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世界の偉人シリーズ|第18話 油屋熊八 別府温泉の父・温泉を日本最大の観光資源に変えた男

世の中には、旅館経営で成功した人は多い。
しかし、

「町そのもの」を観光地へ変えた人は少ない。

しかも彼が作ったのは、
単なる温泉街ではない。

・港
・道路
・観光名所
・交通
・土産文化
・回遊導線
・宣伝

を一体で整備した「観光都市」だった。
そして彼は、温泉を売ったのではない。

「別府へ行きたくなる理由」

そのものを作った。
今で言う、

・観光マーケティング
・地方創生
・ブランディング
・体験設計

を、100年以上前にやっていた。


油屋熊八
別府温泉を全国区へ押し上げ、
日本観光史を変えた男。
「観光王」とも呼ばれる人物。
1863-1935|亀の井旅館・亀の井バス創業者。


【別府の人間ではなかった】

熊八は、現在の愛媛県宇和島市で生まれた。
実家は裕福な米問屋。
さらに彼自身も、若い頃は大阪で米相場で成功している。

彼は、最初から「商売の勘」を持っていた。
しかしその後、投資に失敗。
日清戦争後の反動不況も重なり、財産を失う。
ここから人生が一変する。

成功者から、
一文無しへ転落したのである。


【アメリカ放浪で学んだもの】

熊八は、単身アメリカへ渡る。
しかし現地でも、成功はしなかった。

金もなく、
職も安定しない。

そのため彼は、
無料宿泊を受け入れていた
キリスト教会を転々としながら生活する。
しかし彼は、そこで重要なものを見る。
それが、

「旅人への接し方」

だった。

困っている人へ、
食事を出す。
寝場所を与える。
親切に接する。

熊八は、
アメリカで「ホスピタリティ」を学んだのである。
さらに彼は、

・広告
・看板
・キャッチコピー
・話題作り

にも強い衝撃を受ける。
彼は、

「人は、物だけでは動かない」

ことを知った。
これは後の別府戦略へ、強烈に繋がっていく。


【妻が別府で待っていた】

一方その頃、妻は別府で働いていた。
住み込みで旅館に勤めながら、
熊八の帰国を待っていた。

熊八は帰国し、妻が働く別府に行く。
その時に運命が動く。

妻が勤めていた旅館の主人が、
廃業を決める。
そこで、

「旅館をやるなら支援する」

と言われる。
こうして熊八夫婦は、
小さな一軒家から旅館経営を始める。

後の「亀の井旅館」である。


【彼が見ていた問題】

当時の別府温泉は、
温泉自体は素晴らしかった。
しかし、観光地としては未完成だった。

例えば港。

大型船が接岸できず、沖に停泊した。
客は、縄梯子を使って迎え船に移動しなければならない。

だが当時、着物の女性は下着文化が一般的ではなかった。
女性は縄梯子が使いづらい。
ここが重要である。
普通の旅館経営者なら、

「温泉が良ければ客は来る」

と考える。
しかし熊八は違った。
彼は、

「来づらさ」

を見ていた。
だから彼は、港整備へと動く。
彼は、温泉より先に、

「顧客導線」

を見ていたのだ。


【観光地が必要だった】

彼は、さらに先を見る。
港だけ整備しても意味がない。

「行きたくなる場所」

が必要だった。
そこで彼が注目したのが、
山の上の地獄温泉だった。

熱泥
噴気
硫黄

普通なら危険地帯である。
しかし熊八は違った。

「これは観光になる」

と考える。
さらに、そこまでの道路を整備。
彼は、

観光地
 ↓
アクセス
 ↓
回遊
 ↓
滞在価値

を一体で考えていた。


【ロープウェイと動物園】

熊八は、さらに異常だった。
山の上へ動物園を作り、
ロープウェイで登れるようにしたのである。

彼は、移動そのものを娯楽化していた。
単なる温泉街ではなく、

「体験都市」

を作ろうとしていたのである。


【日本初の女性バスガイド】

さらに熊八は、観光客の「移動時間」にも目を付ける。
普通の経営者なら、バスは単なる移動手段だった。
しかし熊八は違った。

「移動中も、観光体験にできる」

と考えたのである。
そこで彼は、女性ガイドを乗せた。
これが、後の「バスガイド文化」の原型と言われている。
しかも彼は、

・制服
・案内
・観光説明
・接客

まで演出した。
彼は、単なる輸送会社を作ったのではない。

「移動そのものを楽しませる」

