本田圭佑の解説が大嫌いだ
このコラムは、本田圭佑の解説が好きな人は読まないでください。
「本田の解説が嫌い。おかしいと思う」と感じていても「叩かれる」から言えないでいる人に向けて書いています。
だからそれ以外は読むな。別に頼んでない。
私が着ているライトグレーのサマーニットは、少しだけ胸元が広く開いている。丸の内にある大手旅行代理店のデスクで、私は日々、他人の旅の計画を組み立てている。二十四歳。独身。世間から見れば、おそらく「どこにでもいる、少し流行を気にするOL」の一人に過ぎないだろう。でも、私の心の中には、誰にも言えない小さな、そして鋭い棘が刺さっていた。
きっかけは、あのワールドカップのオランダ戦だった。世間は、NHKの中継で解説を務めた本田圭佑の言葉に熱狂していた。「親近感がある」「新しい」「本田語録」と、SNSのタイムラインはその賛辞で埋め尽くされていた。けれど、私はテレビの前で、どうしても冷ややかな違和感を拭い去ることができなかった。
日本の後輩選手には「ビジネスのマナー」を盾に「さん付け」を徹底する。その一方で、対戦相手のオランダの選手には名前すら呼ばず「11番、うざい」と言い放つ。
どこがリスペクトなのだろう。
なにがマナーなのだろう。
それは単なる、自分を先進的に見せるためのダブルスタンダードではないか。何より許せなかったのは、彼が「古い体育会系」と既存の文化を叩いたことで、これまで公共の電波を守り、客観的で正確な描写に命を懸けてきた先人たちのプロの仕事が、まるで「時代遅れ」であるかのように大衆に消費されてしまったことだ。
「それ、おかしくない?」
翌日、オフィスのランチタイムで同僚の女の子たちに話すと、みんな一様に困ったような、あるいは哀れむような目を私に向けた。
「えー、でも本田だし、面白ければ良くない?」
「ちょっと考えすぎだよ。そんな風に怒る人、初めて見た」
誰も私の言葉の核心を理解しようとはしなかった。世間の「祭り」に水を差す、ただの偏屈な人間。それが、彼女たちが私に下した評価だった。
その日の夜、私は憂鬱な気分のまま、会社の近くにある古びたビアバーのカウンターに座っていた。生ビールを喉に流し込んでいると、二つ隣の席から、ぼそりと声が聞こえた。
「…実況アナウンサーが『鎌田さんのシュート』なんて言ったら、中継のテンポが崩壊しますよね」
振り返ると、そこにいたのは四十代半ばほどの、お世辞にも垢抜けない男性だった。少し薄くなった髪に、くたびれたネイビーのスーツ。私の会社が出入りの業者として使っている印刷会社の、確か営業部長の佐々木さんだった。
「え……?」
「あ、すみません。昼間、オフィスの自販機の横で、あなたが同僚の方と話しているのを耳にしてしまって。…あなたの言う通りだよ。解説は居酒屋じゃない。プロのフォーマットを守ってきた先人たちへの冒涜だ」
その瞬間、私の心の中で、ずっと堰き止められていた何かが決壊した。佐々木さんは、私が抱えていたモラルの不条理、大衆の認知の歪み、そして「誰かだけが許される不公平さ」への怒りを、すべて正確に理解していた。周囲から孤立していた私にとって、彼の冴えない外見は、いつの間にか、この上なく誠実で知的な大人の男のものに見え始めていた。
夜が更ける頃、どちらからともなく、私たちは私のワンルームのマンションへと向かった。部屋の明かりを消すと、カーテンの隙間から街灯の光が差し込み、彼の少し猫背気味のシルエットを映し出した。昼間の洗練された丸の内の男たちとは違う、生活の重みを知る男の身体。「本当に、いいのかい」佐々木さんの少し震える声が、暗闇に溶ける。「いいんです。私を、見つけてくれたから」
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