝ろと訴えかけてきた。
今でも子供達にその外れた子守唄を歌うと、自分の方が先に寝落ちしてしまうのは不思議だ。
音楽は技術じゃない衝動だと齢4歳にして叩き込まれた。
そのままエリートパンクスとして生きていく道もあったはずだ。
ところが私はまさかのクラシック方向に進む。
ただ単にバレエを習い出した。それだけだ。
残念ながらクラシックという音楽にハマりはしなかった。
眠くなるなーと思いながら踊っていた。
だが母の歌より耐えられた。
骨格がバレエ向きだった私は気付けばかなり本格的なレッスンに放り込まれていた。
そのままバレリーナとして生きていく道もあったはずだ。
しかし私には致命的な欠陥があったのだ。
裏拍子がどうしてもとれないのだ。
時を同じくし反抗期に入った私は、今まで伸ばしていた背筋にすら反発した。
私の空前の猫背ブームがやってくる。
そのまま固まってしまった背骨だが、今でもクラシックを聞くと姿勢をよくしようとしてしまうのは不思議だ。
バレエの姿勢にすら反抗した私は、手渡しだった月謝をネコババしたままバレエを辞めた。
猫背の私が次に手を出したのはベースだった。
軽音学部に入部してベースが余っていた。
それだけだ。
疑問に思われた方もいるだろう。
裏拍子を取れない奴がベースなんてできるのか。
次回!裏なしで戦うベーシスト!
デュエルスタンバイ!
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https://note.com/fancy_thyme360/n/n21e2478aafdb