ことを始めたのである。
これは現在の、

・テーマパーク接客
・観光ツアー演出
・体験型サービス

にかなり近い。

熊八は、
観光とは、
目的地だけではなく、

「移動中から始まっている」

ことを見抜いていたのである。


【手ぬぐいを「広告」に変えた】

熊八は、旅館名入りの手ぬぐいも広めた。
なぜか?
旅行客が持ち帰るからである。
彼は、

土産
 ↓
記憶
 ↓
再訪
 ↓
口コミ

を作っていた。
これは現代のリピート戦略そのものだった。


【子どもを大切にした】

熊八は、子どもの宿泊にも協力した。
修学旅行などを歓迎したのである。
なぜか?

「子どもの記憶に残れば、
大人になってまた来る」

と考えていたからだ。
彼は、短期利益ではなく、

「別府ファン」

を作っていた。


【旅人を懇ろにせよ】

熊八には有名な言葉がある。

「旅人を懇ろにせよ」

である。

旅人を大切にしろ。
親切にしろ。
これは単なる接客論ではない。

彼自身が、
アメリカ放浪時代に、人の親切で生き延びた。
だからこそ彼は、

「旅人がまた来たくなる町」

を作ろうとしたのである。


【別府全体を売った男】

熊八の本当の凄さは、ここだった。
普通の旅館経営者なら、
「自分の宿」だけを考える。
しかし熊八は違った。

港を整備し、
道路を作り、
観光地を演出し、
交通を整備し、
回遊を作り、
土産文化を作った。

つまり彼は、

旅館
 ↓
温泉
 ↓
観光地
 ↓
交通
 ↓
回遊
 ↓
別府ブランド

を作っていた。
ここが、極めて現代的だった。


【戦っていた相手】

熊八が戦っていたのは、
競合旅館ではない。
本当に戦っていたのは、

・地方知名度の低さ
・交通不便
・滞在価値不足
・「温泉だけで客は来る」という常識
・地方衰退
・「地方は中央に勝てない」という空気

だった。
だから彼は、

港を整備し、
道路を作り、
観光名所を演出し、
交通を整備し、
広告で全国へ発信した。

彼がやったのは、
単なる旅館経営ではない。

「地方観光革命」

だったのだ。


【これは戦略だったのか】

結果だけ見れば、別府温泉成功譚。
しかし中には、かなり強い型がある。

・温泉ではなく体験を売る
・欠点を観光資源へ変える
・移動まで娯楽化する
・回遊導線を整備する
・土産を広告へ変える
・地方全体をブランド化する
・広告で物語を作る
・短期利益より再訪を狙う

極めて現代的な構造である。

しかも面白いのは、
彼が単なる旅館経営者ではなかった点だ。
普通なら、

旅館

宿泊

利益

で終わる。
しかし熊八は違った。
彼は、



道路

観光地

交通

回遊

別府ブランド

という流れを見ていた。
つまり彼は、温泉を売っていたのではない。

「別府という体験」

そのものを売っていたのである。
さらに特徴的なのは、
彼がアメリカ放浪時代に学んだ、

・ホスピタリティ
・広告
・演出
・話題作り

を、地方観光へ持ち込んだことだ。
だから別府は、

単なる温泉街
 ↓
観光都市
 ↓
体験型温泉地

へ変化した。
これは、現在の観光マーケティングの原型に近い。
しかも彼は、地方でも知恵と演出で勝てることを証明した。

これは、日本観光史の中でも、
かなり特異な成功例だった。


【まとめ】

油屋熊八は、巨大財閥の創業者ではなかった。
むしろ、失敗と放浪を経験した、
極めて人間臭い現場人間だった。
しかし彼は、アメリカで学んだ

・ホスピタリティ
・広告
・演出

を、別府へ持ち込んだ。
だから彼は、温泉だけで終わらなかった。

港を整備し、
道路を作り、
観光地を演出し、
交通を整備し、
別府そのものをブランド化した。

現在でも別府駅前には、
マント姿で腕を広げる熊八像が立っている。

それは恐らく、
彼が最後まで、

「地方は、知恵と演出で勝てる」

と信じ続けた人だったからである。
周囲から見れば、派手で変わり者だった。

しかし彼は、「観光は体験価値」
を100年以上前に見抜いていた。

油屋熊八が残したのは、
単なる旅館ではない。

「地方でも、物語を作れば人は集まる」

という、地方創生そのものだったのである。


次回予告


世界の偉人シリーズ|第10話 小林一三
阪急グループ創始者


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