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【小説】Sheet2社食に左遷されたエクセルおじさん、不死鳥(ミズアブ)と世界を救う:「えっ、ありがとう?」

「どんくさいわねぇ! もっと早く動けないの!?」
今日もパートリーダーの甲高い怒号を背中に浴びながら、新生(しんじょう)は重い生ゴミのバケツを引きずって勝手口へ向かっていた。
会社から左遷されて数週間。 生ゴミを運ぶ裏方の作業も、この食堂を綺麗に回すための立派な仕事だと頭では分かっている。だが、長年オフィスワーカーとして培ってきたエクセルのスキルは、この熱気と油にまみれた厨房では何の価値も持たない。どれだけ汗水流して残飯をかき集めても、要領が悪くて怒鳴られるばかりで、誰からも感謝されることはない。
(俺はここでは、全く役に立たない人間なんだ……)
重い溜息をつきながら、勝手口の外にある専用コンテナの蓋を開ける。 中には、いつものように無数の黒っぽいイモムシ——産廃業者のトモヒロと密かに観察を続けている謎の虫たちが、ドロドロの残渣の中でウジャウジャと蠢いていた。
新生がバケツを傾け、数十キロの生ゴミをドサッとコンテナの中へ放り込んだ、その時だった。
『わぁっ! ごはんだぁ〜〜〜っ!💕』
「……えっ?」
新生は思わず辺りを見回した。勝手口には自分以外、誰もいない。しかし、確かに頭の中に、無邪気で可愛らしい小さな子供のような声が響いたのだ。
気のせいかと思い、再びコンテナの中を覗き込む。 虫たちは凄まじい勢いで、新しい生ゴミの山へと群がり始めていた。
『アリガトウ〜〜〜っ!💕』 『おじさん、おいしいごはん、アリガトウ〜〜〜っ!💕』 『アリガトウ、おじさん! アリガトウ!💕』
(……!!)
新生は息を呑んだ。 幻聴かもしれない。左遷のストレスで、ついに頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
けれど……今の職場で自分の価値を見失い、誰からも感謝されなくなっていた自分に、この小さな命たちは、ただ純粋な歓喜とともに「ありがとう」と伝えてくれている。 自分が惨めな思いをして運んだこの悪臭を放つゴミを、彼らは最高の馳走として待ち望み、全力で命の循環へと変えてくれているのだ。
「……どういたしまして。いっぱいお食べ」
気がつけば、新生の目からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。 ただの不気味な虫が、愛おしい「あの子たち」に変わった瞬間だった。
   * * *
大学での挫折をきっかけに、僕は長年、自室のベッドの上から動けなくなっていた。 世界から消えてしまいたい。誰からも必要とされていない。そんな僕にとって、この社員食堂の清掃アルバイトは、社会復帰のための細い細いリハビリの糸だった。
だから、余計な波風は立てたくなかった。目立たず、言われたことだけを淡々とこなす。それが僕の処世術になっていた。
生ゴミの運搬は、本来なら僕と新生さんの交代制だった。 けれど、夕方の引き渡しの時間になると、新生さんは決まって「ここは私がやっておくから、佐々木君は先に上がっていいよ」と僕を帰してくれていた。
(……いつも新生さんに押し付けちゃっているな)
ある日の夕方。駅へ向かう途中で忘れ物に気づいた僕は、引き返したついでに「今日は僕がやります」と声をかけようと、勝手口の巨大コンテナの陰へ回り込んだ。
そこで僕が目撃したのは、信じられない光景だった。
産廃業者のトラックは停まっているのに、コンテナの蓋すら開けられていない。重い生ゴミを引き揚げる作業も一切せず、新生さんが差し出した伝票に業者の若い男が無言でハンコをポンと押し、「じゃ」と一言残して数十秒で走り去っていったのだ。
(え、ゴミは?ごみ集めないで帰った……?)
翌朝、早く目が覚めてしまって僕はまだ薄暗い食堂の裏に向かった。 見て見ぬ振りをすればいいものを、このままでは腐敗臭でとんでもないクレームになるはずだと、最悪の事態ばかり想像してしまう。
朝日が昇りきらない静かな勝手口。
激臭と溢れかえる生ゴミの山……があるはずだった場所には、雨上がりの森のような香ばしい土の匂いが漂っていた。そして新生さんが、優しく微笑みながら、コンテナから茶色い土をポリ袋へ詰めていた。
臭いゴミはどこにもない。代わりにあるのは、土の中でうじゃうじゃと波打つように蠢く、見たこともない太ったイモムシのような大量の虫たち。
「……新生さん…… ゴミは……どこへ行ったんですか?」
僕が声をかけると、新生さんはビクッと肩を震わせ、慌ててコンテナの蓋を閉めた。そして、見たこともないほど必死な眼差しで、僕に向かって深く頭を下げてきた。
「佐々木君……お願いだ、誰にも言わないって約束してくれないか? 悪いことは何もしていないんだ、、、この子たちが……全部、食べてくれたんだよ。この子たちは、生ゴミを食べて『ありがとう』って言ってくれる、大事な子たちなんだ」
「食べた……? この……イモムシが……ですか?」
意味が分からず困惑した。けれど、引きこもっていた数年間、暗い部屋の中でネットの海を貪るように読んでいた膨大な知識の記憶が、僕の脳内で突如としてスパークした。
「新生さん……これ、アメリカミズアブですか……?」
「えっ……佐々木君、この子たちの名前を知っているのかい!?」
僕は震える手でポケットからスマホを取り出し、検索画面を提示した。 成虫は病原菌を媒介せず人を刺さないこと、幼虫の食欲が凄まじく生ゴミを分解すること、その排泄物(フラス)が最高品質の有機肥料になること——。
「ミズアブ……? この子たちには、そんな立派な名前があったのか……」
新生さんは教えられた真実に感動し、愛おしそうにコンテナを撫でた。 その姿を見た瞬間、僕の胸の奥に熱いものが込み上げてきた。
会社から不要とされ、ここでただじっと何かを堪えるように背中を丸めてゴミを運んでいた新生さん。 社会に出られず、部屋の中で無駄な知識ばかりを詰め込んでいた僕。
社会の隅っこに追いやられていた二人の孤独が、そして誰からも必要とされていなかった僕の「オタク知識」が、今、この名もなき虫たちを通じて、初めて誰かの役に立ったのだ。
「佐々木君。もしよかったら……これからもこの秘密、私と一緒に見守ってくれないだろうか」
新生さんの言葉に、僕はメガネの位置を直し、深く頷いた。
「……はい。僕でよければ」
朝日が、勝手口のコンテナを優しく照らし始めていた。


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