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彼女とは全然違う。でもこれでいいのだ。

「大変やけど、子ども二人とも元気やし、
 私も忙しいけどいろいろ楽しいこともあるし、
 満たされてるな、いつ死んでもいいなって思うねん」

友人のその言葉に、私は大きなショックを受けた。
は?なんでそんなこと思えるの?!
私は、ぜっっったいに絶対に絶対に、いま死にたくない!!

出会いは、新卒で入社した会社だった。
彼女は仕事がすごくできる先輩で、社内の人気者。
互いに退職してから20年ほどになるが、数年に一度会ったり、
手紙のやり取りを続けている。
彼女は二人の子どもを育てながらバリバリ働き、今や部署のトップ。
私は、派遣で働くのが精一杯。
そんな自分を少し責めたことがあったけど、
どうしても私はこれ以上がんばれない、が本心だった。

そんなことよりも、久しぶりに会った彼女の言葉は私にとって、
大いにコンプレックスを刺激するものだった。
彼女に会う直前、私は母親と決定的な大喧嘩をしていた。
いわゆる毒親で、それまで自分なりに距離を保っていたが、
あるとき我慢できないことがあった。
ずっと「いい子」だった私の盛大なブチギレに母は驚き、
泣いて謝っていたが、
案の定、人には「こんなひどいことを言われた!」と
被害者として愚痴っていた。

それは予想通りだったし、別にいいのだ。
もう私は母の理解も愛も、まったく必要としていなかったから。
それより私を苦しめたのは、こんな年齢になるまで、
両親のひどい仕打ちをひたすら我慢して、いい子を続けてきたことだ。
何一つ報われないと、本当はわかっていたのに。
なんて馬鹿馬鹿しい、私のこれまでの人生って何だったの?
そういうむなしさだった。

彼女だって、何も完璧な両親のもとで育ったわけじゃないだろう。
私が知らないだけで、いろいろあったのかもしれない。
でも話を聞いていると、母親がうちとは全く違うのだ。
彼女の母親は、精神的に自立している女性なのがわかる。
何より、暴力をふるわなかったそうだ。
なぜ親が同世代なのに、私と彼女はこんなに違うの?
なぜ私は、こんなところに生まれないといけなかったのだろう。

親の人間性は、子どもの人生の土台になる。
それが子どもの人生に与える影響を、私は嫌というほど知っている。
私は長い間落ち込み、彼女とはもう会えないかもな、と思った。
あまりにうらやましくて、妬ましかったから。

そこから、二年が過ぎた。
母からはたまに連絡が来るが、無視している。
(要はこんなに苦労してきた私なのに、あんたにひどいことを言われてカワイソウ!という内容だ。しかし元気やな)
もちろん思い出せば腹が立つし、悔しくて泣くこともあった。
何度かカウンセリングのお世話にもなった。
でも、いい子をやめて母への完全無視を貫くうちに、
人生がじわじわと楽になってきたのだ。
なんたって、人間関係の悩みがないのだ!

ちっとも行きたくない、父親の墓、正月の実家。
母のほぼ人の悪口のマシンガントーク。
もう、作り笑いをして行かなくていいし、聞かなくていい。
あの大喧嘩、そこで私の「絶対許せない」という気持ちを
ごまかさなかったからこそ得られた、何物にも代えがたい自由。

もちろん、これまでの人生がむなしい、という気持ちはまだある。
あの経験があったからこそ今がある、
なんて綺麗ごとにはならないし、したくない。
だからこそ、だ。
私は絶対にまだ死にたくない。
馬鹿馬鹿しいことに費やしてきた、人生を取り戻したい。
まだまだ楽しいことをしたいし、
欲しいものもあるし、
行きたいところもいっぱいあるのだ。
満たされていなくて、欲まみれで、嫉妬深くて、
親を許せないのが私だ。

でも、それでいいのだ。
今の私は、心からそう思う。
彼女のように、満たされている、と感謝して言えることは本当に素敵だ。
私もそうなれたらよかったのかもしれない。
でも、何もそれだけが幸せになる唯一の手段ではないのだ。

私は私で、もっともっと生きたい!と思える人生を歩んでいる。
自分にも、人生にも絶望していない。
それだって、充分すごいことだと我ながら思う。 

THE BLUE HEARTSの「夢」の歌詞のように、
あれもこれもしたいし、もっともっと欲しい。
誰よりも私が、そんな自分の理解者でありたい。
そうしてこれからもずっと、欲望を追いかけて生きていきたいと思う。


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