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時代の狭間に落ちた私が、未来のためにできること

日本人の私が日本について考えました。
少し生意気なことを書いています。

「未来のためにできること」と聞くと、新しい技術を学んだり、貯蓄や投資を増やしたりといった前向きな準備を思い浮かべる方が多いかもしれません。

​しかし、これまでの自分の人生を振り返ったとき、私が未来のためにまずできることは「自分の尊厳を守り、過酷な時代でも自立して生きる覚悟を持つこと」なのだという答えに行き着きました。

​努力は、タイミングと「時の運」が重なって初めて報われるものなのだと思います。いくら努力を重ねても、時期が合わなければ結果には結びつきません。もちろん努力そのものを否定したいわけではありません。

​私自身の経験を振り返ってみても、ことごとくタイミングがズレていましたし、時の運にも見放されていたように思います。これではいくら頑張っても報われるはずがなかったのだと、今は冷静に振り返ることができます。

​一方で、時の運や時代を味方につけ、絶妙なタイミングを捉えた人たちは、いま人生を謳歌しているように見えます。彼らにも相応の努力があったはずですが、それ以上に「時代やタイミングを読む力」に長けていたのだと感じます。

​私の場合、そのズレを修正できないまま時代背景の狭間に落ち、結果として精神疾患を抱えることになりました。当時は今ほど医療も進んでおらず、ネットで調べる術もありませんでした。すべてが手探りの「自己流」だったのです。

​自己流で必死に乗り切ろうとした反動は、後になって後遺症のような症状となって表れました。若さでカバーしていた部分もありましたが、今思えば非効率な努力を重ねていたのかもしれません。

けれど、情報も支援も乏しかったあの時代には、それが自分の精一杯だったのだとも思います。

過去の過ぎ去ったことを悔やんでも仕方がないことです。

​問題はこれから訪れる未来です。インバウンドなどで一部が潤う裏で、私たちの日常の生活は確実にひっ迫しています。AIをはじめとするテクノロジーが急速に発達しても、その恩恵が真っ先に私のような一般市民に届くとは限りません。

いずれテクノロジーや資本の論理によってサービスを受ける権利が「選別」されるような世の中が来るのではないか、という危惧すら覚えます。

​もし高度なサービスを受ける人が限られる社会になれば、それを支える現場の仕事(ブルーカラー)の需要が今以上に増えるかもしれません。現在の社会構造を見ても、政治や制度の偏りによって、特定の世代や層にリソースが偏重している現実があります。

​だからこそ、私は心に決めています。時代がどう変わろうと、せめて基本的人権と自立した人間としての尊厳だけは手放さないこと。そのために自分ができる努力だけは、怠らずに続けていきたいと思っています。


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